9.怒涛の攻勢、そして即堕ち令嬢

 「おかしいですよ、カテジナさん!」


 長らく幼少期のニーナ女家庭教師ガヴァネスを務めてくれていた女性、カテジナ・カーサリア男爵夫人に、衝動的にすがりついてしまいましたが、たぶん、私は悪くない(と思います)。


 「に、ニーナ様、どうなされたのですか?」


 私より12歳年長で、既に既婚者かつ一児の母であるレディ・カテジナは、(本物の)ニーナが6歳の時から5年にわたって、学問や礼儀作法の教育を担当されていた女性です。

 絶世の美女というほどではないにせよ、下級貴族の女性としては相応以上の品の良い金髪美人で、何よりその穏和で知的な物腰から周囲の好感を得られていました。


 思えば、座学があまり好きではない(本物の)ニーナも、この方には懐いており、授業も(意欲的とは言えないまでも)サボらずに頑張っていましたね。

 リュウ(元の僕)も、従僕見習いをしていた10歳の頃までは、ニーナの隣りで一緒に授業を受けていたので、リュウにとっても師と言える方です。


 残念ながら、懐妊されたことでガヴァネスを辞められ、自身のお屋敷で子育てにしばらく専念されていたのですが、今日は王都で流れる噂を聞いて、ニーナの身を案じて、久しぶりに訪ねて来てくださったとのこと。

 もちろん、かつての恩師の来訪を、私は歓迎したのですが……。


 「なんで、私とメッシュ──ギルバート殿下が婚約なんて! それは、私とあの方は“友人同士”ではありますが、決して恋愛とかロマンスとかそういう甘い関係では……」


 久闊を叙する挨拶ののち、とりとめのない雑談のなか、いつのまにか、急に決まった(お父様から告げられた)その縁談ことについて、思わず部外者であるカテジナさんに泣きついて愚痴を漏らしてしまいました。

 だって、伯爵家わがやでは「めでたい!」と家族も家臣も歓迎ムードなのですもの。


 「(あらあら、これは予想外ですね)ニーナ様は第三王子殿下のことがお嫌い──ではないのですよね?」

 「ええ、それは否定しません。でなければ“お友達”として我が家に日参されるのを歓迎したりしませんわ。でも……(そもそも私は本物のニーナじゃないですし)」


 流石に後半部口に出せないので、心の中だけで呟きます。


 * * * 


 「それは、メッ……ギルバート殿下は、一見非の打ちどころのない“王子様”ですよ?

 獅子のタテガミの如き金髪と最高級ルビーのような紅眼、神像を思わせる整った顔立ちで、騎士にふさわしく細身ながらよく鍛えられた身体を持ち、そのイケメンぶりにふさわしいイケボまでも兼ね備えてるなんて、女子向け絵物語の完璧な主役(ヒーロー)か、って思いますでしょう?

 でもでも、ああ見えて、オレサマっていうか強引マイウェイなトコロもあってですね……」


 (あらあら、お可愛いこと♪)


 少女がこぼす愚痴──に見せかけた“惚気”の言葉を受け止めながら、カーサリア男爵夫人カテジナは、微笑ましさと安堵の気持ちに満たされていた。


 カテジナにとって、ニーナ・ウィラム・フォン・ゴートという少女は、元教え子であると同時に、心情的には従妹か姪のような存在であった。


 幼少時のニーナは、周囲──家柄や両親、さらには乳兄弟である従僕(※リュウのことだ)が優等生過ぎるが故に、「気まぐれなワガママ令嬢」と軽侮されがちだったが、その程度の気ままさなど、カテジナが知る貴族とは名ばかりの屑連中に比べれば可愛いものだ。


 むしろ、そのあふれんばかりの素質(魔力と頭の良さ)と、良くも悪くも貴族令嬢らしからぬ自由な気性を巧く活かせれば、この国では珍しい女性の英傑となることも不可能ではない──そう感じたのは、決して教え子への身びいきではないと思う。


 それだけに妊娠というやむを得ない事情であれど、彼女ニーナのもとを離れざるを得なかったのは、残念でたまらなかった。


 その後、風の噂では、カテジナが辞した後の伯爵令嬢は、どんな教師も長続きせず、頻繁に屋敷から抜け出し、時折戯れに攻撃魔法をブッ放すだけのお転婆娘に育った──と言う。

