Ⅱ ごはんは美味しい
Ⅱ.前篇
窓の外をチェザーレとキリアンが箒で飛んでいる。彼らはすぐに仲良くなり、毎日のように釣りをしたり、箒で遠乗りに出かけたり川に飛び込んだりして、汗まみれ泥まみれ、ずぶ濡れで帰ってくる。
わたしはまだ想っていたほどキリアンとは話が出来ていない。テュリンゲン家に嫁ぐわたしの為に郷里の邑を出て城に仕えることにしてくれたのか、それとも違うのか、キリアンに確かめたい気持ちが中途半端なままになっている。
チェザーレがキリアンを気に入った理由は、狩りだ。
魔法使いの狩りは馬の代わりに箒に乗って、箒の上から矢を放つ。後は人間の狩りと大差ない。
その日は鳥を狩っていた。上空で宙返りをして真上から矢を射かける若者がいて、あれは誰だとなったところ、城の新入りのキリアンだったというわけだ。
「わたしにも出来ます」
食事の席で、想わずわたしは声を上げた。
長方形の卓は、それまでは距離の短い方に対面で領主と息子が座っていたのだが、わたしが来たことで、レオンハルトは左右を従える短い辺に移動し、わたしがチェザーレと顔を突き合わせている。
「宙返りを。君が」
チェザーレが莫迦にしたように笑った。
「後で見せるわ」わたしは啖呵を切った。
舐めてもらっては困る。キリアンに宙返りを教えたのはわたしなのだ。ほんの小さな子どもの頃のことだけど。
「その恰好でか」
慌ててチェザーレがわたしを止めた。素早く一回転するだけなので、衣の裾が顔にまくり上がるわけでもなし、大丈夫なのだが。
服を借りて、男の子の恰好に着替えてからもう一度外に出てくると、今度はレオンハルトがわたしを待っていた。手には魔法杖を持っている。
ひじょうに云いにくそうに、カルムシュタット領主はわたしに声を掛けた。心なしかその顔が蒼褪めている。
「止めておくことを強くお勧めしたい」
「大丈夫です」
弓矢を拝借して何度か試射してから箒に乗った。わたしには自信があるのだ。領主さま見ていて。わたしを救済する為のその魔法杖の出番は多分ないから。
わたしの腕前を知るキリアンだけがにやにやしていた。
城の露台から箒で飛び立つ。大空に大きな丸を描くついでに、起点に戻る途中でわたしの弓は、城壁にはためいている旗の一つを正確に射貫いていた。
「おおっ」
見物していた城の者たちが、驚愕の声を上げた。
「お見事」
簡単そうに見えるが、手放しで箒を一回転させる上に、目標を視界に入れながらこちらは猛速度で降下して弓を放つのだ。軽業師のごとき匠の技に、惜しみない賞賛が寄せられた。
その日から、テュリンゲンの城におけるわたしの評判は一気に上がった。新しい奥方さまは凄腕の魔女だと、物凄いことをやってみせたかのように口々に云われていた。
お前は特別な魔女だよ。
孤児になったわたしを引き取った遠縁の養父母がわたしに云いきかせる。
その血が特別なのだ。
きっと祖先のどこかに、今ではもう絶滅した『偉大な魔女』がいたに違いない。隠されたその黄金の血がお前の上に発露したのだ。
他の者が近くにいない時には、キリアンは当家の若君のことを馴れ馴れしく「チェザーレ」と呼んでいる。チェザーレがそれを赦したのだ。
「君だって、まだキリアンに昔のままティアナと愛称で呼ばせているじゃないか」
そう云われてしまうと二の句が継げない。
「父上が云うには、俺でもいいってさ」
チェーザレはそんなことをわたしに向かって云うのだ。
「白銀の魔法使いを産むことが大事なのだから、べつに相手は父上でなくても同じ白銀の魔法使いの俺でもいいわけだ。産まれた子を父上の子だと偽っても誰にもばれないし、いい案だと想うけど。赤子はかわいいよ。君さえよければ」
わたしは魔法杖を取り出した。
「冗談だよ」
高笑いしながら、チェーザレはわたしの魔法杖から逃げて行った。王子さま育ちのせいかチェザーレは無遠慮だ。邑にわたしの顔を見に来た時も、チェザーレは似たようなことを云ってわたしを怒らせたのだ。君がその魔女? 相手は父上と俺とどっちがいい?
