後篇

 

 田舎育ちのわたしがなぜ、十八歳も年上の、奥方と死別したやもめの大貴族に嫁ぐことになったのかを説明したい。

 

 わたしが嫁ぐテュリンゲン伯爵家は分家だ。主家は森の向こうの侯爵家ザヴィエンだ。七代前の双子の弟が興したのがテュリンゲン家で、これから説明する事情により、テュリンゲン家はザヴィエン家の、影武者とまではいわないが、いわば予備役的な役目を担っている。

 古くから続く名門ザヴィエン侯爵家。これが、ひじょうに特殊な家なのだ。魔法界の中でも皇家につぐ重要な家であり、選帝侯の大任を受け持つ貴族でもある。

 ザヴィエン家からは、傑出した力をもった魔法使いがたまに輩出される。突然変異のそれは『偉大な魔法使い』と呼ばれる。

 ところがこの『偉大な魔法使い』の多くは偏屈者で、風変りな人物が多く、強大なその力と叡智を有効活用することはほとんどない。放浪したり、隠者となって人知れず生涯を終えたりするらしい。そんな変わり者の偉大な魔法使いの中の、さらに変わり者が、魔法界および人間界に有益なことをごく稀にする。それゆえにザヴィエン家は、高い地位での存続を許されてきた。


 偉大な魔法使いを世に出す一方で、ザヴィエン家からは、『黒金くろがねの魔法使い』と呼ばれる悪い魔法使いも生まれ出る。簡単に云うと、強大な力はそのままに、その本質は異常者や殺人鬼のそれなのだ。黒金の魔法使いはザヴィエン家の特殊な血筋からくる、いわば膿出しの存在のように定義されている。

 身内から不意に出てくるこの困った『黒金くろがねの魔法使い』を斃すために、黒金に対抗する力を持つ『白銀しろがねの魔法使い』をザヴィエン家は途切れることなく一族から育ててきた。いつ襲ってくるか分からぬ懐の飛び道具を防ぐ目的で、防御の盾を常時用意しておくようなものだ。

 白銀しろがねの魔法使いは力を合わせて、黒金くろがねの魔法使いを斃す。魔法界に害を及ぼすものを一族の手で殺すのだ。

 他の魔法使いにはこれは果たせない。ふつうの魔法使いは束になったとしても黒金の魔法使いには歯が立たない。黒金も白銀も、偉大な魔法使いも、すべてはザヴィエン家の特殊な血統がなせるわざだ。

 一方の分家、テュリンゲン家もその事情は変わらない。テュリンゲン家については、本家ザヴィエン家を支える目的で、さらに積極的に白銀の魔法使いを揃えておくことを期待されてきた。

 箒に乗って花嫁の乗る空中馬車を迎えに来たチェザーレ。このチェザーレは、テュリンゲン家当主レオンハルトの一人息子であり、そしてレオンハルト同じ、白銀の魔法使いだ。そして分家に嫁ぐわたしがこれから産むことを期待されているのも、その白銀の魔法使いだ。

 わたしは選ばれた。テュリンゲン家に嫁ぎ、子を産み、白銀の魔法使いの数を増やすために探し出された。それを可能にする特殊な血をわたしは持っているらしいのだ。


 特殊な血。

 わたしにはまるで自覚がない。とくに変わった魔女でもない。きっとこれから子どもを産めば、その子どもを見て実感するのだろう。


 さて、白銀しろがねの魔法使いを産むために花嫁に選ばれたわたしだが、なぜ本家のザヴィエン家に嫁がないのかというと、これがまさに黒金くろがねの魔法使いのせいなのだ。

 十数年前、ザヴィエン家に黒金の魔法使いが出現した。黒金の魔法使いは成長するまで、巧みに正体を隠していることが多いのだそうだ。

 ザヴィエン家は一族の白銀の魔法使いを招集して激闘の末に黒金の魔法使いを討ち果たしたが、その際、白銀の魔法使いの側も散々にやられてしまい、闘いが終わってみると、ザヴィエン家は断絶の危機に陥るほどの死者を出していた。

 愕くことにこれは長い歴史の中では珍しいことではないのだそうだ。黒金の魔法使いと闘うということは、それほどのことなのだ。

 魔法界とザヴィエン家は急遽、いつか来たるべき次の黒金の魔法使いの出現に備えて白銀の魔法使いを増やさなくてはならなくなった。黒金の魔法使いは滅多に生まれてはこないのだが、生まれてからでは遅いのだ。

 とはいえ、本家にはもう適当な男子がいない。

 そこで白羽の矢が立ったのが、本家ザヴィエン家の分家テュリンゲン家だ。

 テュリンゲン家にはすでに当主レオンハルトと幼いチェザーレが白銀の魔法使いとしていたのだが、それだけでは数が足りない。百年先を見越して、失った白銀の魔法使いの穴を埋め、大至急で増員しなくてはならない。妻を亡くしたばかりのレオンハルトに再婚が勧められる。

