第10話 河菜るりな

「蒼井さんは命の恩人だね。あーてか、蒼井さんって呼ぶのよそよそしいよね。まことちゃんだっけ。マコちゃんだ! あーじゃあ、マコって呼んでい?」


 何だこの子。距離を詰めるのがあまりに速すぎる。マコちゃんだとか、子供のころ呼ばれたきりの呼び方を引っ張り出されて、思わず羞恥心を抑えきれない。


「なんか言ってよマコちゃん~? あそうだ。うち、この辺なんだけど。寄ってく?」


 るりなに抱き着かれて揺さぶられたまま、連続攻撃のようなおしゃべりを受けている間に、二人の傍にトン、と静かに何かが着地する音が聞こえた。


「お前! サファイアから離れなさい!」


 トパーズだ。

 両手に拳銃……デュアルファルコンを構え、こちらを狙っている。俺がるりなに襲われていると思っているのだろう。前回の連絡から、定時連絡がなかったから、こちらに来てくれたらしい。


「落ち着いてトパーズ。この子は襲われてたから助けただけだよ」


「関係ないわ。離れなさい! 話はそれからよ!」


 トパーズは殺意のこもった視線で、るりなのことを睨み続けていた。しかし、るりなとはいうと、全く気にもしていないようで、いつも通りの反応だ。


「え~⁉ もう一人来ちゃった! あんたは何て魔法少女なの? ねぇねぇ!」


 飽きたかのように俺を離すと、るりなはとたとたとトパーズの方へと無防備に近寄っていく。トパーズもさすがに面食らったのか、銃は構えつつも撃つつもりはないようだ。俺の時とは違い、別のクラスということもあるからか、トパーズが、ひなだということは気づいていないようだった。


「な、なんなの? コイツ」


 戸惑いながら聞いてくるトパーズに、俺は答える。


「河菜さん。同じクラスの子だよ」


「ちょっと、マコ。うちのことは、るりなって呼んでよ。よそよそしいじゃん!」


 よそよそしいというか、よそなのだ。ほとんど先ほど初めて喋ったようなものだろう。しかしるりなにとっては、一度話せばその距離感が普通らしい。


「マコ……? 今、マコって?」


 信じられない、という顔でトパーズは俺の顔とるりなの顔を交互に見る。たかが名前を呼んだだけなので、そこまで驚く事でもないだろうとは思うが、驚愕で言葉が出てこない様子だ。


「ねえねえ、何て名前なの? 銃じゃん。すご! でっか! ごつい!」


「トパーズよ。あなた鬱陶しいわね」


「えーひど! そんなこと言わんとって~」


 冗談で言われたと思ったのか、るりなはバシバシとトパーズの肩を叩いた。トパーズは感情が消え去ったかのような虚ろな目でるりなを見ていた。何だ、この状況は。


「ここは危険よ。アビスが出たんだから。とっとと帰りなさい」


「あー。確かに危ないかも~? んじゃあ、帰ろっかな。いやぁ、ほんっといいもん見れたわ!」


 トパーズに促されるまま、帰ろうとするるりなに、俺は言っておかなければならない事を言う。


「ねえ。これだけは言わせて。クラスのみんなには秘みっ……げふっ」


 セリフを遮るかのように、るりなは突然飛び込むように抱き着いてきた。


「サファイアありがとう~! また明日ね!」


 そう言うと、こちらの話も聞かずに、るりなは走って帰って行ってしまった。別にそんなセリフを言いたくて仕方が無いわけではないが、クラスのみんなにバレるわけにはいかないのだ。それなのにあいつときたら……


「って、何してんの⁉」


 気づけばトパーズが、その拳銃……デュアルファルコンを構えている。その先には、走り去って小さくなっていく、るりなの背中があった。この距離なら、トパーズはそれを正確に撃ち抜けるだろう。俺はとっさに銃をバシッと掴み、射線をずらした。


「離しなさい、サファイア。あの女、一度ならず二度もサファイアに抱き着いて……殺すわ。きっと犯人に違いない」


 俺を振り払おうとするトパーズに、必死でしがみついて、俺はその凶行を防ぐ。


「おい! 正気に戻れ! るりなは襲われてただけだって!」


「る、るりな⁉ 何でもう名前で呼んでるのよ! すぐ誘惑されちゃって、この裏切者!」


 トパーズは突然、攻撃目標をこちらに変えた。その急な動きに対応できず、俺は突き飛ばされ、尻もちをついた。トパーズはスチャ、と拳銃をこちらに向けた。一瞬身構えたが、流石に撃つ気はないだろうと、俺は困りながらも尋ねた。


「……ねえ、何怒ってんの?」


「アンタには……アンタにはわかんないわよ! 私の気持ちなんて!」


「えっ?」


 放たれた黄色い光の弾丸は、俺の頬のほとんど数センチのところを一瞬で過ぎて、後ろの地面に弾痕を残した。俺はそれを冷や汗を流しながら恐る恐る振り向き、そしてぎこちない動きで顔を正面に戻すと、既にトパーズは銃をしまい、踵を返して歩き始めていた。


「お、おい、トパーズ?」


「猟犬型の通報、処理、しておきなさい。私は手を出してないから、報酬はいらないわ」


「え? あぁ、そ、そうだね?」


 ここをこのままにはできない。

 警察のアビス対策部に電話して、処理してもらわなくては。トパーズの精神状態が心配ではあったが、仕方なく俺はその場に残り、事後処理を行ったのだった。

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