第7話 偉くなる方法とは
「ジルくーん。そろそろ行こう。今日はいつもと反対方向のとこにしよっか」
休日の夕方、二人で食事に行くのはすでに定番化していることだ。大体は勧められるがまま飲んでしまい、お酒の力で普段より饒舌になり、俺のこれまでの人生のことはほとんど喋り尽くしてしまった気がする。
それでもまだ話し足りない。でも俺は話題が豊富な奴じゃない。仕事の話ならどうかというと、内容自体は同じことの繰り返しがしばらく続き、新しいことを教わってからまたしばらく続くのが通常なので、目新しい話題というのは増えにくいのが実状だ。
というかあまり仕事の話はしたくない。休日だし。愚痴ばっかりになりそうだし。でも話したい、しかし何を、という気持ちになりいつも話題を探しているのが常なのだが、今日は聞きたいことができた。今一番熱い話題。あの工房長のことである。
「ねえクラースさん。工房長ってなんで偉くなれたんですかね。俺が今触ってるような魔道具のガワくらいしか作れないって先輩方がぶっちゃけてたじゃないですか。あれ内心めちゃくちゃ驚いてて」
「あー、それねえ。ジルくんはさあ、上の人に引き立ててもらうのってえ、どうやってすればいいかわかるー?」
ソファー席に座るのが基本であるこのお店には、天井に沢山ぶら下がっている硝子製の灯りたちが一番の見所らしい。
世の灯りという灯りは全て、魔力を通して光らせている。この妖精を閉じ込めたような硝子球は、燻し金の繊細な細工で囲われ美しく彩られている。
遠くから見ると変わったシャンデリアのようであり、近くで見ると星魚の鱗がたっぷり入ったスノードームのようである。ひとつひとつがチカチカと、よく見るとわかるくらいに優しくほのかな点滅を繰り返す。
その光の微かな点滅の下で、クラースさんはすでに軽く酔っている。幼くなった話し方で俺の質問に質問で返してきた。しかもなんか難しい。偉くなる方法ってなんだろう。
「まず運ね。聞いた話になるけどさー、あの工房長が下にいたときって偉い人が色々動いてた時期でさあー。ガワ作りだけは上手かった当時の工房長にすぐ白羽の矢が立ったわけー」
上が変わって一時的な人員不足に。外部から人を呼ぶこともあるが、当時そこで活躍できていた工房長が、たまたま下から引き上げられた。そして。
「あの人、なんでも人のせいにする癖あるからさー。あれこれと指導の体で失敗を部下になすりつけたり、手柄を取ったりしてるうちにあれよあれよと工房長へ。すごいよねー。関心するわー」
「いや全然凄くないです。めっちゃ嫌な奴じゃないですか。あんな灰羽根猿みたいにちっちゃくて怯えた目ぇしてるくせに」
「灰羽根猿のがかわいいけどねー。それだけじゃないよー。上がこうしろって言ったらダメなことでもホイホイやってた。几帳面な仕事ができて周りに慕われてる奴より、上の言うことはよく聞くけどいつも一言余計で、周りから嫌われてる奴を優遇したり。とにかく上の指示だけには忠実だったらしいよねー」
「ますます嫌な奴じゃないですか。俺だったら昇進なんかさせませんけど」
「言ったじゃーん。上に忠実。偉い人が欲しいのってそーゆー人なんだよねー。あと昇進意欲。成り上がりたい人のことね。逆にー、不正とか、間違いとか、そーゆーの指摘できる優秀な気の利く人はお邪魔虫なのー」
「えっ……? じゃあ忠誠を誓えばいいんですか? 一応敬ってるつもりですけど。先輩方とはもう修復不可能っぽいですが」
「んーん、ちょっとちがーう」
忠誠と忠実。どちらも真心を込めて相手に仕えるという意味ではある。しかし少々の違いがある。
特にこの話でいうところの忠誠とは、嘘がなく誠実であり正確性があること。対して忠実とは、正確性があることまでは同じだが、なおかつそれが多少人道にもとる行為であったとしても実行に移せること、という意味が付随する。それが上の希望ならば何だって。
つまり、真心なんかなくてもいい。内心どう思っていたって構わない。とにかく素直に言うことを聞く駒が欲しい。破天荒だったり、改革派のエースなどは求めていない。都合の良い者が居てくれればそれでいい。
