Ⅲ.後篇

 

 ヴァランティノワ公爵から申し込まれた決闘。レオンハルトは使者にその場で返答した。お受けする。

「息子の俺もまだ小さいというのにさ。父上は捨て身だったから」     

 ヴァランティノワ公爵とテュリンゲン伯爵の決闘の場は魔都の郊外の森だった。老齢の公爵の方は代理人の魔法使いを立てていた。相手は見るからに魔法に自信のありそうな攻撃型の魔法使いだった。

 その決闘の森にスヴェトラーナが箒に乗って滑り込んで来た。

 お止め下さい。およしになって下さい。決闘のような怖ろしいことをしないで下さい。

 ヘタイラは懸命に訴えた。

 公爵さま、わたしが公爵さまの許にいけばその御心が鎮まるのでしたら、わたしはそういたします。ですからお二方とも、魔法杖を引いて下さい。

「アスパシア・スヴェトラーナ」

 魔女を押し退けたのは公爵ではなく、レオンハルトだった。

「下がっておきなさい」

 

 今では想像もつかないが、その頃のレオンハルトは不摂生で荒れた生活を送っており、日々喧嘩慣れして凄みすら帯びていた。

 決闘は早々に決着がついた。

 白銀の魔法使いであるレオンハルトはその気になれば強いのだ。公爵の代理人の魔法使いの骨を粉々に砕き高々と跳ね飛ばしただけでなく、二度とヘタイラに手出しをすることのないように、向こう半年間は立ち上がれなくなるほどの強烈な魔法を代理人と公爵にお見舞いしたそうだ。

 決闘を申し込んでおきながら散々な敗北を喫した公爵もさすがにそれ以上は自ら隠遁して沈黙を貫いた。

 レオンハルトの方も後顧の憂いを断つために、それ以降、極力魔都からは身を引いた。

 テュリンゲン伯爵は黒金の魔法使いのなのではないか、それが証拠に魔都には滅多なことでは姿を見せないではないか。

 尾ひれがついて辺境にまで流れていたあの風評は、蓋を開けてみたらそんな理由だったのだ。噂とは本当にいい加減なものだ。

 カルムシュタット領に引きこもったレオンハルトだが、その際、スヴェトラーナも連れて行った。魔都に残れば、公爵の家来が報復としてヘタイラに何をするか分からなかったからだ。

 お可哀そうなレオンハルトさま。

 ヘタイラ・スヴェトラーナの方もレオンハルトから離れようとはしなかった。

 奥方さまを亡くされたお気の毒な方。

 愛はなくてもよいのです。お傍において下さい。



「あんな美人にそこまで云われて、応えない魔法使いなんかいないよな。そういうことだったんだ」

 妻を亡くした若い魔法使い。ずっと独り身でいるほうがおかしいことくらい、わたしにだって分かってる。成り行きとはいえ領内に匿うことになった心細い立場の小夜啼鳥のことをレオンハルトもさぞかし案じて気にかけ、愛でたことだろう。

 チェザーレはどう想っていたのだろう。

 彼は首をひねった。

「まだ子どもだったからな。綺麗な魔女が父上と一緒にいるのが単純に嬉しかったな」

 チェザーレが母を亡くしたのはわたしが両親を亡くしたのと同じ歳だ。

「サロメ母上のことは憶えているけど、ヘタイラは素敵な人だったし、館に遊びに行く俺にも優しくしてくれた。新しい母上になってくれたらいいなと想っていた。

 ところで、父上が狂っているという噂を耳にしたことは?」

 わたしは頷いた。郷里の邑ではその噂ばかりだった。

「母上の死後、父上は心神喪失状態に陥っていて、確かに少しおかしくなっていたんだ。幼かった俺はそんな父上を見るのが不安だったよ。俺の前では良き父親だったけれど、想い詰めた眼をしていて酷かった。スヴェトラーナが来てくれるようになって、それを境に、眼に見えて父上の状態はよくなったんだ。だからこの城の者はみんな彼女には感謝してる。お似合いだろ? あの頃、彼らは二人ともお互いの存在が必要だったんだろう。息子の眼から見てだけど」

「よくもそんなことを未来の継母に向かって話せるわね」

「終わった話だよクリスティアナ。スヴェトラーナと父上は友好的に別れたんだ。白銀の魔法使いを産むことが出来ない以上、結婚は出来ないことはスヴェトラーナも最初から承知だった。ヴァランティノワ公爵とのほとぼりが冷めた頃、彼女は魔都に戻って行った。今は魔都に新しい愛人がいて倖せになっているよ。父上や俺とは友人関係なんだ」

