第4話 月夜でふたりだけの舞台
月明かりが照らす夜道、私は早瀬さんと歩いた。
早瀬さんはほとんど何も言わずに、遠くを見つめていた。
暗がりのせいで彼女がどんな顔をしているかはよくわからなかったけれど、その表情は学校や舞台で今まで見てきた表情とは別物だった。
(話したいことって何だろう?)
やがて大学の近くにある公園へとたどり着いた。
木々に囲まれた公園の中をふたりで歩いて行く。まだ少し暑かったけれども、公園の中は木々が生い茂っていることもあってか涼しく感じられた。
暗い公園を進んでいくと、ふいに景色が開けた。
芝生が生い茂る広場になっていて、中心には小さな野外劇場があった。屋根つきの野外劇場であり、劇場を囲むように観客席が設置されていた。
週末ともなれば、近所の子どもたちや地元の劇団が劇を開いている場所。けれど、今は誰もいない。月と星の光だけがスポットライトとして舞台を照らしているだけ。
舞台にたどり着いたところで、ようやく早瀬さんは口を開いた。
「あたしが初めて舞台に出たのは、高校一年生の頃だったんだ。初めての舞台だったから、すごく緊張してた。あの時も夜の公園で、ひとり練習してたな」
早瀬さんは野外劇場を懐かしそうに目を細める。
「早瀬さんはどうして舞台に出ようと思ったんですか?」
この質問に、早瀬さんは苦笑した。
「あたしが劇団に入ったのは、内気な自分を変えるためだよ。中学までの私なんてすごい人見知りだったんだよ。友達も少なくて、誰とも話せなかったんだから……」
「……えっ? うそっ」
信じられない。早瀬さんはいつも明るくて、誰に対しても屈託なく話しかけていた。舞台にもたくさん出演しているし、アフタートークではお客さんを笑わせるような冗談をよく話している。そんな彼女が人見知りだったなんて……。
早瀬さんは「ほんとほんと」と手を振る。
「小さい頃の写真なんて、いつもお母さんやお父さんの後ろに隠れてるし。でも、お母さんに連れてってもらった舞台を見たとき、役者さんが本当に素敵で……あたしも舞台に立ったら、あんな風になれるのかなって思って始めてみたんだ」
「…………」
早瀬さんが私と同じだったなんて。彼女も内気な自分を変えたくて、舞台の世界に飛び込み、今の早瀬夏希の姿へと変わったんだ。
「全然知りませんでした……」
私がぽつりとつぶやくと、早瀬さんは肩をすくめた。
「こんなことを言ったら、ファンの人ががっかりしちゃうと思ってね」
早瀬さんは私から背を向けたままつぶやく。
「……宮沢さん。あたしね、本当は逃げてきたんだよ」
思いがけない言葉に、「えっ?」と問い返す。
「今度のあたしの初主演の舞台、初日のことを思うと不安でたまらないんだ。あたしが主演で大丈夫なのかな、とか、ちゃんとお客さん来てくれるかな、って……」
よく見れば、早瀬さんが抱える両手が小刻みに震えている。
「これまで何度も舞台に立っているけど、いつも幕が開くまで怖くてたまらない。どんなに稽古してもこの恐怖は消えない。休まなくちゃってわかってるけど、家でじっとしてることもできなくて、ここで毎日自主稽古してたんだ」
「……じゃあ、あそこで倒れたのは、本当に稽古のせいなんですね……」
ようやく早瀬さんが倒れていた理由がわかった
早瀬さんは初主演の舞台のプレッシャーから毎日自主稽古を続けてきた。彼女の服がぼろぼろに汚れていたのも、毎晩練習を続けてきたからだ。
倒れるほどに練習をするなんて、どれだけ稽古を続けていたんだろう。
早瀬さんは呆然と見つめる私を見て苦笑した。
「あはは、やっぱこんなこと知りたくなかったよね。夢を見せる役者がこんな弱い姿なんて見せちゃダメだよね」
早瀬さんは恥じていたけれど、私はただ圧倒されていた。
早瀬さんだって私やみんなと変わらない普通の子なんだ。人前に出るのにプレッシャーもかかるし、緊張もする。
何日も真剣に稽古をして、その努力を決して表には見せず、舞台では最高の演技やパフォーマンスをしてお客さんを楽しませる。
主演を掴むまで、どれだけの努力をしてきたのだろう。
早瀬さんは自分の不安や弱さも周りには見せないようにしてきた。彼女はたったひとり、不安と戦い続けてきた。
私は高校の頃からずっと早瀬さんが強くて明るい女の子だと思っていた。自分とは違って、生まれながら才能と明るさを持った子だと思った。
でも、そんなものは勝手に私が理想のイメージでつくり上げただけで、彼女の努力なんて見ようともしてこなかった。
そんな自分が情けなくて許せなくて、目の前が涙であふれてきた。
「ええーっ? なんで泣いてるの?」
泣き出した私を見て、早瀬さんが慌てて駆け寄る。
「ごめんね。がっかりさせちゃったよね……」
早瀬さんは私を抱き寄せて、背中をぽんぽんと叩いてくれる。
「あー、失敗した。なんでこんなこと言っちゃったんだろう? こんな話、今までしないようにしてきたのに」
早瀬さんは後悔しているようだったけれど、私は頭を大きく振った。
「がっかりなんてしてません。私は早瀬さんの本当の姿を知ることができて嬉しいんです。私が早瀬さんを嫌いになることなんて絶対にありません!」
「……本当に?」
早瀬さんはまだ信じられないというような顔をしている。
だから、私は勇気を振り絞って、彼女の顔を正面から見上げた。
「〝フ、フレデリカ様。どんなあなたでも、私はあなたを愛します。あなたのおかげで、私の世界は輝いたのです。あなたがいない世界なんて、私には考えられません!〟」
「………っ!」
たどたどしい私の言葉を聞いて、早瀬さんが大きく目を見開いた。
これは早瀬さんが出演した舞台『遙かな風に誘われて』に登場するメイドのアーシェのセリフだ。
私が初めて早瀬さんの舞台を見た作品であり、この舞台の動画を何度も何度もくり返し見た。セリフを全部暗記するほどに。
中でも早瀬さんが演じる男装の令嬢のフレデリカに、メイドのアーシャが想いを打ち明ける場面が特に私のお気に入りだった。
そのセリフだと気づいた早瀬さんは目を細めて微笑んだ。そして、それまでの戸惑っていた表情から瞬間的に、凜々しく別人の表情へと変わる。
「〝ありがとう、アーシャ。私こそ今夜、君と会えてよかったよ〟」
早瀬さんはまさにフレデリカになりきっていた。
「続けて」
早瀬さんにささやかれて、私は緊張しながら続きのセリフを話す。
「〝フレデリカ様。どうかこれからも私をお供させてください〟」
私が顔を赤くしながら手を差し出す。
「〝もちろんだとも。これからはいつでもふたり一緒だ〟」
早瀬さんは微笑むや、私の頬に唇を寄せた。
私が顔を熱くさせていると、彼女は手を取った。
「〝さあ、夜が明けるまでふたりの舞台を始めようか〟」
月明かりが照らす劇場の中、私たちはたったふたりの舞台を楽しんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます