デッドロックラブ

@naha_co

第1話

 目の前に広げられた教科書に、お手製のプリント。「わからない」と言えば、一つ一つ、綺麗な声で懇切丁寧に解説してくれる。それが聞きたくて、あたしはわざと理解が出来ないふりをしては、その怜悧な声を引き出して堪能する。学校の授業はいまいち集中できないのに、もしもこの声で授業をされれば、それだけであたしの成績だって上がりそう――そんな、先生に少し失礼な考えまで湧いてくる。

 ――ううん、やっぱり、逆に下がっちゃうかな。

 横目に声の主を伺えば、その声に違わぬ美しい横顔が映る。髪を抑える左手が それだけで妙に艶めかしく感じてしまうのは、あたしの下心の所為だけではないと思う。これだけ綺麗な人が先生だったら、あたしだけでなく、殆どの生徒はその姿に見惚れて授業など手に付かなくなるに違いない。


 あたし、清泉真理亜はこの休日を利用してファミリーレストランに来ていた。なにも遊びに来ているわけでは無い。受験勉強のため――一応、名目上はそんな理由で。実際は幼馴染の九紀織美ちゃんと二人きりで過ごしたかったというのが本当のところだ。

 織美ちゃんはあたしよりもふたつ年上で、物心が付く頃にはすでに仲が良かった。元々はあたしの姉が織美ちゃんと同じ年で、二人が一緒に遊んでいるところにあたしも混ざるような形で仲良くなったのだ。それ以来、姉と織美ちゃん、そしてあたしの三人は何をするにも一緒だった。

 2つという年の差は中々に大きいもので、今現在でもあたしを悩ませている。小学生の頃、二人の学年で宿泊学習があると、あたしも行きたいと泣いて駄々をこね、二人が中学校に入学するときも散々泣いて引き留めた記憶がある。それは何も学校行事だけではなく、やはり、様々なことであたしと、織美ちゃんたちの間には壁があるように感じてしまうのだ。織美ちゃんにとって、あたしは「友達の妹」でしかないように。

 現在、織美ちゃんは姉と同じ高校に通っている。あたしが志望する高校でもある。先生からはもう少し良い学校も狙えると言われたが、家から近くて便利で、何よりも二人と1年だけでも共に通えるというのが最たる理由だった。

 そういうことで、最近はこうして織美ちゃんに時間があるときに勉強を見てもらっている。いつもはあたしの部屋に来てもらっているのだが、今日は姉が恋人を――彼女を――連れてきていた。そう、姉は女子同士で付き合っているのだ。元々、男子をとっかえひっかえしている奔放な姉だったが、まさか女子にまで手を出すとは思わなかった。しかも、今までとは違い、今回はどうも本気で恋しているように見える。そして、その事実が棘となり、今あたしの隣にいる織美ちゃんを――そしてあたしも少しだけ――苛んでいる。

 そのせいか、あたしたちと、姉の彼女を含めた4人は少し複雑な想いが絡み合っている。別に仲が悪くなったという訳では無いけど、姉は織美ちゃんやあたしと遊ぶよりも彼女を優先するようになったし、織美ちゃんも姉と遊ぶのを控えるようになってしまった。そのお陰であたしは織美ちゃんを独り占めできるのだが。

 だから今回のように4人が我が家に集まっても、みんなで一緒に遊ぶなんてことはなく、別々の部屋で過ごしている。とはいえ、それぞれ別の部屋にいるとはいえ、同じ家の中に居ながら別々に過ごすというのもなんだか変な感じがする。あたしも織美ちゃんもなんとなくそれに気まずさを感じ、仕方なく適当なファミレスに来ているのだ。最初は部屋よりも落ち着かないと思っていたものの、人の少ない時間帯ということもあって、意外にリラックスできる。長居してしまうのはお店の人には少し申し訳ないが。


