Ⅳ.後篇

 

 わたしの室は大騒ぎになっていた。血痕が敷物に落ちている。

「ミオラは何処」わたしは侍女の姿を探した。

「侍女は近くの室にはこんで医者を呼び手当をしております」

「クリスティアナ」

 そこへチェザーレとキリアンも駈けつけて来た。

「大変だ。城下の町で付け火が起こっている」

「付け火」

「あちこちで火の手が上がっている。放火だ」

「不審火だと」

 追いついたレオンハルトの眼が険しくなった。

「領内で騒擾を起こそうとしている者がいる。街道を封鎖せよ」

 領主の檄が飛ぶ。

「皆の者、不審者を探すのだ。城内をくまなく探せ。町の火災については護民兵を出して消火せよ」

 そしてレオンハルトはわたしを室の外に投げ出すようにして追い出した。

「クリスティアナは今宵はわたしの室で休むように。塔には護衛をおく。チェザーレとキリアン、クリスティアナを護るように」

 キリアンと、白銀の魔法使いであるチェザーレがいるなら安心だ。わたしはチェザーレとキリアンに囲まれて領主の室に戻って行った。途中で何者かに襲われたミオラを見舞った。

「ミオラ」

 手当を終えたミオラは痛ましい姿で眠っていた。

「闘ったようです」

 争う物音に気付いた者が現場に駈けつけた時、ミオラにはまだ意識があった。

「誰にやられた」

 問いかけに対してミオラは、「城を閉ざして」とだけ振り絞ると、眼を閉じた。

 襲撃を受けた時にミオラは陶器の容器を持っていた。割れたその陶器の破片が床に散っていた。

 湯を入れて栓をした陶器の置物を布団の足許におくと、明け方の寒さの中でも温かく眠れる。就寝時だけでなく、椅子に座っている時に布でくるんで足置き代わりにすると下半身が冷えない。

 ミオラは陶器の器を用意した上で、わたしの室を訪れていたのだ。

 その時、その話のどこかに何かの引っかかりを覚えたのだが、わたしにはそれが何か分からなかった。

 領主の居間に戻った後でキリアンとチェザーレがその違和感を指摘した。ミオラが襲われたことでまだ動揺していたわたしに、キリアンが厨房から温かい飲み物を運んできてくれた。それで人心地ついた。

「なんでそいつは寝所に隠れていたんだ」

「わたしを狙う為ではないの?」

「ティアナが寝所に不在であることは見たら分かるだろうに」

「戻って来ると想って待っていたのではないかしら」

「だったらそのまま隠れていればいいだろう。姿を見せて侍女を襲う必要がまるでない。狙いがクリスティアナならば、そのまま隠れていればよかったのだ」

 云われてみたらそのとおりだ。

「予定外に侍女が入って来たから、慌てたのかしら」

「ミオラとお前を間違えて襲ったのかもしれないぞ。俺は侍女にお前が領主の室に行っていることは伝えたのに」

「城の者の犯行ではないということだ。クリスティアナの顔を知らないのだから」

「毒を盛った時も、わたしの顔を知らないままやったの?」

 所詮は推論でしかない。

 チェザーレがわたしを促した。

「真夜中だ。今宵はここまでだ。父上の寝所はそっちだ。君はもう休め」

「そこの椅子で寝るわ」

「妻だろ。なに遠慮してるんだよ」

「挙式はまだよ」

「分かったぞ。スヴェトラーナのことを考えてしまうんだろう」

「違うわよっ」

 売り言葉に買い言葉で、寝所で寝ることになってしまった。眠いのは確かだ。なんだかひどく疲れた。

 もう駄目。離縁かも。

 こんなにも何度も不審者に命を狙われるような花嫁が、この先やっていけるのだろうか。

「離縁。いいじゃないか」

 他人事だと想ってキリアンは歓んだ。

「まだ結婚していないんだ。清い身のまま、俺と一緒に邑に帰ろう。そして俺と結婚しよう」

「その選択肢よりは当家の後継と結婚するほうが現実的だ。皇帝だってそうしろとおっしゃるさ。俺と結婚しよう、クリスティアナ」

 二人がうるさいので、わたしは寝所に向かった。領主の寝室は余計なものが何もなく、天蓋つきの樫材の寝台が真ん中にあるだけだ。そして寝室の片隅には扉がある。開けてみると、小さな螺旋階段になっていた。上階の中庭に通じているのだ。ここを通り、美しい鳥は近くの館から領主に逢いに来ていたのだろう。病人を看護するような気持ちだったのかもしれない。深い哀しみに閉ざされた魔法使いをただ慰めるためだけに。

