Ⅴ.中篇(上)

 

 金環党は、貧民窟にいる子どもたちを集めて、麺麭を与えた。

 この麺麭は君たちへの贈り物だよ。

 黒金の魔法使いさまからの贈り物だ。

 どうして君たちはこんなに貧しくて、一部の魔法使いだけが金ぴかの馬車に乗ってご馳走を食べているのかな?

 誰が悪いのか分かるかい。貴族たちだ。貴族たちは既得権益を決して手放そうとはしない。強い彼らを斃すには、もっと強い力をもった魔法使いがいないとね。

 そんな方がいらっしゃる。

 それが、黒金の魔法使いさまだ。

 黒金の魔法使いさまならば、われらの希いを叶えることが出来るんだ。

 その黒金の魔法使いさまが悪く云われているのは何故だろうね。

 皇帝と貴族たちにとって都合の悪い存在だからさ。

 皇帝や貴族は、黒金の魔法使いさまがこの世に生誕されても、冤罪を着せて、白銀の魔法使いたちを使って滅ぼしてしまうんだ。

 諦めては駄目だ。

 希望を棄てては駄目だ。

 倖せになるためには君たち自身が行動するんだ。

 金環党は、黒金の魔法使いさまをお護りする秘密の守護組織だ。

 上流階級の貴族が独占している富と贅沢を、等しくみんなで分かち合えることができたなら、そうなれば、どれほど素晴らしい笑顔に満ち溢れた世になることだろう。

 さあ、麺麭をたべて。元気が出たらこの粉を君たちの手で魔都の街角に落としてくるんだ。

 黒金の魔法使いの力を君たちは知るだろう。



 四年のあいだ猛威をふるい魔法使いの数を激減させた灰死病は、魔都を一時、死の街に変えた。しかし貧民窟の子どもたちの中からは誰ひとり死者が出なかった。

「配られていた麺麭の中に、灰死病の抵抗薬が入っていたんだ」

 そんなことは知らない子どもたちはこれを奇跡と捉えた。黒金の魔法使いの力なのだと信じた。

 灰死病を広げる粉は子どもたちの手によって魔都の街という街にばら撒かれたが、一人の子どもが落とすのは僅かな量だったので衛生・検疫部隊にも見つからなかった。やがて魔都には怖ろしい死病が流行りはじめた。

 子どもたちはこの奇跡に眼を瞠った。

 黒金の魔法使いさまはすごい。俺たちに麺麭をくれて、貴族たちを本当にやっつけちゃった。

 子どもたちを篭絡するのは簡単だった。金環党は浮浪児たちを末端の構成員として易々と取り込んでいった。

「侍女ミオラはその時の子どもたちの一人だ」

「ミオラは違う。ミオラは本家の家臣の娘よ」

「養女だよ。母親は良家の出だが駈け落ちしたんだ。ミオラを産んだ後で男に棄てられて母親は下界に堕ちていた。親族の養女となるまでの育ちは俺と同じようなものだ」

「俺と同じ……」

「腹を空かせて、残飯をあさって、貴族たちが綺麗な身なりで召使にかしずかれているのを物陰から睨んで見ていた」

 夜の森の闇が濃い。なにか怖ろしいことをキリアンは云い出そうとしている。

「キリアンはミオラをどうしてあんな目に遭わせたの」

「あいつが裏切ったからだ」

「何を裏切ったの」

 キリアンはわたしの顔を見詰めた。そして云った。

「嘘だよ」

「嘘」

「嘘さ。バシリウスが金環党だと云ったのは嘘だ。あいつは骨の髄までザヴィエン家の者だ」

 なあんだ、とわたしはわざと明るい声を上げた。語尾はゆらいだ。

「じゃあ、キリアンがミオラを襲った話も嘘だったのね」

「俺がミオラをやった」

 キリアンは吐いた。そこにいるのはわたしの知る幼馴染ではなかった。事も無げに云ったキリアンの眼は妖しく光っていた。

「金環党を離脱した者には制裁が下される。ミオラは、党を裏切って領主側についたんだ。ミオラはバシリウスの指示で城内に潜んでいる金環党を探していた。お前に毒を盛った犯人だ。そして昨晩、お前の室でミオラを待ち伏せていた俺と顔を突き合わせた。その瞬間にあの女は俺の正体を見抜いたよ。俺たちは同時に魔法杖を取り出し、同じことを叫んだ。『裏切り者』」


