Ⅳ.中篇

 

 領主の室の造りはこの前入ったので既に知っている。続き部屋が寝所になっている。

 お願いした魔都旅行は条件つきで許可された。結婚式を挙げた後、レオンハルトもしくはチェザーレと一緒に。それが条件だった。

「クリスティアナは魔都に行ったことは?」

「生まれは魔都です」

「では、まるで知らないわけではないのだね」

「幼い頃に離れたので、知っているとも云えません」

 レオンハルトは口ごもった。「魔都にはいずれ折に触れて夫婦で招待されて何度も行くことになる」と云ったようだ。

「皇帝からの招待を受けて?」

 ということは王宮に行くのだ。わたしの顔は期待で明るくなったが、レオンハルトの表情は曖昧だった。

 想い切ってわたしは訊いてみた。

「レオンハルトさま。わたしは皇帝のご意向でこちらに来ましたが、それでよかったのでしょうか」

「そうですね。申し訳ないと想います」

「申し訳ないとは」

「言葉どおりです」

「どのあたりが」

「他に魔女がいなかった。白銀の魔法使いを産むためだけに、この家に嫁ぐように命じられたことがです」

「わたしがこちらで倖せになるのも不幸になるのも、レオンハルトさまのお心ひとつだと想いますが」

「それは違う」

 愕いたことにレオンハルトは否定してきた。

「違うとは何が違うのでしょう」

 領主は、息子のチェザーレを叱る時のような顔になっていた。

「倖せとは、他人任せにせず自分の力でなることです。倖せになるかどうかの手綱は他人に委ねるものではない」

「貴方はわたしの夫になる方なのでは」

 わたしは少し腹を立てていた。今の言葉が冷淡に聴こえたのだ。

「レオンハルトさまは、わたしの伴侶になる方ではないのですか」

「予定では。一応」

 なにその返事。

「夫婦になるのですから、苦楽を共にし、隠し事はなしにして下さい」

「それも、わたしとは考えが違うようだ」

「仰って下さい」

「夫婦といえども隠し事はあってもよいし、秘密にしておいた方がいいこともある」

「それは、ヘタイラ・スヴェトラーナ嬢のことですか」

「それはもう貴女の知るところだ。やはりまだ、そこに怒っているのだね」

「違います」

 支離滅裂になってきている。もしかしたらこれは初めての夫婦喧嘩かもしれない。まだ夫婦ではないけれど。

「可哀そう? 夫となる人からそのように見られていることこそ、わたしを可哀そうな者にしています」

 この際だ。わたしも想うところを口にした。

「レオンハルトさまの眼には無理強いされた者に映るのですね。ならば、こちらでのわたしは倖せな者ではないのでしょう」

「チェザーレと同じ歳なのだよ。君たちを見ていると、あの頃はこんなにも若かったのだな、そういう感じです」

「サロメさまがレオンハルトさまに嫁がれたのは、今のわたしの歳と変わりません。だから大丈夫です」

「あのね」

 レオンハルトは苦い顔をした。

「あの頃はわたしも若者だったが今はおじさんだ。命令されて嫁いできた貴女に対しては、気の毒だという以外の感情はこちらにはありません」

「云ったわね」

 わたしは声を出した。よくも云ったわね。サロメのことは好きだったけれど、わたしのことはそうじゃないと云ったわね。そう云ったも同然よね今。それに、同じ無理やり嫁がされて来たのであっても、わたしがヘタイラだったなら、想うことも云うことも違っていたはず。人間だろうが魔法使いだろうが、男なんて考えることは皆おなじよ。スヴェトラーナは愛人にしたくせに。

「魔法杖を取り出さないのは進歩だが、魚みたいに口をぱくぱくさせても、この室にはお菓子はないよ」

「せっかくサロメさまのことを教えて差し上げようと想ったのに」

 喚いても逆効果だが、わたしは止めることが出来なかった。

「お伝えしたいことがあったのに」

「サロメのこと」

 レオンハルトは顔つきをあらためた。わたしはこみ上げるものを堪えて口をひん曲げた。

「そうです。サロメさまのことです」

「サロメのことで、何か」

「夢の中にサロメさまが出てきたのです。わたしはこれでも魔女です。だから、その夢はただの夢ではありません」

 まだ何も知らないうちからサロメはわたしの夢の中に、肖像画どおりの姿で現れていた。だからあの夢には意味がある。臓腑を吐くような呻き声を上げて嗚咽するレオンハルトを森の中から見詰めていたサロメ。わたしの夢の中に貴女が出てきたことには意味がある。

