6.華麗なるデビュタント

 僕ことリュウが本物のニーナ様と入れ替わって1ヵ月が過ぎ、今日はいよいよ「ニーナ・ウィラム・フォン・ゴート」の社交界デビューの日だ。ゴート伯爵の館で「春の舞踏会」が開催されている。


 前にも言ったように、このひと月間で僕は案外この非常事態に適応して、それなりに(ひょっとしたら本物以上に?)「貴族の令嬢」らしい立居振舞もできるようになったんだけど……。

 今日ばかりは、逃げ出したニーナ様に心から同意したい気分だった。


 ドレスとお化粧は、いい。

 相変わらず貴族女性のお洒落のセンスについてはイマイチ自信がないけど、それでも何とか基本はわかってきたつもりだ(今日のドレスもいくつかあった候補から僕が選んだのだ)。


 いつもよりコルセットの締めつけはちょっときびしいけど、これも身体のラインを綺麗に見せるためなら我慢できる。せっかくの御披露目デビュタントなんだし少しでも魅力的に見せたいというのが人情おんなごころだし。


 「正式な礼儀作法に則った振る舞い」というのも問題ない。

 なにせ、そのためにこそ僕はこの一ヵ月間毎日毎日礼法の先生に厳しい教えを受けてきたのだ。その成果が試せる、言わば発表会だと思えばさして苦にならない。食事時の作法、令嬢らしい時候の挨拶、ダンスの女性パートに至るまでも、抜かりはない。


 言葉使いも同様だ。

 (コホン……)伯爵家の娘にふさわしい典雅な言葉使いでお話しすることも、今のわたくしには、さして難しいことではありませんから。


 それでは、何が苦痛かと申せばですね……。


 「いや、さすがはかつて王国有数の美姫と謳われしキルシュ・ヴァッサー夫人の娘さんだ。お美しい!」

 「貴女のような典雅なレディが社交界にデビューなさるとはうれしい限りですな」

 「うむうむ。巷には、ニーナ嬢に関するあまりよろしくない噂も流れておりましたが、まったくの虚報でしたな」

 「まったくです。大方、口さがない輩の嫉妬からくるいわれのない中傷だったのでしょう」


 ──おべっかとおべんちゃらばかりを口にしつつ近寄って来られる殿方の視線が耐え難いほどに不快です。

 おそらくは「じゃじゃ馬令嬢」の噂を聞いて好奇心半分で来たクセに、いざ““実物”を目にすると、意外におとなしく、また想像以上の美貌の持ち主であったことから、よからぬスケベ心を刺激されたのでしょう。


 幸い、私は今日の主役でもありますし、背後にお父様とお母様が控えてらっしゃるので、あまり無体をおっしゃる方はいませんが──逆に主役であるが故に壁の花となって場を離れるわけにもいきません。

 内心の不快を押し隠しつつ、笑顔でお客様方をねぎらわねばならないのです。


 しかも、このあと最低でも一曲は殿方をパートナーに踊らないといけないのですが──周囲のどの男性も正直私としては遠慮させていただきたい輩ばかりです。


 (はぁ~、どうしたものでしょうか)


 とりあえず、若い年代の方は除外ですね。ヘンな期待や誤解をさせてしまうと厄介ですし。

 年かさの方の良識に期待したいところですが……望み薄ですか。

 最悪、偶然を装ってお尻に触られるくらいの被害は覚悟しておくべきでしょうか──と、あきらめ気分でいた私でしたが、突然広間のお客様方の歓談が途絶え、動きが止まりました。


 「え?」


 カーテンを引いたように、ゆっくりと人波が割れ、その先にはひとりの男性──おそらく20代前半から半ばくらいの青年貴族が、こちらに向かって足を運んでいました。


 「あ、あの方は!」


 私の中で“泰然自若”の代名詞とも言えるお父様──ゴート伯爵が、低い声で微かに呻きを漏らします。


 「本日は、ゴート伯爵の愛娘が御披露目されると聞いたのでな、オレも祝いに来させてもらったぞ」


 青年の所作は極めて洗練されていましたが、その物言いは至極砕けていて、どこか不遜で、非常にアンバランスに感じられました。


 黄金というより焔、あるいは獅子のタテガミを思わせる金色の髪をなびかせた、紅玉のような赤い瞳の持ち主です。背も高く、顔立ちも整ってはいるのですが、単に美形、美男子と呼ぶには、何と言うか、そう、いささか“不敵”な印象を受けます。


