Ⅳ 初夜は難しい
Ⅳ.前篇
おさな妻とくれば、通常は夫から溺愛されるものだ。郷里の魔女たちは口を揃えて云っていた。
ところがレオンハルトにその趣味はなかった。まったく違った。ゆえに、わたしが十三、四歳になった頃からお輿入れの話が持ち上がるたびに、レオンハルトは考慮の余地もなく全てはねつけて却下していた。
「息子チェザーレと同じ歳のそんな少女を妻になど」
皇帝からの使者は木で鼻を括るような態度で領主にあしらわれて毎回突っ返された。その頃のレオンハルトにはヘタイラ・スヴェトラーナが愛人としていたから余計にそうだった。
しかし結局は受諾せざるを得なかった。白銀の魔法使いを産める可能性のある特別な血を持つ魔女が、探してもついに、わたししかいなかったからだ。後から生まれた遠い孤島の王女に至ってはさらに若くてまだ五歳の幼女だ。
クリスティアナ・トレモイユ。
十年前から散々、名が取り沙汰されていたその魔女が、彼の再婚相手に決まった。レオンハルトにとってもこれは不本意極まりないことだった。
こんなことになるなんて。
城に到着した当日、わたしに向けてか自分に向けてか、レオンハルトは独りごとを云っていたが、あれはまさに彼の本心だったのだ。誰かが云い出すたびに「考えられない」と突っぱねていたその名、クリスティアナ。その少女が、彼の妻になることになってしまったのだ。
つまり、厭々だったわたしと同様、レオンハルトからみても、お子さまとの結婚なんて気がすすまないことこの上ない縁談だったということだ。
そのわりには今のところ、私たちはうまくいっている。家同士が決める貴族の結婚においては初対面から虫が好かず、お互いに顔を見るのも厭という事態にも往々にしてなりがちなところを、毎日顔を逢わせているのに嫌いなところがほぼないというだけでも上々だ。その代わりに盛り上がりも何もない。レオンハルトとわたしの会話は淡々としていて、歳の離れた従兄と話しているようなそれだ。
「おはよう」
「おはようございます」
「今日の予定は、クリスティアナ」
「侍女と共に領内の景観の良い処を観に行くつもりです」
「そう。行っておいで。護衛は多めにつけよう」
「ありがとうございます」
わたしがもう少し大きくなればいいのかもしれない。五年経っても十年経ってもわたしの内面は基本的には今のままのような気もするけれど、レオンハルトのほうが見る眼が変わるかもしれない。それに期待したい。
どのみち最初から、愛は要らない結婚だ。
「裏切るつもりか」
「バシリウス侯爵さまは手強い方です」
突然、物騒な声が聴こえてきた。ザヴィエン侯爵バシリウスとミオラの声だ。
城には雛壇になっている菜園がある。どんなものを栽培しているのだろうと見に行くと、美味しそうな野菜が元気に育っている。その野菜の成長を眺めるのが散歩の途中の愉しみの一つになっていた。その雛壇畑の、畠道具を納めている納屋の中からそれは聴こえた。そちらに行って覗いてみると、納屋の中にはやはり侍女ミオラとバシリウスがいた。
二人はわたしを見るなり口を噤み、距離を空けた。
その晩、風呂に漬かりながらわたしは昼間のことをミオラに謝った。風呂は木を組んだ桶に目の詰まった布を水漏れ防止に回し入れてそこに侍女たちが湯を注ぐ古風なものだ。今時珍しいほど古めかしい入浴方法だったが、樹の香が立つので、今では陶器の湯舟よりもこちらの方が好きなほどだ。魔法を使えば全てが簡単なのだが、魔法界は不便を愉しむようなところがあって、暮らし方は人間界と変わらないところが多い。
「邪魔をするつもりはなかったの」
バシリウスとミオラが密会するほど親しかったとは知らなかった。海綿で肌を洗ってもらいながら、わたしがミオラを見ると、ミオラは何でもなさそうに応えた。
「わたしの父が本家に仕えている関係からバシリウスさまは何かと言葉をかけて下さるのです」
「恋人同士なの?」
身分の差はあるが、ミオラとバシリウス侯爵はお似合いに想える。わたしが訊くと海綿を絞りながらミオラはくすくすと笑い出した。そして湯気を浴びて少し紅潮しているその顔を真顔に変えて、「まさか」と否定した。
裏切るつもりか。
バシリウス侯爵さまは手強い方です。
確かにそう聴こえた。何の話をしていたのかまったく見当もつかない。わたしの聴き間違いかもしれない。
城から見える小川で、レオンハルトとチェザーレが釣り糸を垂れている。遠く離れているので声は聴こえないが、仲が良さそうに笑いながら、親子で魚を釣っている。
愛はなくてもよいのです。お傍において下さい。
わたしも云ってみようかな。
失笑されて終わる気がする。
そんな台詞は、ヘタイラのように美しい女でないと似合わない。ずっと男たちの関心を惹きつけてきた優れた魔女には他の魔女にはない色香や翳りがあって、物腰も落ち着いており、格段に大人びている。
領主と一緒にいて厭な気持はまったくしない。けれど、チェザーレやキリアンと一緒にいる方がわたしは楽しい。それはそうだ。十八歳も差があるのだから、同じようには遊べない。
白銀の魔法使いを産むことが目的の結婚。必要最低限の数の子どもを産み落としさえすれば、離婚しようが、他の魔法使いと恋仲になろうが、きっとレオンハルトは何も云わないだろう。多くの大貴族と同じように彼はそのように生まれ育っており、結婚も職務のうちだと割り切っているからだ。