 居間からチェザーレが励ましてきた。

「俺たちがこっちで寝ずの番をしておくから安心しろ」

 だから何よ。

 布団の中には入らず、上掛けの上にわたしは乗って、転がり、掛布団を寝袋のように身体に巻き付けた。端っこだけお借りしよう。

 初夜の予行練習をするはずだった寝台の片隅で、疲れ切ったわたしは眼を閉じた。

 


 やっぱり何かおかしい。

 ミオラは、どうしてわたしの室に来たのだろう。湯を入れる為の陶器を持って、わたしに寒くないかどうかを訊ねるため?

 わたしはキリアンに云ったはずだ。領主さまの室にいることをミオラとシシーに伝えておいてと。そしてキリアンは「侍女に伝えた」と云った。もしかしてわたしの伝言はシシーだけに伝わっていて、ミオラへは伝達されていなかったのだろうか。

 いつの間にか眠っていた。どのくらい時が経ったのだろう。

 わたしが室にいないことを知らないままミオラがわたしの代わりに襲われたのだとしたら申し訳ないことをした。それに、シシーは何処に行ったのだろう。いつもミオラと一緒にいるのに。

 隣室に誰か来たようだ。

「王女の誘拐は阻止された」

 バシリウス・フォン・ザヴィエン侯爵の声だ。扉が分厚いのでよく聴こえないが、彼が来たのだ。

 ザヴィエン家とテュリンゲン家は密接な関係にある。どちらかに変事があれば、即時に伝える決まりになっている。カルムシュタット領内の付け火の報せを受けたバシリウスが、シャテル・シャリオンから駈けつけてくれたのだ。

 バシリウスが白銀の魔法使いでさえあれば、彼がわたしの夫だった。複雑な家にふつうの魔法使いとして生まれてしまったバシリウス。感情の襞が細かくて、繊細な気遣いが出来る温厚な青年魔法使い。

 隣室から激しい物音がした。

「何をする」

 叫び声がする。あの声はチェザーレだ。

 クリスティアナ、逃げろ!

 突然、叩き起こされた。わたしは眠りから眼が覚めた。

「ティアナ」

 キリアンがわたしを揺さぶっている。

「ティアナ。起きろ」

 身体に巻き付けていた掛布団が無理やり剥ぎ取られる。広々とした寝台の端からわたしは床に転がり落ちた。

「急げティアナ。箒はここだ」

 顔の前に箒が付き出された。闇夜にキリアンの眼が光っている。

「どうしたのキリアン」

「これを羽織れ。すぐに城を出る」

 上着をわたしに投げると、キリアンは早口に並べ立てた。

「お前に毒を盛ったのはバシリウスだ。金環党のバシリウス・フォン・ザヴィエンだ」

 わたしの眼は一気に覚めた。

 バシリウスが金環党。 

「こっちだ」

 キリアンはわたしの腕を引っ張った。キリアンは寝所の隅の扉を開いた。小夜啼鳥が使っていた隠し階段を駈け上がる。

「侍女ミオラもそうだ。バシリウスとミオラは二人とも金環党の手の者だったんだ。今夜、孤島ではもう一人の黄金の血を持つ五歳の王女の誘拐未遂事件があったそうだ。この城には金環党が入り込んでいる。逃げないとお前が危ない」

 すぐに塔の上の中庭に出た。小さな庭だ。冷たい夜風が吹きつける。

「早く」

「待って。チェザーレは」

 箒に跨ったキリアンがわたしをせかした。

「チェザーレは寝所に押し入ろうとしたバシリウスを迎え撃って防いでいる。チェザーレは白銀の魔法使いだ。時間は稼げる。バシリウスの狙いはお前だ。命を狙われているのはお前だ。二人が闘っている今のうちに城から逃げるぞ」

 故郷の邑の物見塔からそうしていたように、わたしとキリアンは箒を並べて塔から飛び立った。



》Ⅴ

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