Ⅴ やっぱり愛は欲しい(最終章)

Ⅴ.前篇

 

 空中庭園に真新しい白馬車が到着し、十六歳の花嫁が城に降り立った時、初見でレオンハルトは「このまま帰そう」と想ったそうだ。それが嘘偽りのない所感だった。

 やはりまだほんの少女だ。可哀そうに。

 チェザーレやキリアンと軽口を叩いて笑っているところを見かけるにつけ、その想いはさらに強くなった。あの魔女は好きな若者と恋をして、倖せになるべきだ。羽根を広げて野原を走り回っているのがまだ似合う。

 しかしそれは許されないことだった。魔法界を救うための婚姻。それは大袈裟な建前ではない。黒金の魔法使いの再降臨に備えるために必要な、避けられない大任だった。

 テュリンゲン家に生まれた者は生まれた時からその覚悟が出来ている。しかし魔女は違う。或る日突然、皇帝の命令により、見知らぬ土地に嫁がされてくるのだ。

 花嫁として到着したわたしを出迎えたレオンハルトの胸にあの日、去来していたもの。この結婚に対する懊悩は、わたしよりもレオンハルトの方が深かったかも知れない。彼は怖れていた。また再び、彼の許に来た魔女を不幸に突き落としてしまうのではないかという悪い予感が彼をおびやかした。そしてそれは根拠なき危惧ではないのだ。滅多なことでは生まれないとはいえ、もしわたしが黒金の魔法使いを産んでしまった時には、わたしの産んだその子どもは母親がいくら庇おうとも、一族の手によって寄って集って葬り去られる運命なのだから。



 テュリンゲンの城を大急ぎで飛び出したキリアンとわたしは月光が照らす森の上を箒で飛んでいた。

 夜半から吹き始めた風がとても強い。今は追い風だが、どうかすると急に風向きが変わり箒の柄が突風に煽られて傾斜する。雲がすごい速さで流れ過ぎていた。

「キリアン」

 わたしは隣りにいるキリアンに声かけた。箒を操りながらもキリアンは激しく咳込んでいたからだ。

「キリアン。下に降りて少し休憩しましょう」

「大丈夫だ」

 キリアンは休もうとはしない。

 寝所にいたわたしを叩き起こすまで、隣室で何があったのかをキリアンは夜空の上で語った。わたしが眠りに落ちた後、城にバシリウス・フォン・ザヴィエンが現れた。彼は箒で城に乗り付けてくると、勝手知ったる城内に侵入し、領主の室をのぞいた。

 そこで突如バシリウスは、チェザーレとキリアンに襲い掛かり、わたしの休んでいる寝所へと向かおうとした。

 白銀の魔法使いチェザーレがその前に立ち塞がった。白銀の魔法使いは強い。しかし無銘とはいえザヴィエン家の魔法使いも強かった。

 バシリウスと闘いながらチェザーレは叫んだ。

「クリスティアナ、逃げろ!」



 強い風に背中を押されるようにしてキリアンとわたしの箒はカルムシュタット領からどんどん離れていた。

「バシリウスの狙いはお前だ」

「それなら、今までに何度もその機会はあったはずよ」

 殺すつもりならば、バシリウスは初対面の時にそう出来たはずだ。森の中に無防備にわたしは寝転がっていたのだから。

 それにバシリウスがわたしを毒殺しようとしたのが本当ならば、どうやって食事に毒を入れたのだろう。毒性のある種子を砕いて粉にしたものをわたしの食事の中にひそかに混入するようなことが、客人である彼にやれたのだろうか。

「だから云ったろ。金環党があの城には潜り込んでいるんだ」

 それはミオラのことなの?