 喉が渇いた。何か呑みたい。

「届けさせよう」

「要りません」

 小夜啼鳥さよなきどりのように美しい声でわたしも夜に唄えたならば、ひとときの憩いを差し出すことも出来ただろうに。

 レオン。

 わたしは夢の中で聴いたことを、そのまま伝えた。

「そう仰っていました。レオン。もういいのよ。サロメさまは恨んではおられません。苦しむレオンハルトさまの為に深く哀しんでおられました」

「レオンと。そう云ったのだね」

「はい」

「サロメはそう呼んだのだ。それは彼女だけが呼んだ子どもの頃からのわたしの秘密の愛称だ。レオンと」

 キリアンもわたしのことをティアナと呼ぶ。それと同じだろう。

「それならば、本当にサロメは君の夢に現れたのだね」

「そうです」

「眼を開けて死んでいた。どうしてわたしを殺めるのレオン。そう云いたげな顔をして死んでいた。サロメを殺してしまったのはわたしだ」

 レオンハルトは暖炉に眼を向けた。あかく照らされているその顔が怖かった。

「分かっているのだ。サロメはわたしを恨むようなことはない。殺してしまった。テュリンゲン家に嫁ぐことを家族から猛反対されたのに、わたしを信じてくれた。息子まで産んでくれたのに、そのサロメをこの手で殺してしまった。わたしたちは子どもの頃から互いを知っていた」

 ザヴィエン家とテュリンゲン家に嫁ぐ魔女が不幸なのか、それともそんな結末しか魔女にもたらさない当主のほうが不幸なのか。

「サロメが白銀の魔法使いを産める血をもっていると分かった時ほど嬉しかったことはなかった。木登りをしていた樹から跳び下りて、花を摘んで片膝をつき、サロメにその場で結婚を申し込んだ。妻にするならあの娘だと決めていた」

 どれほど心の傷が深いのだろう。スヴェトラーナもきっと今のわたしと同じ気持ちだったことだろう。こんな様子を眼にしたら、ヘタイラも腕を伸ばしてその胸に抱きしめるしかなかっただろう。

 お可哀そうなレオンハルトさま。奥方さまを亡くされたお気の毒な方。

「哀しませてしまいました。レオンハルトさま。想い出させてしまいました」

 わたしは悪いことをしてしまったのだ。

「ごめんなさい」

「いや、いいのだ」

 吐息をつくと、レオンハルトは顔を上げた。わたしに向かって微笑んだ。作り笑いだとすぐに分かるような優しい笑み。

「昔のことだ。サロメがそう云っていることを教えてくれてありがとう。気がらくになった」

 とてもそうは見えない。

「古いことを若い方にきかせるべきではない。使命によって我々は結婚しなければならないが、クリスティアナがわたしの許に来てくれて嬉しい」

 とても、そうは、見えない。

「花嫁となってもらいたい。クリスティアナ」

 使命によって。

「予行練習というわけではないが、せっかくだから、隣室の寝所に行って寝台に並んでみるかい」

 並んでみるかいと云われて、みるみると応えるわけにもいかない。ぎくしゃくとわたしは首を振った。

「また今度でいいです」

「そう」

 ほんのりとレオンハルトは笑った。気まずい沈黙が降りた。息子と同じ歳の少女を相手にレオンハルトもやりづらいことこの上なしだろう。まったくこの先のことが想像出来ない。

 外が騒がしい。何かあったのだ。レオンハルトが顔つきを変えた。



 従僕が扉を叩く。

「レオンハルトさま」

「入れ。どうした」

 レオンハルトは領主の顔になって立ちあがった。入室してきた従僕はわたしがそこに居ることに眼を丸くした。わたしはわたしで、隠れたほうがいいのかどうか隠れ場所を探してもたついているうちに、従僕に見つかってしまったのだ。しかし従僕はわたしが想うような理由で愕いているのではなかった。

「あ、クリスティアナさま。こちらでしたか。ご無事で」

「どうしたのだ」

「クリスティアナさまのご寝所で、侍女のミオラが襲われました」

「なに」

「ミオラは重傷です。クリスティアナさまのお姿がないので探していたところです」

「待ちなさい、クリスティアナ。ひとりで行ってはいけない」

 わたしは領主の室を飛び出して、廊下を走り出していた。



》後篇

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