 ところが、その妻になるべき魔女がいなかった。誰でもいいわけではない。白銀の魔法使いを産むためには、それに適した血が要るのだそうだ。

 魔法界は大急ぎで適合する魔女を探した。皇帝も急務の第一項にこの問題を取り上げた。テュリンゲン家の花嫁探しは、魔法界全体の大問題に発展していた。

 その魔女がようやく見つかった。それが、流行病で両親を失い、一時的に孤児院にいた六歳のわたしだった。



 花嫁候補となる魔女が枯渇していたのは、わたしから両親を奪った未知の流行病、灰死病が原因だった。有力候補となりそうな適齢期の魔女たちは軒並み、この灰死病で死に絶えていたのだ。

「六歳だと」

 皇帝はのけぞった。

「仕方あるまい。その幼い魔女を候補に残し、その上で引き続き、白銀の魔法使いを産める魔女の探索を続けよ」

 誰もが気楽に考えていた。そのうち他にも魔女が見つかるだろうと。

 ところがいなかったのだ。

 版図全土に、十年にも渡って血眼の捜索を繰り返したが、花嫁探しはすべて徒労に終わった。

 そして、わたしが十三、四歳になったあたりから縁談は一気に現実味を帯びてきた。クリスティアナ嬢、伯爵家に嫁ぐべき魔女は貴女しかいません。



 大広間では心地のよい音楽が流れている。楽人たちが鳴らす音色は、満腹になったわたしの眠気をさらに深く眠りに誘う。六歳のわたしが十六歳になる間に、領主も十年分の歳をとり、二十代の青年貴族だったレオンハルトも今では三十四歳だ。

 せめて貴方が十年前のお歳である頃に逢いたかったです。

「チェザーレ」

 レオンハルトが息子の名を呼んでいる。低く響くいい声だ。想っていたよりもずっと素敵な魔法使い。でもだから何。わたしはこんなお城に来たくはなかったの。 

「クリスティアナ」

 席を立ったチェザーレがわたしの許にやって来て肩を叩く。

「眠いんだろ。行こう」

 半分舟を漕いでいたわたしはうんうんと頷いた。今宵の宴は家族だけのものだ。実は正式な結婚は一か月先なのだ。その時には招待客を集めて盛大な婚礼の宴がこの広間で行われるはずだ。

 子どものような真似だけはするまい。嫁ぐわたしは堅く決意していた。いくら夫となる男とは親子ほどに歳が離れていようとも、見境なく甘えるような見苦しい真似だけはするまい。

 その決意を早々に裏切って、わたしは初日の晩餐で眠りかけていた。氷菓子を口にすれば眼が覚めるかと想ったが、眠気のほうが勝っていた。

「お先に失礼いたします。レオンハルトさま」

 それだけをようやく云って、挨拶もそこそこに、わたしは席を立った。

「今日は疲れたね。おやすみ」

 レオンハルトが退出するわたしを見送った。わたしは幼馴染のキリアンのことを考えていた。キリアンもこの城に仕えているなんて、なんて心強い。

「カルムシュタット領は小さいけど、鉱山があるし、皇帝の庇護を受けて財源は悪くないんだ」

 わたしを導くチェザーレが何かを云っている。回廊からは夜の森が見えた。海のように何処までも森林が広がっている。

「父上の花嫁ねえ、君が。クリスティアナ・トレモイユ。俺と同じ歳なのに」

 チェザーレがまだ何か云っている。廊下の向こうから侍女のミオラとシシーがやって来た。

「チェザーレさま、ありがとうございます。後はこちらで」

「俺の継母になる覚悟は決めて来ただろうけど、まあ、ゆっくりこちらに馴染めばいいよ。おやすみクリスティアナ」

 キリアンは何処で寝ているのだろう。この城にいるのだろうか。それとも城の外の宿舎だろうか。

 ザヴィエン家の城は外界と孤立して湖岸に建っていたが、テュリンゲンの城は、そう遠くない場所に町がある。そこにはきっと賑やかな市も立つだろう。

 寝仕度はすべて侍女に任せた。寝巻を着たわたしは倒れ込むようにして寝台に横になり、一呼吸で眠りに落ちた。ミオラがお湯を入れた陶器を寝台の足許に入れてくれたので肌寒い夜だったが、ぐっすり眠れた。

 その晩、夢をみた。

 レオンハルトが笑っている。森の中だ。月光の下、喉をそらし、背を反らし、気狂い領主の噂に違わぬ異常な様子でレオンハルトは笑い声を上げている。あの落ち着いた所作からは想いもよらない姿だ。その声は泣き笑いのように聴こえた。叫びか、悲鳴に聴こえた。

 やがてレオンハルトは項垂れ、膝をつき、咽び泣きはじめた。見ているこちらの胸が塞がってくるような慟哭だった。

 そのレオンハルトを森の奥から見詰めている若い魔女がいる。月を避けるようにして蒼い森の暗がりから若い魔女は領主を見詰めている。

 若い魔女は泣き伏しているレオンハルトに呼び掛けるのだ。

 レオン。

 もういいのよ。



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