そういえば、生まれた子が魔女だった場合は、どうなるの。
「それが、ふしぎと男児しか生まれないんだ」
釣ってきた魚を、川の水を引き込んだ城の中の生簀にチェザーレは放した。生簀の中の魚はそのうち調理されて晩餐に出される。
「黒金、白銀、偉大な魔法使い、またはバシリウス・フォン・ザヴィエンのような普通の魔法使い。男子しか生まれないんだ。魔女が生まれる話は滅多にきかない」
特別な魔女。わたしの今の立場は、いずれ、孤島にいる五歳の王女にも引き写されていくものだ。生簀の中の魚。私たちは飼われている。かけ合わされて、望ましき次代を創るために。
夜のお誘いがあったのは、その日の夕方のことだ。美しい黄昏が空に広がっていた。
魔都から来た行商人が町に小物を売りに来ていると聴いたわたしは、ミオラとシシーを連れて早速箒で出かけて行き、魔都で流行中の髪飾りや肌着に縫い付ける麗糸を物色して、籠いっぱいに買い込んだ。侍女たちにも配るのだ。
小物を満載した籠を箒の先にぶら下げたシシーは「やはり、魔都のものは質が違いますね」と感嘆しきりで、それを聴いたわたしが、「魔都に遊びに行けるように領主さまに頼んでみるわ」と云い、しばらくその話で盛り上がった。
許可が出るだろうか。あっさり「行っておいで」と云われそうな気もするし、意外と保守的で駄目だと云われるかも知れない。でも、せっかくお嫁に来る時に真っ白い馬車を新調してもらったのだから、あの馬車を使わないという手はない。地方に暮らす貴族のご婦人たちも馬車を仕立てては頻繁に魔都に遊びに行っているではないか。
すぐにも魔都に行きたくなった。
領主さまは何処だろうと探していると、鉱山のある方角から箒の影が飛んで来た。箒は城の上を旋回しながら速度を落とし、やがて城の空中庭園に降り立った。従者を連れたレオンハルトだ。
レオンハルトが箒を従僕に渡しているところへ、塔からわたしが現れた。
「お帰りなさいませ」
何処に行っていたのだろう。外套と革手袋を歩きながら外していたレオンハルトはわたしの姿を眼に留めると「お迎えありがとう」と云った。ところがレオンハルトは歩みを停めることなく、「係争は収めたが先方に皇帝領の者が混じっていた。皇帝に急ぎ使者を出す。用意を」と指示を飛ばしながらわたしを置き去りにして城の中に入って行ってしまった。忙しいようだ。
その日の夜のことだ。
「昼間はすまなかった。何か話でもあったのだろうか。クリスティアナ」
「あります」
夕食の席で領主の方から訊かれたわたしは意気込んだ。わたしの頭の中は華やかな魔都のことでいっぱいだった。
「お話があります。レオンハルトさま」
レオンハルトに顔を向けて続きを云おうとすると、「父上」とチェーザレに無遠慮に遮られた。
向かいの席にいるチェザーレをわたしは睨んだ。何で邪魔をするの。
チェザーレはしきりに父親に向かって目配せをしている。レオンハルトは「そういえば、そうだった」というような顔になって、
「もう少し野菜を食べなさい」
とわたしに云った。「父上」とチェザーレがばたついている。
給仕の者がわたしの皿に野菜を載せた。これでも美味しい食事を毎回余さず食べているのだが、少なかったのだろうか。
「父上」
「話があるのだね、クリスティアナ」
「お忙しいようでしたら急ぎません」
「では、後でわたしの室においで」
皿に眼を落としながらレオンハルトがそう云った。チェザーレを見れば、握りこぶしを振り上げて、してやったりという晴れやかな顔をしている。
「何度かおいで。毎晩おいで。婚礼も日延べしたことだし、その間に、お互いを知るために親しく話ができればと想っています。クリスティアナ」
はあ。
そうですか。
棒読みだったけどレオンハルトこそ大丈夫?
淑女はいかなる時でも走るものではないが、速足で、ほとんど走って、わたしは自室に駈け戻った。
静養していた小塔からわたしはその頃『妃の塔』に戻っていて、戻って来てみればやはりこちらの方が調度品から何から女人らしくて居心地がよく、窓からの眺望もずっとよい。
室にはミオラの姿がなかった。シシーもいない。「探してまいります」と他の侍女が出て行ったが、二人を探すためにわたしも廊下に出た。
すると、キリアンと偶然逢った。
「そういうわけで、今夜から夜の時間は領主さまの室で過ごすことになったの」
「お休みもあちらで」
「さあ」
それはない気がする。
「チェザーレの入れ知恵だろうな。お前が侍女や俺たちとばかり遊んでいるから、少しは進展して欲しかったんだろう」
「会話といっても、今夜の分についてはわたしからお願いしたい話があるんだけど、他の日は何を話せばいいのかしら」
「あちらも同じことを考えて悩んでいるだろうよ」
中庭から見上げる塔の合間に、星が木の実くらいの大きさで耀き出した。篝火が城壁を照らす。そろそろ行ったほうがいい。近くの通路をミオラとシシーが歩き過ぎた。わたしはキリアンに頼んだ。
「侍女の二人に、領主さまの室にいると伝えておいて」
キリアンは片手を挙げて応えた。その姿が影になっていた。
》中篇
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