第11話 ひなと、るりな


「おーはよ、マコ! 昨日はありがとね~! マジ助かったし!」


「るりな、駄目だって……」


 るりなは翌日、教室に入るなり俺に近づき、大声で挨拶してきた。今までひなとしか関わりのなかった転校生が、突然クラスで一番目立つギャルに声を掛けられているのを見て、教室の生徒達はざわめいていた。


 俺は小声でるりなに注意した。魔法少女だということがバレると厄介だ。しかしるりなは、今すぐにでもそれをばらしそうな勢いだった。


「だーいじょぶだし、肝心なところは言ってないしょ~? ねえねえマコ、今日帰り遊ばん? お家いってい~い?」


「全然ダメ、予定ある」


 るりなはいちいちスキンシップが多く、すぐに抱き着いたり、腕に触れたりしてくる。べたべたくっつくってやつだ。しかし、そのチート級に可愛い見た目を至近距離でまざまざと見せつけられ、柔らかい胸を押し付けられたりすると、思わず股間が……いや、そこには何もない。俺はどこか空虚な気持ちになった。


 るりなは朝から放課後まで、ひたすらべたべた俺にくっついては、そのそばを離れようとしなかった。しかし、魔法少女のことを皆にばらしたりはしなかったし、悪意があるようには見えなかったので、そこまで不快にはならなかった。


 放課後、当然のように廊下の前で、ひなが待っている。あちらのクラスはいつもホームルームが早く終わるようだ。羨ましい。


 しかし、ホームルームが終わったとたん、るりなが机に駆けつけてくる。


「ねえねえマコッち~。放課後無理なら夜遊ぼうよ~。パトロールがてらでもいいからぁ」


「るりな。わかるでしょ? 私にはやらなきゃいけないことがあるんだって。るりなみたいに助けを求めている子が、今日もいるかもしれないんだから」


「ヤーダ。ねぇお願い! 今日だけでいいからさぁ。デートしよ? ね?」


 るりなは腕に抱き着きながら、耳元でねだるようにそう聞いてくる。そんなことをされたらさすがに、俺も股間が……いや……だからそこには空虚しかないんだってば。


「まこと? ずいぶん楽しそうじゃない?」


「あ……」


 ホームルームが終わったから、ひなが廊下から入って来たようだ。るりなに抱き着かれている俺が、なかなか出てこないのにどうやら怒っているらしい。それにしてはいつも以上に激怒している。ヤバい雰囲気がピリピリと伝わってくる。