 黒地に金糸の縫いとりのある軍服──それも近衛騎士用のものを着用されているので、第一近衛騎士隊長を務めるお父様ゆかりの方なのでしょうが……。


 「ギ……エル・キドー殿、我が娘のためにおいでくださるとは汗顔の至りです」


 いまだかつて見たことがないほど、お父様が困惑されているのがひしひしと伝わってきます。


 「何、“同僚”の娘の晴れ舞台くらいには顔を出すのが礼儀というものだろう。して、コチラがくだんの娘御かな?」


 私に向けられた視線自体に決して敵意や威圧感が籠っていたワケではないのに、思わず背筋が震えるのを感じます。まるで表情や顔を透過して魂の底を見極められているような……。


 しかし、その感覚が逆に私──いや、“僕”の心を奮いたたせた。

 こちとら半人前とは言え、まがりなりにも騎士見習、相手がモンスターや亡霊の類いであってもおいそれと怯えを見せるワケにはいかないのだ。まして、(たぶん身分が高いとは言え)人間相手にビビってなんかいられない。


 僕は改めて心の中で“私”としての仮面をかぶり直して、青年の前に進み出た。

 ドレスの裾を両手で摘み上げ、完璧な貴婦人之礼カーテシーをとりつつ、挨拶する。


 「お初にお目にかかります。ガンツ・ホリィ・フォーン・ゴート伯爵の長女、ニーナ・ウィラム・フォーン・ゴートですわ。本日は当家主催の舞踏会に御足労いただき、誠にありがとうございます。

 失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 その瞬間、“私”を値踏みするかのような青年の視線に、僅かにおもしろがるような色が混じった。


 「ふむ……(名前、か。改めて問われるのは久方ぶりだな)」


 相手の沈黙に少しだけ不安になる。


 「あの……?」

 「ああ、これは済まぬ。確かにホストの娘にして今夜の主役である淑女だけに名乗らせるのは、いささか礼を失するな。我の名は──メッシュ。メッシュ・エル・キドー。貴女の父上と同じく近衛騎士団に勤める者だ」


 「以後お見知りおきを、マイ・レディ」とパチンとウインクして見せる青年──メッシュさん。傍若無人なだけかと思いきや、案外ユーモアもあるみたいだ。

 自分の中で、先程までのマイナス印象が一気にプラスに転じるのがわかる。


 「では、互いの名乗りを済ませたところで、一曲お相手願えるかな?」

 「ええ、喜んで」


 だからだろうか。断わられることなどまるで考えていな風に何気なく差し出されたその手を、僕──“私”は、ごく自然にとって、気が付けばエスコートされるまま広間の中央に歩み出ていました。


 タイミングを見計らって、楽団が円舞曲を演奏し始めます。

 内心自分の行動に驚きつつも、外観には露ほどもその気配を表さず、私は慎重にダンスのステップを踏みました。


 「ほぅ、ゴート伯令嬢は、なかなかおもしろい猫の飼い方をされていると見える」


 こちらも巧みなステップで私をリードしつつ、メッシュさんはニヤリと笑い、そんな台詞を嘯きました。お世辞にも行儀が良いとは言えぬ振る舞いですが、なぜか不快感はありません。


 あるいは、この舞踏会に来た方々の大半──もしかしたら、ほぼすべて(それには私も含まれます)が本心を偽り、虚礼に終始していたのに対し、この方だけが飾らない本心を(少々無作法ではありますが)さらけ出していたからかもしれません。