わたしはその脚でそのまま、レオンハルトの許に駈け込んだ。レオンハルトは執務室で何かの書類を書いていた。
「どうしたのだ」
執務中に入ってはいけないのだが、わたしが直接、探しに来ることなどないことだ。特別に入室の許可が出た。
一歩室内に入ったわたしは、すぐに後悔した。
「お仕事中だったのですね。お邪魔しました」
出て行こうとすると呼び止められた。
「どうしたのだ。云ってみなさいクリスティアナ」
わたしはやや大げさ気味に、チェザーレから云われたことをカルムシュタット領主に伝えた。
「そんなことを云われたら、わたしはまるで家畜のうさぎか羊みたいです」
「チェザーレには注意しておきます」
そうじゃなくて。
ドレスの襞を握り締めて突っ立っているわたしに、レオンハルトは眼を向けた。初めて彼としっかり視線が合った。レオンハルトは綺麗な青灰色の眸をしている。
「まだ、何か」
「レオンハルトさまは、そうなってもいいとお考えなのでしょうか。本当にチェザーレさまにそのようなことを仰ったのでしょうか」
「うん。似たようなことは云った気がする」
「え、酷い」
「チェザーレがあなたのことを気に入っているようだったし、二人がよければ、それでもよいのではないかと、そう想っています」
ええーっ。
放心しているわたしに机に向かってレオンハルトはもう一度、顔を上げた。出て行きなさいと言外に告げていた。わたしは無言で礼をして足早に執務室を出た。裏切られたような気持ちだった。
わたしには価値がある。
若い女だから価値がある。特別な子どもを産める魔女だから価値がある。
お供もつけず、箒に乗って城を飛び出した。水場は湖だけでなく、森の中にも湧き水の泉がある。チェザーレとキリアンと一緒に散歩をした時に見つけていた泉の傍にわたしは降り立ち、お花畠になっているそこに箒を投げ出して寝転がった。花を摘んだ。青空を見上げながら花びらをむしって花占いをやる。
わたしには価値がある。ない、ある、ない。
ある。
やった。
むしりおわった花の茎を泉に投げ込んだ。くだらない。
片膝をついて求婚してもらいたいわけでもない。夫となるレオンハルトの関心がわたしの上には完全にないということが先刻の彼の態度から伝わり、それに傷つき、失望したのだ。
森の樹々が風に揺れ、見上げる梢の先には太陽の光が細かな光点となってちらついている。やがて秋になると紅葉の森となり、冬になると今度は雪と氷にこの地方は閉ざされるのだ。霜や氷柱が耀く晴れた日の森は、たくさんの白い宝石に満ちて眩いほどになるはずだ。
わたしは想い上がっていた。
相手がおじさんだから、邑の女将さんたちが口を揃えて云うように若い妻にすぐに夢中になって、でれでれになるだろうと勝手に考えていた。わたしの許を訪れた魔女たちが、口を揃えてそう云ったからだ。
「クリスティアナ、考えようによってはとてもいいご縁よ」
「そうよ。二十歳近くも年上の方なのよ。きっと愛娘のように大切に可愛がって下さるわ。男は若い娘には弱いのよ。多少のわがままも贅沢も、好き放題にお赦し下さるに違いないわ」
結婚が憂鬱で仕方がなかったその頃のわたしの顔色がよほど冴えなかったらしく、近隣の魔女たちはわたしの気を引き立てようと、入れ代わり立ち代わり養父母の家にわたしを訪れては励ました。もしかしたらあれも、養父母に頼まれて来ていたのかもしれない。持ち上げ方があからさま過ぎた。
「羨ましい。名家の奥方さまになれるなんて」
「黒金だの白銀だの歳の差だの、難しいことは考えなくていいのよ。テュリンゲン家は大貴族に数えられています。伯爵夫人になれるのよ。良かったわね」
嫁入り直前にお世話になっていた地方領主の屋敷でも、誰もが一様にわたしの結婚を後押しした。
狂っているそうだ。
その合間に、氷柱の先から落ちる雫のようにして、カルムシュタット領主の悪い噂がひそかに囁かれていた。わたしの胸に小さなほころびを開けていたその噂。
狂っているそうだ。レオンハルト・フォン・テュリンゲン。
元を辿ればあそこの家もザヴィエン家だ。本当は、あの領主は黒金の魔法使いではないのか。
奥方がほら、不審な死を。
》中篇
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