下の者をうまく駒として使える者。上には従順な駒として振る舞える者。それが欲しいと思っていると。
「前向きな意志のない、現状維持をとにかくしたがるうちみたいな工房ってさ。こういう価値観がはびこってることがままあるんだよ。責任感も几帳面さも求められてない。性格の良さとかも昇進には関係しない。……んでもー、オレはこれ以上しょーしんするよていないからー、いいこのジルくんとー、たのしくしごとできればそれでいいー」
クラースさんは話の内容が深くなるにつれて素面のハキハキした話し方に戻ってきてはいたのだが、気が抜けたのかまたふにゃふにゃした感じになってしまった。身体もまたゆっくりと、確実に傾いてきている。
いつものことだが、クラースさんは酔いが回ると話し方の速度が落ちて、舌っ足らずになってゆく。彼が話しながら掴んでいるグラスをなんとなく見ていたが、いつもより多く飲んでいる気がする。もうそれで終わりにしましょう、と言いかけたときだった。
「ジルくん、これ……、これよろしく……」
「あ、お会計ですか? いいですけど、今日こそ半分払いま……クラースさん?」
クラースさんはおもむろに腕を組み、ぼてりとソファーの背に頭を預けてすやすやと眠ってしまった。いや、これ、どうしよう。酔って寝た人ってどうやったら起きるんだ。でも起こさなきゃ。泥酔していると思われると、衛兵を呼ばれてしまう。
とりあえず黙って半分出して支払いを終え、連れが疲れてるみたいだからしばらく居させてくれと店員に心付けを渡しておいた。この場はどうにかしのいだが、これは本当にどうしよう。身体を揺すっても起きやしないぞ。
「クラースさん。クラースさん、寮の門が閉まっちゃいますよ。衛兵が来たらまずいですよ、クラースさん」
「ん……えいへい? どこ? いないじゃーん。うそついたー」
「いや今から呼ばれちゃいますってば……あっ、えっ」
クラースさんは一瞬起きたが、とろんとした目を開けたと思ったらまた眠った。斜め横、ソファーの延長線上に座っていた俺の膝の上に突然倒れ込んで。
その後もがっつり枕にされ、でかい声が出そうになったがここは寮の部屋じゃない。口を塞いで我慢した。
うわあ、なんだこれ、子供みたいになっちゃってるぞ。気持ちよさそうに眠りこけて、意識がないのに微笑んでる。温かい。あ、耳が赤い。橙色の灯りに照らされた髪の色は、茶色とも紺色ともつかない不思議な色になっている。
その真っ直ぐな髪はサラサラと下に流れ、うなじが全部見えている。その首筋が寒そうで、思わず手を伸ばしてしまった。
うわ、この髪、気持ちいい。少し手櫛を入れて浮かせただけで、指の間からするりするりと逃げてゆく。柔らかすぎず硬すぎず、つやつやしてて綺麗だな。短いのがもったいないくらいに。夢中になって触っていると、ふとテーブルの上のグラスに自分の姿が映っているのに気がついた。
いやいや、俺は何をしているのだ。勝手にお触りするのは駄目だろ。クラースさんを起こさなきゃ。……ああ、でも、もう少しだけ。あとちょっとこのままで。
眠っているのをいいことに、好き勝手に髪を弄り倒していると彼は突然パッと目を覚まし『えっ、今何時?』と呟きながら起き上がった。最初は少々ふらついていたが、支える必要もないくらいだった彼と無事に店を出ることができた。
「俺寝てたよねー。重かったでしょ、ごめんねー。なんかさー、妙に気持ちよくってさ。エロい夢でも見たかもしんなーい」
それだけ言い残したクラースさんは、さっさと自室へ帰っていった。
エロい夢ってどんなのですかー、詳しくー
、なんて軽口くらい叩けばよかった。無駄な意識ばかりしていると、今後居づらくなるかもしれない。彼が。俺が。もしくは同時に。どれもあり得ることである。
そう自分に言い聞かせてはいたのだが、モヤモヤした気分のまま眠りにつくのは大変だった。灯りを消して目をつむっても、胸の内側に纏わりついたその感情が主張する。それは意識を手放す瞬間まで、消え去ってはくれなかった。
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