 「おや──初対面の相手に、なかなか失礼なことをおっしゃいますのね」


 私はワザとらしく驚き、眉を吊り上げて見せました。無論、お互い「ワザと」だとあからさまに理解しています。


 「ククク──そら、そういうところがだよ。ありきたりの貴婦人なら、ここは本気で憤慨するか、あるいは逆に委縮してみせるのが常套セオリーだぞ?」

 「まぁ、参考になりましたわ。これで、また私の飼う“猫”が新しい芸風を身に着けることでしょう」


 傍目には仲睦まじく優雅に踊っているように見えたであろ私達でしたが、互いの耳元で囁いているのは、そんな気の置けない友人同士のようなやりとりです。

 そのせいでしょうか、先程までの不快さも忘れて、結局3曲立て続けに踊ってしまいました。 


 さすがに少々疲れてきたので、彼にエスコートされて休憩がてらバルコニーへと出ます。


 「お嬢様、こちらを」


 タイミングよく、私付きの侍女セイラが、銀盆に載せたシャンパンのグラスふたつと軽いオードブルを持って来てくれました。


 「ああ、ありがとう、セイラ。それと、お父様達には「しばらく席を外します」と伝えてもらえるかしら」

 「はい、畏まりました」


 私と彼女の会話をメッシュさんはおもしろそうに見ています。


 「ふむ。やはり、貴女そなたは、なかなか興味深い。普通の貴婦人なら、自分の家はおろか他家のメイドにさえ、あのように礼を言ったり依頼したりはせぬものだ」

 「それは、その方々の躾がなっていないのですわ。たとえ身分がどうあれ、うれしい事をしてもらったらお礼を言い、頼みたいことがあれば“お願い”するのが、むしろ真の礼儀マナーと言うものでしょう」


 ──とそんな具合で、会話が弾みます。

 他にバルコニーに出て来る方もいなかったので、小半時ばかり私はメッシュさんとの楽しいひと時を過ごすことができました。


 「おっと、さすがにこれ以上、主役を独占していると貴女の父上に恨まれそうだ」

 「そう……ですね。いささか残念ですが」


 こんな風に、「友人同士の気楽な会話」をしたのは久しぶりでしたから、余計に名残惜しいです。


 「こらこら、淑女が簡単にそんな目付きをするものではあるまい。男にいらぬ誤解をさせるぞ?」


 メッシュさんが苦笑しつつ忠告(?)してくださりますが、正直、意味がよくわかりません。


 「???」

 「やれやれ。本気でわかっておらぬようだな」

 「はぁ、恐縮ですが」


 トンチンカンな答えを返した私に呆れつつ、まるで幼子でも見るような優しい目で見つめるメッシュさん。


 「つまり……こういうコトだ」


 グイッと彼の胸元に抱き寄せられ、メッシュさんの顔が私の顔に近づいて……。


 「えっ? えっ!?」


 ビックリして目を見開いたままの私の様子に、再度笑みを深くした彼は、唇──ではなく、軽く額に口づけすると、さっと身を離しました。


 「今までは貴女は公的には“子供”として扱われていたが、今宵からはまがりなりにも一人前の“淑女”とみなされるのだ。あまり不用意に男に気を許すのは感心できぬな」


 そう言い残すと、そのままクルリと後ろを向き、立ち去ろうとされています。


 「あの……えっと、御忠告、ありがとうございます…?」


 こういう場面で何と言えばよいかわからなかったため、そんな言葉しか出てきません。


 ガクリと、たたらを踏んだメッシュさんは振り返り、心底呆れたような──けれど、楽しそうな笑みを浮かべています。


 (クックッ……成程。そうくるか。いやいや、確かにらしいと言えばらしいが)


 「また、お会いできますか?」


 せっかく出来た殿方の友人(ですよね、私たち?)と、これっきりと言うのはいささか寂しいですから。

 再び虚を突かれたような表情をしたメッシュさんですが、不敵な笑顔とともに大きく頷いてくださりました。


 「ああ、無論だ」


 * * * 


 春の舞踏会が終わり、お客様が変えられた後、ようやく正装を脱いで気楽な格好に着替えた私は、お父様の執務室に呼ばれて、そこで思いがけない話を聞くことになりました。


 「そ、それじゃあ、メッシュさんは……?」

 「うむ。あのお方の本名は、ギルバート・メッシュ・カイゼルド・エヌマール。我らが仕えるエヌマール王家の第三王子にして第五王位継承者だ」

 「お、お父様の“同僚”だと……」

 「殿下は第二近衛騎士団の団長でもあるからな。間違ってはおらぬよ。ちなみに、エル・キドーは殿下の母方の姓だ」


 わ、私、王子様とお友達になっちゃったんですか!?

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