「腹が立っているのはそこよ」

 わたしは長椅子の下の敷物をつま先で蹴った。

「もし白銀の子を産むことができる魔女だったなら、レオンハルトさまはスヴェトラーナ嬢と結婚していたのよね」

「そうだろうね」

 あっさりとチェザーレは認めた。

「それがテュリンゲン家の宿命だからね」

「なにが宿命よ」

 ザヴィエン家とテュリンゲン家に関わる全ての魔女が可哀そうだ。わたしを含めて。わたしは居ずまいを整えた。

「チェザーレさま」

「あらたまって何だよクリスティアナ」

「継母のお願いをきいて下さい」

「なんでしょうか、お継母さま」

 どうやって切り出そう。

「先刻のお話の中で、サロメさまのことは記憶にあると云ったわね」

「そりゃあるよ。君が両親のことを憶えているように」

「わたし肖像画を見たの。サロメさまが花嫁になったのは今のわたしと同じ歳だったのね」

 わたしは俯いた。

「お可哀そうなサロメさま。小さな子どもを遺して亡くなるなんて、どれほど無念だったことでしょう」

「下手な演技はいいよ。君の云いたいことは分かった」

 長椅子の隣りにいるチェザーレは手でわたしの話を遮った。

「最近キリアンまでそのあたりのことを聴きたそうにしていた。あれもきっと君の差し金だろう」

「知りたいわ」

 率直にわたしは云った。夜の森で見かけたレオンハルトのあの狂乱ぶりは、サロメがただの事故死や病没だったとは想えない。

 長椅子の背に頭を寄せて、チェザーレはじろりとわたしを見た。教えてやるけど後味悪いぞ、と断ってからチェザーレは口を開いた。

 母上は父上に殺されたんだ。

 


 サロメ。

 サロメ、赦してくれ。

 サロメは森の中で死んだ。殺されて死んだ。その場所は、奇しくも先日わたしが花占いをやっていた泉のほとりだ。

 狩りから城に戻ってきたレオンハルトは、サロメがいないことに気が付いた。レオンハルトに呼び出されて森に行ったと云う。レオンハルトは蒼褪めた。

「チェザーレは」

「王子さまなら、乳母に護られてご無事です」

 息子の無事を確かめると、レオンハルトは箒に乗って城を飛び出した。

 森の泉のほとりに妻の箒が落ちていた。着陸したレオンハルトが眼にしたのは、『黒金の魔法使い』から逃げてくる領民の姿だった。多数の犠牲者を出しながら、先年、白銀の魔法使いによって滅ぼされたはずの黒金の魔法使い。

「助けを求める領民を救うために父上は魔法を放った。黒金の魔法使いに向けて。だけどそれは、似姿の魔法をかけられた母上だったんだ」

 領民も金環党が化けていた。黒金の魔法使いを信奉する『金環党』の信者が、討伐された主の報復をしたのだ。

 森の中から逃げ去る金環党をレオンハルトは追いかけて殺したが、白銀の魔法使いの魔力を浴びたサロメは助からなかった。

「直撃だ。即死だったそうだ」

 サロメは息絶えていた。レオンハルトは妻の亡骸を抱いて揺さぶったが、絶命したサロメからは、夫の詫びに対する返答はきけなかった。



 なんて酷い話なのだろう。

 想っていたよりもずっと悲惨な話だった。それではレオンハルトが再婚にまったく乗り気でないのも当然だ。罪悪感でいっぱいなのだ。今でも。

 わたしの様子をみて、チェザーレは少し顔つきを変えた。そして妙な眼つきになった。

「だったらさ、俺にしておく?」

 わたしは長椅子に座っていたが、その隣りに座っているチェザーレはわたしに寄って来た。

「皇帝もそう想っておられるよ。ザヴィエン家にせよテュリンゲン家にせよ、嫁ぐ魔女はまことに気の毒だとね。中でも、十八歳も年上のやもめに嫁がされた君のことは、いたわるようにと再三の仰せだ」

「わたしはレオンハルトさまのことが嫌いではないわ」

 申し訳程度に、わたしは主張しておいた。

「最初は嫁ぐのが厭だったけれど、お逢いしたらそうでもないわ」

「そうだろうねえ。父上は男前だから」

 なんだろう、この雰囲気。

「嫉妬するよ」

「貴重なお話をありがとう。塔でお見かけしたあの魔女が誰なのか分かってよかったです。チェザーレは今日はこれから遠乗りでしょうか、それとも釣りを」

「なんで魔法杖を持っている」

 わたしは魔法杖に手にかけていた。本能的に何となく。

「邑に逢いに行った時から、君のことは可愛い魔女だと想っていたよクリスティアナ」

「それはありがとう」

 わたしは長椅子の端にずれた。チェザーレは詰めてきた。

「吹っ飛ばされたけどね」

「あれは貴方が悪いわ」

「俺の妻になるのは孤島の王女なのかな。いま五歳の」

「どうかしら。王女は、ザヴィエン家に御生まれになった現在二歳の方のところに、お輿入れなさるかもよ」

「父上が母上と結婚したのも俺たちと変わらない歳の頃だ」

「そのようね」

 わたしは明後日の方を見ながら頷いた。チェザーレがいきなりわたしを引き寄せた。

「口づけしてみるか」

「誰と」

「白銀の子のことはどうでもいいんだ。君だって好きな人と結ばれたいだろう」

「だからって、それはあんたじゃないわよ消え失せろ」

 かっとなったわたしの魔法杖から飛び出した魔法を、チェザーレは素早く取り出した魔法杖で余裕で受け流した。

「今度同じことがあったら魔法杖は直前に出せよ。父上も呆れていたぞ。最初から杖を持っていたら相手も予期して警戒するだろうが」

 笑いながら、わたしを揶揄い終えたチェザーレは室から出て行った。



》Ⅳ

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