 裏切り者。

 金環党を裏切ったな。

 クリスティアナさまを裏切ったな。


 裏切るつもりか。

 バシリウス侯爵さまは手強い御方です。


 わたしが城の畠の納屋で耳にしたあれは、素性を知られたミオラがバシリウスに金環党から脱会したことを告げていたのだ。

 バシリウス・フォン・ザヴィエンは偉大な魔法使いでもなければ、白銀の魔法使いでもなかったが、有能な魔法使いだった。

 黒金の魔法使い亡き後も、彼は金環党の動きを追っていた。

 テュリンゲン家の動向にも気を配っていたバシリウスは、わたしの毒殺未遂事件の後は本腰を入れた。

 譜代の家臣の多いテュリンゲン家に、もし金環党の手のものが入り込むとしたら、疑わしいのは新参者か、もしくは貧しい街で育った過去のある者だ。

 二人の名が彼の手許に上がってきた。


 ザヴィエン家の家臣の養女となり、そこからテュリンゲン家に奉公に出ている侍女ミオラ。

 そして花嫁と同じ邑からやって来た若い魔法使いキリアン。


 バシリウスに金環党だった過去を知られたミオラだったが、離反を表明し、領主に忠誠を誓った。かねてから党には疑問を抱いていたとミオラは云った。

「かといって、完全に信用していたわけじゃなかった。ミオラにはシシーを監視につけていたからな。そして俺には、チェザーレをつけていた。レオンハルトとバシリウスは喰えない男たちだ」

 梟が鳴いている。時間を巻き戻せるならば、邑にいた頃に戻りたい。

 領主レオンハルトはバシリウスと密談の上で、ミオラとキリアンを泳がせておいた。もし金環党と関わっているならば、必ず党と接触をもつはずだった。

「皇帝は金環党の根絶を望まれておられる。根城を突き止めることが先決だ」

「しかしあの二人はどちらもクリスティアナ嬢の側近です。危険では」

「今の話はチェザーレにも内密に伝える。チェザーレがキリアンを見張る」

 ミオラはキリアンと闘いながら、云ったそうだ。

『投降しなさいキリアン。チェザーレさまとクリスティアナさまは友愛をもってお前の減刑を嘆願して下さる』

「今晩遭ったことを教えて」

 わたしは訊いた。

「今晩、わたしが寝所にいる間に起きたことを教えて。本当にあったことを」

 私の前にいる幼馴染のキリアンは、今はじめて知る人のようだった。



 領内の放火の報をうけ、シャテル・シャリオンにいたバシリウスはいち早く箒で飛んできた。孤島でも今晩、大事件があったからだ。

「俺たちのいる室内を少し覗いてから、領主の許に向かったよ。『孤島の王女の誘拐は阻止された』と云っていた。チェザーレとバシリウス、視線を交わしている二人の様子をみて、俺は、俺の正体が彼らにばれていることを悟ったんだ。チェザーレに毒を呑ませておいて良かったよ」

「何ですって」

「安心しろ。生きてる」

「現状に対しては不満もあるのでしょう。金環党の主張の中には正当なものもあるのかもしれない。でも、疫病を散布するような者たちを支持することは出来ないわ」

「俺が金環党から命じられたのは、領内の火災に乗じて、お前を攫ってくることだ」

 わたしは叫んでいた。嘘だと云って。

「キリアンが金環党だなんて嘘。冗談よね」

 本当だよ、とキリアンは応えた。わたしは震え上がった。

「わたしを攫う。攫ってどうしようというの。五歳の王女も誘拐しようとしていたの。何をする気なの」

「ザヴィエン家には新しい白銀の魔法使いがいる」

「……」

「金環党はその乳児も攫い、その子が成長するのを待って」

「もうたくさん」

 わたしはキリアンの話を遮った。おぞましいことを考えていることだけは分かった。その子とわたし、またはその子と孤島の王女をつがわせて、生まれてくる魔法使いを金環党の旗印に取り込んでいこうというのだろう。

 金環党だろうが魔法界だろうが、善悪の違いはあっても、考えることは大差ない。ザヴィエン家の二歳の男児がわたしまたは王女、特別な血を持つ魔女と結婚できるようになるのはまだかなり先だが、強い力をもつ魔法使いの血脈を根こそぎ奪い、最初から管理下においておこうというのだ。

 金環党は、現行体制の裏面だ。どちらも偉大な魔法使いを生む血統が欲しいだけなのだ。

「邑に来た時からキリアンには、やんごとなき御方の落とし胤だと、そんな噂があったわ」

「俺の親は片方が貴族だ。棄てられた」

「棄子は、記憶を抜かれて棄てられるはずよ」

「金環党が親が誰かを教えてくれた。証拠もあった」

「だから貴族に恨みがあるの?」

「貴族の親など顔も知らない、興味もない。噂の中のやんごとなき御方というのは金環党の幹部にいる貴族のことだ。数は少ないが、貴族も金環党の中にいるのさ。彼らは俺の後ろ盾となってテュリンゲン家の城に俺を送り込んでくれた。俺はね、ずっと見張っていたんだ。お前のことを」

