第6話 貢ぎすぎるべからず
しまった。ここ、どうやるんだっけ。ひとつはちゃんと仕上げたのに。仕様書を見ても図面を見てもわかり辛い。ここだけ複雑なんだから、全体図だけじゃなく拡大図もつけてしっかり解説してくれよ。
作っている途中である手元の魔道具を形作るガワ部分は、立体パズルのピースのような複雑な構造のものである。最初にクラースさんに手本を見せてもらったが、記憶だけに頼らないで、しっかりメモを取っときゃよかった。
だが帳面にはもう書けるところが少ない。調達しなければと思いつつ、後回しにしたツケである。
現在、クラースさんはよその班を手伝っている。彼には聞けない。周りも目の前のことに一生懸命。仕方なくひとりで図面をああでもないこうでもないと読み込んでいると、突然後ろから思わぬ人の声がかかった。
「んもー、何やってんの! これはこうやって削るんだって! 刃が違う! こっちだよ! こうやってこう! いい加減覚えてよね!」
「すみません、さっきまではちゃんとできてたんですが」
「覚えてなかったら意味ないよー! ほらもっかい! こうやってここ固定して! そこじゃない、こう!」
「す、すみません。できればもっとゆっくりでお願いします…」
声をかけてきたのは工房長である。昨日の夜奥さんと喧嘩して負けたらしいから今日は絶対機嫌が悪いぞ、という噂を聞いてしまったので一応気にはしていたのだが、まさかの俺が捕まってしまった。
見た目も中身も気の弱いことが伺えるうちの工房長は、奥さんには特に頭が上がらないらしい。ここで一番偉いのに。それを主張するかのように工房長の長い叱責は続いていた。
仕事のことで叱られるのはまだわかる。でも顔がどうとか、愛想がどうとか言われましても。今はそのこと全然関係ないじゃんか。あとさっきから俺と全然目を合わせてないけど、この人気づいてないのかなあ。
「すみません、ちょーっと待ってください。どうしました?」
「どこ行ってたんだよクラースくん! しっかり教えてやってよね! 全然身についてないじゃんか!」
「はい、そうですよね。すみません。すぐにオレが代わります」
「わざわざ君みたいなのを雇ってやってんだからさ! しっかりしてよね! ジルヴェスターくん、君もだよ! あの先生のお願いだから僕は受け入れたんだからね!」
おっと、また冤罪の臭いがプンプンとしてきたぞ。やはり俺みたいな不良を教頭先生が押し付けてきた、みたいな構図になってたんだろうな。工房長の中では。
顔合わせのとき、この子ヤバい子なんじゃない、みたいな思いが表情に表れまくってたし。このいかにも気の弱そうな工房長、手がプルプルしてたしな。
でもクラースさんに対して『君みたいなのを雇ってやってる』って一体どういう意味なんだろう。彼は紳士で品行方正。そんな言われ方をされるような人じゃない。言いがかりもいいところである。
一方的な叱責をぶちまける工房長と、謝罪の姿勢を崩さないクラースさん。終わりが見えないやり取りをハラハラしながら見守っていると、しびれを切らした他の先輩たちが横から後ろから、肩を揺らしながら近寄ってきた。なんか迫力がある。圧が強い。
「おいコラ、工房長様よ。てめぇ八つ当たりしてんじゃねえぞ。おめーがこいつくらいしかまともに作れねえのは知ってんだ。昔っから不器用だもんなおめーはよ」
「なあ工房長様。後は俺らがやるから黙って椅子あっためてろよ。おめーがしゃしゃり出てくっと毎回仕事が滞るんだよコノヤロー。納期があんだろ納期がよ。おめーのせいで遅れたら元も子もねえだろが」
「大体奥さんとの喧嘩も全部おめーのせいだろが。娼館通いもいい加減にしろっつったばかりだろコノヤロー。お気に入りの子に貢ぎすぎなんだっつーのエロジジイ。限度があんだろ何事も」
力関係と裏事情、怒涛の暴露大会である。工房長なんだからと自然に敬ってはいたのだが、これからは今まで通り接することができるかどうか。かなり自信がなくなってきた。
クラースさんはといえば、何やら下を向いている。あっ! 笑ってる。めっちゃ笑ってる。肩震えてるし口角が上がってる。ヤバい、もらい笑いしそう。
俺は一応新人だから、神妙な顔をしておかないとまずいのに。顔が怖いから今どんな風に見えてるかは、全くもって自信がないが。
最終的には工房長が『わかったよ、僕が悪かったよ! ごめんねごめんねー!』と言い残して足早に逃げていった。
周りの先輩方は舌打ちしながら去っていったり、クラースさんと俺の肩をボンボン叩いて持ち場にさっさと戻っていった。一件落着なのか? これ。見てはいけないものを見たような。
しばらくボケっとしていると、クラースさんがそっと近づいてきて『面白かったね』
と耳打ちしてきた。触れていないのにほんのりと体温が伝わってくる。
微かに弾んだ優しい声が耳に響いて身体に沁みる。そして彼は人の良さを表している澄んだ目を、いたずらっ子のように細めていた。
そんなクラースさんもすぐ持ち場の方へ戻って行ってしまったが、俺はまるで彼に不意打ちで口説かれたような気持ちになり、そのことで頭がいっぱいになり、爆発しそうになっていた。
いやいやそれはおかしいだろう、何をどう解釈したらそうなるのだ、なぜ突然誤作動したんだ、と自分で自分に落ち着くよう必死になって言い聞かせていた。
思考がぼやけ始めた頭と、止まりそうになる手をひたすらに動かしながら、さすがにもう人に聞くわけには、と必死で手順を思い出し、なんとか形にしてみせた。
まだまだ仕事は続くのだ。終業時間まであと半日ある。その間も、何度も何度もさっきの彼の声と表情が、頭をよぎり続けていた。
うわー、と叫び出したい気持ちに何度もなったがどうにかこらえた。凄い顔をしていたのだろう、近くにいる新人仲間が怯えた視線をチラチラと寄越してきている。
違う、悔しがっているわけじゃない。キレているわけでもない。君に恨みがあるわけでもない。
俺は必死に耐えているのだ。新人が発狂したと思われたら、一番心配をかけるのはクラースさんだし、一番困るのは俺なのだから。
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