 勉強を見てくれるとなると、織美ちゃんは本気になった。元々、あの馬鹿な姉と同じ学校に通っているのがおかしいほどに成績はよかったのだ。そのノウハウを懇切丁寧にあたしに伝えてくれるどころか、最近ではこうして自作のテストを用意してくれるまでになった。

 目の前に広げられたものはあたしの為に用意されたもの――だけれど、あたしはそんなものよりも、隣でペンを回す器用な手許の方に目を奪われていた。あたしもそれを真似してみるけれど、定価の半値で購入した謎のキャラクターの描かれたピンク色のシャープペンは、あたしの手を嫌うように暴れ、ちゃぷん、と音を立てて見事にアイスティーの中へと吸い込まれていった。

 同じようにしたつもりなのに、全く上手くいかず、ストローと仲良さそうに並ぶシャープペンに視線を遣りながら僅かに眉を上げた。

「斬新なストローねぇ」織美ちゃんがくつくつと笑いながら、こちらに数枚の紙ナプキンを寄越した。

「シャーペンも水浴びしたかったみたい」あたしは適当な事を言いながら、水没したペンを拾い上げ、ナプキンを巻き付けるようにして、二度、三度と綺麗に拭った。

 見事にペン先から浸かったお茶を見て、どうしようかと逡巡する。あたしはそこからストローを抜き取り、織美ちゃんの飲んでいたアイスティーのグラスへと移した。

「ちょっと」横目に織美ちゃんが非難の視線を向けてくる。

「だって、ペンが浸かったお茶は飲みづらいし」本当は全然気にならないけれど。

「おかわりしなさいよ」

「今勉強中で、手が離せないから」

 織美ちゃんはため息を吐くと、手付かずのままだったガムシロップとフレッシュを入れてかき混ぜた。

「良いの?」

「あなた、甘い方が好きでしょう」からんからんと氷同士がぶつかり合う気持ちの良い音を響かせながら、茶色く透き通っていたアイスティーは次第に淡いパステル色に濁っていく。織美ちゃんはそれを少しだけあたしの方に寄せた。

 ――このミルクティーと、織美ちゃんは、一体どちらが甘いのだろう。

 そんな事を考えてしまう程に、結局、織美ちゃんは甘い。

「うん。大好き」どこから見ても美人と形容できる端正な顔立ちを横目で盗み見ながら、あたしは呟くように言った。

 ――何度見ても、どの角度から見ても美人だなぁ。

 姉もかなりの美人だと思うが、織美ちゃんもまたとんでもない美人だ。

どこか冷たさを感じさせるその麗姿は、一度話せばその印象を一転させるだろう。本当の彼女は、ちょっとシニカルなところもあるけれど、実の姉以上に世話焼きで、悪戯好きで、よく笑う、可愛らしい人。

 姉と並んで歩く様は、全くタイプの違う美人というふうに非常に絵になって、あたしはこっそりと憧れていたものだ。


 綺麗に並ぶストローは色も形も全く同じ。どちらがどちらのものか、あたしには判別がつかなくなってしまった。片方はうっすらとリップの跡がついているけれど。そういえば、カクテルなんかでは小さなストローが2本差してあり、その両方使って飲むのが正しい飲み方だと聞いたことがある。あたしは2本ともに口を付けると、ゆっくりと吸い上げ、少しずつ飲み込んだ。