 さらにキリアンは云った。

「今夜の領内の付け火。あれも金環党の仕業だ」

 黒金の魔法使いを信奉する地下組織『金環党』。レオンハルトの云ったことをわたしは憶えている。金環党の主な構成員は貧困層の魔法使いだ。レオンハルトはあの夜、わたしに説明したのだ。

「貴族階級を眼の仇にして各地で小さな反乱行動を起こしていたが、その金環党が十年前、当時まだ存命だった黒金の魔法使いと結びついた。黒金の魔法使いを我々が斃していなければ、今ごろは革命が起きていただろう」

 それはレオンハルトも参戦した闘いだった。ザヴィエン家を中心とした白銀の魔法使いとの死闘によって黒金の魔法使いは多くの犠牲者を出しながらも滅ぼされた。だが、主を喪っても金環党は黒金の魔法使いへの信奉を止めようとはしなかった。

 党員は待つことにした。黒金の魔法使いはいずれまたこの世に出現する。再降臨したその時こそ、魔法界は黒金の魔法使いと金環党の手によって、あらたな歴史を刻み始めるのだ。

「その際、邪魔になるのは何だと想う。ティアナ」

 最大の障壁は、黒金の魔法使いを斃す力をもった白銀の魔法使いたちの存在だ。

「それを産むのは誰だ」

「選ばれた血をもつ魔女……」

「つまり、お前だ。お前さえいなければ、白銀の魔法使いは絶滅する」

 当初、金環党は白銀の魔法使いの殲滅を誓った。ザヴィエン家およびテュリンゲン家に嫁ぐ特殊な血をもつ魔女さえ殺害して回れば、白銀の魔法使いの断絶は容易に叶うはずだった。しかしそれを実行するには皮肉な壁が立ちはだかっていた。

 母体となる魔女を皆殺しにしてしまうと、白銀の魔法使いも生まれないかわりに、黒金の魔法使いも、この世に生まれてこなくなってしまうのだ。



 キリアンが箒の柄に突っ伏して咳込みはじめた。今までにない激しい咳だ。風の中でわたしはキリアンの箒の柄の先を掴んで、強引に降下させた。

「そんな状態では飛ぶことは出来ないわ。休みましょう」

 降りた処は渓谷の広がる森の切れ目だった。雪山から流れ出る清流が岩にぶつかり、滝のように落ちている。

 わたしはキリアンの身体を岩場に休ませて、川の冷たい水を両手で掬い上げて彼に呑ませた。

 バシリウスが金環党。まだ信じられない。二人きりで立ち話をしたこともあったし、わたしを殺す機会ならばたくさんあったはずだ。

 金環党は貴族階級に反発する貧しい魔法使いたちが主流の組織なのだ。大貴族のバシリウスがなぜそこに。

 ザヴィエン家には当年二歳の白銀の魔法使いがいる。次代の当主だ。

 優れた魔法使いを輩出する大家ザウィエン家に生まれながらも、白銀の魔法使いにはなれなかったバシリウス。内心には屈折と鬱憤が積もっていたのだろうか。

「もういい」

 水場と往復して何度もキリアンに水を呑ませていたわたしの手首をキリアンが抑えた。その手は震え、酷い顔色をしている。

「キリアン。ミオラも金環党だと云ったわね」

「そうだ」

「今晩ミオラを襲ったのは誰なの」

「俺だよ」

「キリアンが」

 愕くわたしに、キリアンは頷いた。

「ミオラと闘った相手はキリアンなの?」

 キリアンは、金環党のミオラからわたしを護ってくれたのだろうか。では何故そのことをわたしやチェザーレに隠しているのだ。

 ぜいぜいと喘いでいたキリアンの呼吸は、少し鎮まってきた。キリアンがわたしの手を握った。

「ティアナ」

「なに、キリアン」

「医者が云ったんだ。俺はもう永くは生きられない」

「何を云うの」

 わたしはキリアンの手を両手で握り返した。

「きっと大丈夫よ。魔都に行きましょう。魔都のお医者さまなら治せるわ」

「違うんだ、ティアナ」

 岩に凭れたキリアンは遥かな月を仰いだ。森の樹々が風にざわめいている。

「本当に俺はもう駄目なんだ。永いあいだ服薬でごまかして無理を続けてきた」

 まだ少し苦しそうにしながらも、キリアンは闇の中でわたしに微笑んだ。死ぬ間際の者だけが浮かべる透きとおるような笑みだった。ぞっとした。わたしにも彼に迫る死神が見えたのだ。

「今の発作で分かった。朝になるまでに俺は死ぬ。その前にティアナとこうして二人きりになれた。これもきっと運命だ。だから俺はお前に打ち明ける。彼らは、麺麭を配っていた」

 いったい、なんの話なの。

 わたしはキリアンの次の言葉を待った。

 


》中篇(上)

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