 やっぱり、ひなはヒステリックな女だ。些細な行動のどこがその逆鱗に触れるか、予想できたことではない。


「もういいわ。今日は仕事は休みで。そんな腑抜けた気持ちで、まともにやれるとは思いませんから」


「お、おい、ひな? どうしてそんなに怒ってるんだ……いつも通りで大丈夫だから」


「えーなにぃ? ひなっち超キレてんじゃん? こわ~い~」


「チッ」


 ひなは明らかに聞こえるように舌打ちすると、その場を去って行ってしまった。今までで一番ブチギレている。怖すぎる。


「えーこわ。舌打ちされたんだけど。私なんか悪いことした?」


「いや……なんか機嫌悪かったんじゃないかな、今日は」


「まあいいや。一緒帰ろう? ね?」


「まあ、そうしよっか」


 そうして俺は結局、ひなが先に帰ってしまったので、るりなと一緒に帰ることになった。るりなは学校を出たこともあり、人目を気にしつつも魔法少女のことを聞いてきた。


「サファイアはさ、毎晩あんなことしてるの? 危なくない?」


「まあ、仕事だからね。お金も出るし。がっぽりと」


「マジ? でもさ、命の危険、あるんでしょ? それ、止めた方がよくない?」


「まあ、往々にして危険な仕事ほど給料は高いもんだよね」


「そういうこと言ってんじゃないし。うち、マコが死んだら悲しいわけだが?」


「……え? それは、ありがとうだけど……」


 いつもの明るさに影が差し、少し憂いを帯びたように言うるりなが珍しく、俺は思わず礼を言ってしまった。


「今日はさ、どの辺回るわけ?」


「んー……今日は西区の方かなぁ」


「もう一人の子は?」


「あー、トパーズは港区だと思うけど……なんで?」


「ねえ、うちも手伝うよ! じゃあ、北区はうちが回るね?」


「駄目に決まってんでしょ。るりなは戦えないじゃん」


「えー、ねぇ、うちも役に立ちたいの! ダメ? 何か見つけたら、すぐ連絡するからさーあ?」


「駄目。魔法少女になれたら、考えてあげる」


 そもそもアビスがどうとか関係なく、るりなくらいの年頃の子が外を出歩くのは危険なのだ。俺はあくまでるりなの申し出を拒否して、その日は別れた。


 その日の晩、待ち合わせ場所の水守公園に行くと、仕事は無しといった割に、やはりトパーズはそこで待機していた。


「フン、来たのね。腑抜けと一緒に仕事をするなんて、最悪だわ。今日は一人でやろうと思っていたのに」


「何でそんなに怒ってんの? 何もしてないでしょ、私」


「うっさいわね、このクソボケ!」


「クソボケは言いすぎだろ!」


「……う、うるさいわね! 色ボケのボケボケなんだから、間違ってないでしょ! 私が港区、アンタは西区。予定通りに行くわよ。ヘマしないでよね!」


 トパーズはそう怒り散らかすと、すぐに高々とジャンプして、港区の方へと向かって行った。


 俺はため息をついて、西区の方へと跳躍した。もしひながバイト先にいる先輩だとしたら、新人が全員速攻でやめていくレベルだろう。まあ、俺は社会人だったから多少は耐性があるし、あまりに割のいい仕事なので辞める気なんてさらさらなかったが。


「サファイア。アビスの反応を検知しました。西区の北側です」


 そんな時、レイレイが、アビスの出現を告げた。


「りょーかい。例の事件とは関係なさそうだけど、普通に仕事しますか……」


 俺はレイレイの指示に従って、アビスが出現した方へと向かった。




ーーー


 その女子高生は、西区でも指折りの進学塾の帰りで、夜風の涼しさを感じながら自転車を飛ばしていた。


 黒髪で飾り気はないが、根が美人なので男子からの人気も高い。その上勉強もできるため、クラスのマドンナだった。

 面倒な勉強を終わらせて夜、自転車で走るのは心地がいいが、川の近くの夜道に虫が飛んでいて、それが自分に当たったりするのはとても不快だった。


 その日は珍しく、虫はぶつかってこなかった。だがその代わりに、もっと危ない物が、彼女に襲い掛かったのだった。


「えっ?」


 べちょっと、重く柔らかく、ねとねとしたものが、その白い太ももに当たった感触がした。

 少女は自転車を走らせながら、足にまとわりついたその未知の丸い物体を、手で払いのけようとした。しかし、それは全然足から離れないどころか、手にベトベトした粘液が纏わりついた。


「やっ……何よこれ!」


 少女は暗い道ではそいつの正体を確認できなかったので、気持ち悪いと思いながらも、街灯の下まで自転車を走らせた。ようやく一本の街灯の下で自転車を止めると、自転車を倒しながら、少女は立った。


 そこでようやく、足に纏わりついたものの正体をはっきりと目で確認した。


 丸い、ピンク色の、大きな桃のような物体は、ふとももに吸い付いて、ドクン、ドクンと脈動していた。その表面は粘液を纏って光沢を持ってつやつやしており、生物のように見えるわりに、顔や頭、尻尾や手足といった期間が一つも見つからなかった。


「嫌ぁー!」


 少女は脳で何かを考える前に、叫んでいた。想像を絶するほど気持ち悪いものが、自分のふとももに纏わりついているのだ。

 少女はその場に倒れ込み、必死でふとももからそれを引きはがそうとした。しかし、粘液でつるつると滑り、全く掴むことすらできない。


「きゃぁー! 誰か、誰か助けて!」


 その助けを求める悲鳴に応じるように、何かが近づく気配を少女は感じた。そして振り向いた途端、べちょっという嫌な感触が、今度は胸にまとわりついた。

 太ももについているのと同じ物が、今度は服の上から胸に吸い付いて、離れようとしなかった。粘液でブラウスが濡れ、透けていく。


「嫌ぁ! 嫌、嫌! 嫌ぁ!」


 もはや正常な言語能力さえ失い、少女はひたすらに嫌悪感から叫んだ。しかし叫べば叫ぶほど、深淵は彼女をいたぶることを楽しむように追いかけてくる。

 べちょっ。べちょっ。彼女の肩に、腰に、さらにピンク色のヒルのようなその生物が飛びついてくる。


「あ……あぁ……」


 少女はそれぞれを必死で引きはがそうとする。しかし、もはやどれから引きはがしたらいいのかすら分からず、狂ったようにあっちもこっちも引っ掻き回していた。

 胸にまとわりついたその生物は、粘液で服を溶かし始めていた。じゅくじゅくと、白いブラウスが薄く、破れていき、その柔肌を大気に晒し、粘液を塗り込んでいく。


「あ、あれ? 身体が……」


 最初に纏わりつかれた太ももから先が、痺れて動かなくなる。手にも徐々に力が無くなり、化け物を引きはがすことはより困難になっていた。


「わ……たし……もう……」


 ヒルのようなその生き物は、ずりずりと身体を這う。するとなぜか、気持ち悪いはずなのに、微かに身体が熱く火照るのを感じた。


「あっ……んっ……そ、んな……」


 そんな時、ようやく彼女を助ける人物が、空から華麗に降り立った。


「ブルー・サファイア、参上!……って、もう変身しているから、言う必要ないんだった」


 少女は自分にとっての救いを、力なく横たわりながらも、涙を流し、呆然と見つめていた。

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