 少しわざとらしかっただろうか。視線をゆっくりと織美ちゃんの方に向けると、訝しげな表情で眉を顰めていた。

「お洒落な飲み方ねぇ」織美ちゃんは皮肉っぽく言った。

「ストローが2本ついているときはこうして飲むのが正解なんだって」

「どこで覚えてきたのよ、そんなこと」怪訝そうな半目があたしに向けられる。そして、織美ちゃんは得意気な笑顔を見せ、「こういうのは、カップルで飲むものなのよ」

「あ、それも良いかも」あたしは織美ちゃんの方にグラスを動かした。丁度、あたしと織美ちゃんの間になるように。「はい、織美ちゃん」

「やらないわよ?」

「えー」あたしは非難の声を上げた。「昔、こういうの憧れなかった?」

 織美ちゃんは「ああ」と懐かしむような声を出した。「確かに。憧れてたかもね」

「その憧れが今!」

「私が憧れていたのは、もっとキラキラしてて可愛い感じだったわ」

 織美ちゃんの言うこともよくわかる。きっと彼女の想像するものは、お洒落なグラスに、ストローはハート形なんかにぐるんとカールして、中身も彩の良い綺麗なジュースだったりするのだろう。対してこれは、普通のグラスに、ストローも味気の無い真っ白なもの。中身だってただのミルクティーなのだから。

「ね、お願い」あたしは甘えたように言った。「一回だけ!」

「はぁ」織美ちゃんは呆れたように息を吐いて、言った。「仕方ないわね」

「やった」

 なんだかんだ言って、やはりあたしに甘い織美ちゃんに感謝する。こんなごっこ遊びでも嬉しいものは嬉しいのだ。

 短いストローをお互いに両側から咥える。今が閑散としている時間帯で良かった。傍から見れば、何を馬鹿やっているのだ、と思われる事は間違いない。いや、しかし、これはこれで悪くないはずだ。それに、普通のストローだからこそ、これだけ距離が近くなる。こんなに至近距離で織美ちゃんの顔を見たのは初めてかもしれない。間近で見ると、すっと伸びる切れ長の瞼と、それに守られたアザーブルーに澄んだ瞳の美しさに、改めて魅せられる。やっぱり、織美ちゃんの顔は見飽きない。何秒でも、何時間でも、何年でも見ていられそう。そう思っていると、その青い円がこちらに向けられた。一瞬、心臓が跳ねる心地がして、すぐに逸らされてしまった。

 織美ちゃんがストローを離したのを見て、あたしもそれに倣って唇を離した。やけに長かった気がするが、どれだけ中身を飲めたのだろうか。グラスの中のアイスティーは残り僅かだった。しかし、先ほどから殆ど減っていないような気もする。

「やっぱり、物凄く飲みづらいわね」

「普通のストローじゃあ難しいね」

 あたしの言葉に、織美ちゃんがグラスのストローを指ではじいた。はじかれたストローは、グラスの外縁で綺麗に弧を描き、もう一方のストローにぶつかって止まった。2本のストローが綺麗に並んでいる。

 その様子を眺めながら、わたしはほんの少しだけ、織美ちゃんの方に身体を寄せた。


「そんな事より、こっちに集中」織美ちゃんはプリントを指で2度叩いて言った。

「今は休憩中だもん」

「長い休憩ねぇ」

「人間の集中力は、15分しか持続しないんだって」

「屁理屈ばっかり」織美ちゃんがわざとらしくため息を吐いて言った。「一体誰から悪い影響を受けているのかしら」

「織美ちゃん」

 織美ちゃんが大きなため息を吐いた。「紗莉亜と同じ学校に行きたいんでしょ」半目になって言った。

 紗莉亜はあたしの姉の名前だ。それを出され、あたしは何も言えなくなる。

 元々、織美ちゃんに勉強を教わる名目として出したのが、姉と同じ高校に通いたいからだった。けれど、本当は少し違う。姉と同じ高校なら、制服や教科書なんかはお下がりを使えるたり、いろいろと楽だからというのもあるので、まるっきり嘘というわけではないのだが、本当はもっと別の理由がある――織美ちゃんと一緒に登校したいという、すごく小さな理由が。たった1年にも満たない、短い間だけでもいい。学年も違うし、織美ちゃんたちは大学受験があって、これまでのように一緒にいる事も難しいだろうけど。それでも、その限られた時間を、少しでも一緒に過ごせるようにはなりたいから。そんな短い時間で、何かが変わるとは思えないけれど。それでも、一緒にいることで、少しでもあたしを意識してくれたら――

