第2話 推しが我が家にいる
私は早瀬さんを自分のアパートへと連れて帰った。
大学から徒歩十分にある学生用アパート。寝室とダイニングが一緒になった小さなワンルーム。普段は私以外に部屋に訪れる人もいない。
そんな部屋に、よりにもよって私の推しがいるなんて……。
私は行き倒れている早瀬さんを助けた後、どこに連れて行けばいいかわからず、肩を担いで自分の部屋と連れて行った。
早瀬さんは今、私のベッドで横になっている。舞台上ではいつも綺麗な衣装を着て、お化粧もして輝いているのに、今は髪がぼさぼさだし、服も汚れている。
地面に倒れていたことといい、早瀬さんに何があったんだろう?
私は水が入ったグラスを持ってベッドに歩み寄る。
「あの、大丈夫ですか? なんであんなところにいたんですか?」
早瀬さんは冷やしたタオルを額に当てたまま手を振った。
「あはは。本当になんでもないから気にしないで。自主稽古をしてたら軽い熱中症になったみたい」
早瀬さんはタオルを外すと、ゆっくりと体を起こした。
「それよりも、びっくりしたよ。まさか宮沢さんと会えるなんてね……すっごい久しぶり、ちゃんと話すのって高校生の時以来だよね?」
「えっ、どうして私のことを……?」
早瀬さんとは高校時代には、他の友達と一緒に何回か話したことしかない。同じクラスになったこともないし、舞台やイベントに通うようになっても、勇気がなくて一度も声をかけられなかった。
だから、私のことなんてもう忘れていると思っていた。
早瀬さんは苦笑しながらコップの水を飲む。
「だって、高校の頃から、いつもあたしの舞台を観に来てくれてたでしょ?」
「ええっ!? 気づいてたんですかー?」
部屋中に響き渡るほどの声を上げてしまい、慌てて両手で口をふさぐ。
目を見開いたまま、かたまる私を見て、早瀬さんも声を押し殺して笑う。
「そりゃ気づくよ。舞台って意外とお客さんの顔が見えるし。小さな舞台だと特にね。いつも来てくれるお客さんの顔は、だいたい覚えちゃうんだ」
「………っ!」
そんな前から推しに気づかれていたなんて。
「あたしもいつ話しかけようか、ずっと悩んでたんだ。でも、同級生がブロマイドまで買ってくれてるなんて、ちょっと恥ずかしいね」
早瀬さんが気まずそうに、ちらりと私の机の方を見る。そこには大判の早瀬さんのブロマイドがしっかりと貼られていた。
「わー! わー!」
私は慌ててブロマイドを剥がして、机の引き出しに入れる。
「こ、これは、その……」
引き出しを閉めてから気まずいまま振り向く。
「ありがとう、いつも舞台を観に来てくれて。あたし、まだ新人だし、演技もまだまだだから宮沢さんがいつも来てくれてすごく嬉しかった」
照れくさそうな早瀬さんに、私は首をぶんぶんと振る。
「そ、そんなことないです! 早瀬さんはいつもすごいです。舞台でもあんなに輝いて、明るくてファンをあんなに楽しませて……私、いつも舞台を見て感動してるんです!」
「…………」
精一杯私は褒めたつもりだったけれど、なぜか早瀬さんは悲しい顔をした。
(……あれ?)
どうしてそんな顔をするのだろう。私は何か余計なことを言ったかな。
そんな不安が押し寄せてくるが、そんな私の考えに気づいたように早瀬さんはいつもの明るい笑顔を見せた。
「ああ、ごめんね。ちょっとぼーっとしちゃった。いつも応援してくれてありがとね。これからも頑張るから、また舞台に来てくれるとうれしいな」
早瀬さんはなぜか私と目を合わせてくれなかった。
急に彼女との距離が広がったような気がする。
何が早瀬さんをそんな風にしてしまったのかわからない。
「じゃあ、そろそろお暇するね。あんまり長居しても、宮沢さんに迷惑をかけるし」
「そ、そんなこと……!」
私の反論よりも早く、早瀬さんは立ち上がった。
「ありがとう、助けてくれて。また舞台でね」
そのまま早瀬さんは足早に出て行こうとする。
このまま別れてしまう。せっかく仲良くなれそうだったけれども、早瀬さんはまた私から離れて、ただの推しとファンに戻ってしまう。
でも、もっと仲良くなりたいなんて、図々しいことは言えない……。
「あれ? あれれ?」
玄関先で早瀬さんはポケットに手を入れて盛んにまさぐった。
「あの、どうかしたんですか?」
「どうしよう。家の鍵を落としたかも……」
青ざめた顔でこちらに振り向いてくる。
「ええー? 大丈夫なんですか?」
「大家さんに頼めば扉を開けてもらえるはずだけど……もうこんな時間だから大家さん寝ちゃってるだろうし、朝までどうしよう……」
困り果てている早瀬さんに、私はおずおずと提案をした。
「えっと、今晩、私の部屋に泊まっていきますか……?」
早瀬さんの顔がぱっと輝いた。
「ほんと!? 宮沢さん、ありがとー!」
そして、早瀬さんは私の部屋に泊まることになった。
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