 それを聞いた時、カテジナは指導を続けられなかったことを改めて悔やんだ。


 そんな日々のなか、最近ようやく子供も乳幼児期を過ぎて、母としてつききりで世話をする必要が薄くなった──ところで、かつての教え子の意外な噂を耳にしたしたのだ。


 『第三王子ギルバート殿下の婚約者が、ゴート伯爵令嬢に九分九厘決まり、国王陛下もそれを内内に認めておられるらしい』


 最初は、まさかと思った。

 零細ながら王都に住む法衣貴族の奥方として、カテジナも王宮関係の情報収集は怠っていない(もっとも、男爵クラスであれば日々の暮らしにかまけて、ソレを軽視する者も少なくないのだが)。


 ゴート伯は、武門の名家かつ近衛軍の重鎮ではあるが、系列としては領主ではない法衣貴族の一員で、王族を婿に迎えることを自分から願い出るような野心家でもない。

 ならば、この縁談は王家側、それも王子の方から切り出したものだろう。


 しかしながら、噂に聞く第三王子の人となりからして、「伯爵家のじゃじゃ馬娘」を気に入るとは、どうしても思えなかったのだが……。


 (“今”のニーナこのこなら、十二分にあり得ますね)


 カテジナの目から見ても、15歳になったニーナは、その言葉遣いや挙措を見る限り、「一人前以上の淑女レディ」と言って相応しい少女に成長していた──まぁ、今は、久々に会った師である彼女に甘えてはいるが。


 ニーナに会う前に集めた風聞や、この屋敷の侍女に軽く聞いた限りでは、実際、彼女の評価は非常に高い。


 容姿端麗、頭脳明晰、優婉閑雅、八面玲瓏といった賛辞を、お世辞ではなく本心から贈られるに足る傑物であり……。

 宮廷魔導師並みの高い魔力を完全に制御しているうえ、攻撃・防御・補助の各基本呪文をバランス良く使用可能な器用さを持ち……。

 貴族令嬢の嗜みとされる裁縫や刺繍、お菓子作り、香花葉ポプリ作りなども完璧にこなすほど女子力が高く……。

 メイドや従僕など伯爵家に仕える者、のみならず他家の使用人や庶民にも、優しく丁寧に接する慈愛の心を持つ。


 これでもし治癒や浄化などの魔法適性があれば、「伝説の聖女の再来」と言われてもおかしくないだろう(※なお、既述の通り、この「ニーナ」は回復系呪文は大得意。つまり……)。


 幼少時の彼女の才能を見抜いた自分の目に狂いはなかったと、僅かに誇らしい気分になったカテジナだったが、しかしそんな完璧淑女でも、初恋を前にしたらこんな風にポンコツになってしまうのか──と、微笑ましさ半分、じれったさ半分な気分で、惚気と紙一重の愚痴を垂れ流すニーナを見つめる。


 「では、ニーナ様は、殿下の婚約申込みに対して、どう返事されるお積りなのですか?」


 言葉が途切れた隙を見逃さず、、カテジナはあえて直球の質問を投げつける。


 「それは、その──そもそも王命が出た以上、表だって逆らうわけにはいかないでしょう?」


 「いえ、今回の王宮からの発表は“王命”、国王陛下からの命令ではなく、あくまで“公示”──「ギルバート第三王子とゴート伯令嬢ニーナのあいだに縁談が持ち上がっており、国王は静観する構えを見せている」という“事実”が公けにされただけです。

 持ち上がった縁談がこじれてお流れになる、という例も、我が国の歴史を紐解けば、決して珍しいわけではありませんよ?」


 「王命だから断れない」というニーナの逃げ道を理詰めで塞ぐカテジナ。

 別に意地悪しているわけではなく、むしろその逆で、キチンと自分の気持ちと向き合ってから決断してほしい、という師としての思いやりに基づくものだ。

 ──まぁ、99%巧くいくだろうと判断してのことではあるが。


 (そもそも、陛下が黙認とは言え“是”とされている縁談に横槍を入れるような人は、そうそういないでしょうしね)


 無論、そう予想していることはニーナには伝えない。


 「えっと──ま、まずはメッシュ様の真意おきもちが知りたいです」


 ……と、最後の(無駄な)あがきをニーナが呟いたところで。


 「ふむ、オレの気持ちだと。改めて言うまでもないコトだとは思うがな」


 いつの間にか彼女の背後に立っていた青年(言うまでもなく、ギルバート・メッシュ・カイゼルド・エヌマール王子その人だ)が、呆れと照れが同居したような珍しい表情を浮かべつつ、顎に右手を当てて思案する。


 「しかしながら、言うべき時に言うべき事柄を言わないのはトラブルの元か。

──ニーナ、貴女そなたを愛している。我の伴侶つまになってくれ」


 憎からず思っているイケメンに、背後から肩を抱かれながら、耳元でそんな求愛の言葉をイケボで囁かれて、陥落しない令嬢がいるだろうか?


 「ひゃい……此方こそ、末永くよろしくお願いします」


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