「うん」あたしは頷いた。「行く。絶対」


 織美ちゃんが姉に想いを向けていることにはあたしも気付いている。何せ、織美ちゃんが姉を見ているのと同じくらいの時間、あたしも織美ちゃんを見ていたのだから。奔放な姉が新しい彼氏を作る度、呆れた素振りを見せながらも、ひっそりと心で涙を流していたことにも気付いている。そして、突然彼女を作ったときも。どうして、って、きっと何度も心の中で問いかけたのだろう。

「あたしにしときなよ」って、何度も口を衝いて出そうになった。その度にあたしは必死にそれを飲み込んだ。

 よく「似ていない姉妹だ」と言われるし、あたし自身、顔も性格も然程似ていないとは自覚しているけれど。それでも、少しは似ているところもあるだろうし、少なくとも、同じ血は流れているのだ。

 ――だったら、あたしにすればいいのに。

 織美ちゃんは今、同じ女なのに、どうして自分では駄目なのだろう――と思っている。けれど、それは今まであたしがずっと秘めていたものだ。

 ――どうして姉なのだろう。どうして同じ血が流れているあたしではだめなのだろう。

 向こうが素直に男子を好きでいてくれたなら、多分もっとあっさりと諦められたのだろう。仕方ない、それが普通だって自分に言い聞かせて、不毛な恋よりも新しい恋に花を咲かせることだって出来たかもしれない。何度も悩んだ。答えなんてとっくに出ていても、それでも繰り返し悩んだ。悩んだ分だけ、織美ちゃんに想いが伝わればいいのに。

 本当はわかっていた。姉とあたしは別の人間なのだから。例えあたしが生き写しのように姉とそっくりだったとしても、きっと織美ちゃんは姉に恋をして、やはりその想いがあたしに向くことは無かっただろう。


 印刷された問題を解こうとして、手を止めた。

 視線をプリントに向けたまま、「あたしって、お姉ちゃんに似てる?」

「何言ってんのよ」織美ちゃんはくつくつと笑って言った。「紗莉亜よりも、よっぽど可愛いでしょ、あなた」

 自分で聞いておいて後悔してしまう。それはあたしの聞きたい言葉ではない。あたしの予想通りの、少しだけ嬉しいけれど、かなり残酷な言葉だった。

 ――もういい。もう、変な事を考えるのはやめにしよう。この問題に集中すれば、余計な事など考えなくて済むだろう。少なくとも今日は。そして、きっとまた夜に1人であれこれ悩んでしまうのだ。哲学者のように延々と悩み続けて、ベッドに入った後もずっと悩んで、寝不足に泣いちゃったりして、それでも織美ちゃんの事が好きで――

 集中したつもりで、意識は少しも問題に向いていない。少しも解けていない。ただ、空白に何度も押し付けられたシャープペンの芯の跡が、まばらに亜鉛を散らしていた。

 ――いけない。今度こそ集中。

 自分に言い聞かせて、問題に向き合おうとする。

「紗莉亜でさえ行けた学校なんだから、そんなに心配はいらないと思うけれど」そう言うと、少し間を置いてから、「万が一、ってあるでしょう? 私だって、1年だけでもあなたと一緒に通いたいのよ」

 冷たい手が、あたしの髪を2度、3度と撫でた。

 ――本当に狡い。

 ようやく問題に集中できると思ったのに。これでは、またそれどころではなくなってしまう。ため息を吐く代わりに、手の中でペンを弾いてみる。親指を軸に綺麗に一回りしたそれは、その勢いのままあたしの手を離れ、ころころとテーブルの上を転がりまわっていった。

「何やってんのよ」織美ちゃんは呆れを隠さずに言った。

 その通りだ。呆れられても仕方がない。けれど、あたしが織美ちゃんの真似ばかりしている理由に、織美ちゃんは気付いているのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

デッドロックラブ @naha_co

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