 いつから。

「遠縁の養父母に連れられてティアナが邑に来た直後からだ」

 そうだ。キリアンと最初に仲良くなったのは、わたしたちが二人とも他所から来た子どもだったからだ。

「ティアナを見張れ。そう云われた。難しいことじゃなかった。お前は魔法使いたちと同じ遊びに興じたし、箒での宙返りも巧かった。俺はお前と遊んでいると使命のことを忘れた。好きだったよ、ティアナ」

 わたしだって幼馴染のキリアンのことが好きだった。同じ邑の男の子。

「わたしの食事に毒を盛ったのはキリアンなの?」

 伯爵家に嫁ぐことなく邑であのまま暮らすことが出来たなら、わたしはキリアンのお嫁さんになるのだと想っていた。

 いつ毒を盛ったのだろう。新顔のキリアンは貴賓室のある棟には近づけないはずだ。

「あの日はその前に、町の市場に行っただろう。あそこで食べた麺麭と飲み物の中に毒種子の粉を混ぜてあったんだ。屋台を開いていた者も金環党の仲間だ」

 それは時間的には、バシリウスを客人に迎えた晩餐会よりも前のことになる。

「砕いた種子には遅効性の魔法をかけておいた」

 だから夕食の席で効き始めたのだ。でも屋台の食べ物はキリアンも一緒に食べていた。わたしと半分に分けた。

「俺は毒に身体を慣らしている。子どもの頃からずっとだ。解毒剤もたくさん使っている」

 時々、苦し気に咳をしていたキリアン。だから体調が悪かったのだ。

「同じものを食べても俺の身体には毒は効かない」

「そう」

 眩暈がする。悪夢のような今の状況のせいだろう。

「そう。キリアン。そうだったの。わたしを毒の種子で殺そうとした目的はなに」

「あの毒がお前のような魔女にも効くかどうかを確認したかったんだ」

 蟲でも見るような眼つきでキリアンはわたしを観察していた。

「致死量だった。死ねばよし、死ななくてもよし。お前が死んでも孤島の王女が我々にはまだいる。今後に備えて、いつでも殺せるように、特殊な血をもつ魔女の生態を金環党も知りたいんだよ。そろそろ効いてこないか」

「効く」

「毒だよ」

 眼の前が昏い。近くの樹の根元にわたしは片手をついた。立っていられない。ミオラを見舞った後、領主の居間に戻ったわたしとチェザーレに、キリアンは、調理場からもらってきたと云って飲み物を配った。あれに毒が仕込んであったのだ。

「今度のはどんな毒」

「魔法を使ってみろよ。今のお前は魔女の力が使えない」

「チェザーレにも同じ飲み物を渡していたわ。チェザーレも同じ状態なの」

「まあね」

 キリアンは肩をすくめた。

「しかし、さすがは白銀の魔法使いだ。毒が効いて倒れているのに、声を絞るだけの力はあったよ」

 クリスティアナ、逃げろ。

 あの時、隣室ではチェザーレがキリアンに襲われていたのだ。

「城下に放火をしてそちらに眼をそらし、その間にわたしを金環党の本部に誘拐するつもりだったの」

「そう命じられていた。けど、考えが変わった」

 雲間から差し込む月光に照らされたキリアンの顔はどこか虚ろだった。彼は掌を眺めた。

「もう先が永くないと医者に云われた。俺は何のために生まれたんだ。何もない。俺には何もない。何一つ持ってない。俺の生きた証がこの世にはない。俺の人生には何もなかった」

 あるじゃない。

 沢山あるじゃない。

 わたしたちは毎日一緒に愉しく遊んだじゃない。

「さっきの発作でいよいよ死が迫っていることが俺にも分かった。俺は死ぬ。最悪だよな。そんな俺にもし未練が残っているとしたら、それはお前のことだ。だから毒殺未遂の時も、お前が一足先に死んでくれたらいいと希っていた」

 キリアンの腕がわたしに伸びた。わたしはキリアンの腕を振りほどいたが、足許がもつれた。

「お前のことが好きだ。だから金環党に渡すのは止めにする。誰もがお前を欲しがる。せめて俺は、そんな魔女を独占して死にたい。此処で俺と死んでくれティアナ。偉大な魔法使いを産むことのできる希少な魔女を俺が連れていく。未来永劫誰にも見つからない。この森でずっと二人きりだ」

「断ったら」

「俺には別の考えがある。それを実行する」

「残念だわ。キリアン」

「俺も残念だよ。お前のことが好きだから。本当に好きだったんだティアナ」

 本当に残念。

 夜の森の冷気が身体を包む。本当に好きなら相手を傷つけたり殺そうなんて想わない。あなたは孤独に死ぬのが怖いだけよ。

 転倒して大地についたわたしの手には力がまだあった。毒殺未遂事件の時に分かっていたはずでしょう。

 キリアン。あなたは一つ忘れていることがある。

 わたしは『偉大な魔女』の血をひく魔女なのよ。



》中篇(下)

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