第5話
さすがにサ〇ゼリアってわけにはいかない。
スーツを着てても、違和感がなく、穴場のように静かな場所。
「……葉菜ちゃんと、来た事あるの?」
老舗フランス料理屋が片手間に経営する洋食屋。
うまく切り回せば、千円ちょっとで行ける。
普通の高校生でも、十分入れる程度だ。
「沢名とはないな。」
教えてくれたのは、放送委員会の先輩達。
動画も、先輩達のお陰だ。
「……そっか。
うん。」
雨守が顔を綻ばせた直後。
似合わないリクルートスーツの中で、雨守のスマホが震えた。
スワイプを続けた雨守が、奇妙な顔をしたかと思うと、
俺の瞳を覗き込んでくる。
「……野智君、これ……。」
<どういうことかな?>
沢名が雨守宛に送ってきたスクショの中身は、
荻野辺工務店の監視カメラに映った俺の背中。
「知らされた、か……。」
沢名達に知らせるつもりはなかったんだが。
悪戯心ありすぎるだろ、あの若作り爺め。
「……。」
ん?
「どうした? 雨守。」
あ、そっか。
そういえば、小林にも話してなかったな。
「……ううん、いいの。
葉菜ちゃん達なら、どうせいつか、分かっちゃうから。」
……確かに。
おっとりと癒し系ボイスで喋っていると気づかないが、
沢名は、生まれた時から、歴史ある名家の娘だ。
だからこそ、受け入れる覚悟を決めていた。
家のために。家族と、働く人たちのために。
間違っているとは思わない。
それは、沢名葉菜の生きてきた矜持だから。
「……えっ。」
ん?
「……見て。
葉菜ちゃんが送ってきたやつの、ここ。」
ん……。
んーと、たづく銀行。
荻野辺工務店の幹事行の一つか……。
えぇ……。
これ、大企業向けのプライムレートじゃん。
5年で国債のちょっと上って…。
……これって、
半歩間違えると迂回融資みたく
あ。
しまっ、た。
あの顔面工事爺に、
とんでもない恩を売られたんだ。
「……どう、しよう。」
送られた資料だけですぐ気づいたのか、雨守。
さすがに優秀だなぁ。
「どうしようったって、どうにもならんだろ。
あの顔面工事爺だって、これがすぐなにかに使えるとは思ってないだろ。」
そんな簡単な奴じゃない。
ただ、長い時間をかけて、真綿でじっくりと首を絞めて来そうな気はする。
「そんな顔するな。
悪いことじゃないんだから。」
悪いことじゃない。
考えようによっては、沢名の身元保証先が、一ランク高くなったに等しい。
「でもっ。」
「……っていうか、雨守は関係ないだろ。
恩を売られたのは俺のほうだから、雨守の身にはなにも
……って。」
な、なんか。
すっげぇジトーって見られんだけど。
「……はぁ。
……そういう真人君だから、できちゃったんだと思うけど。
関係ないこと、ないから。」
ん?
「……ね、真人君。」
んん?
「ふふ。
呼んでみただけ、だよ?」
あぁ。
な、なんだよ。
「さ、食べよっか。
このプリン、思ったよりおっきいんだね。」
……ああ、そうだろ?
マンガみたいなんだよな。
「ん……
あ、うん。
……美味、しい。」
印象的な碧眼を細めて反芻する雨守の姿を見ているだけで、
幸せな気分になれる気がする。
間違いなく。
雨守郁美は、綺麗になった。
もう、誰からも、後ろ指で突き刺されることはないだろう。
俺は、いつまでコイツの傍にいられるだろうか。
練習の成果が出る時までか。
*
「野智君。」
おう。
朝から、変わったお客だ。
「珍しく早いな、真矢野。」
直接絡むのは、初めてかもしれない。
真矢野はいつも、始業時間近くに来るから。
「……ありがとう。
こうしてくれるとは、思わなかった。」
あぁ、そうか。
雨守に沢名の話を知らせてきたのは、コイツだったっけ。
「俺は、なにもしてない。
ただの偶然が揃っただけだ。」
本当に、ただの偶然だ。
話を繋げたのは猶次郎だし、走り回って資料を集めたのは雨守だ。
真矢野は、少し長くなった茶髪の毛先をくるくると弄びながら、
言葉を選ぶように告げた。
「……清明君、カナダに留学だって。」
きよあき……
あぁ、例の東郷氏の息子な。
関係者、迅速だな。
時期外れもいいところだが、まぁ、カネの力でねじ込むんだろう。
ひょっとしたら、俺に言われなくてもそうしたかもしれない。
いまさらの双谷が激怒するくらい、色々とやらかしていたようだから。
「いいの? 知らせなくて。」
穏やかに破滅させるなら、知らないほうがいいだろう。
双谷は自分でやったつもりでいるんだから。
「答えは決めてあるんじゃないか?」
見捨てるつもりはないんだろう。
意外に損な性分だよな、真矢野も。
真矢野は、形良く整えた薄い眉を軽く歪めながら、
丁寧に塗ったナチュラルリップが輝く唇だけで、器用に笑って見せた。
確か、幼い頃、子役だったんだよな。
「でもね、野智君。」
ん?
「覚悟、しておいたほうがいいよ。
いろいろ。」
どういう意味だ?
*
十月中旬。
金曜日のホームルーム前。
真矢野と双谷は、何事もなかったように明るい声で話し込んでいる。
名和座と障子屋は安堵したように真矢野達を取り囲み、
金髪姿の真下達が、少し離れた場所から窺うように眺めている。
クラス内は、いつもの落ち着きとバランスを取り戻しつつあった。
「おはよう、野智君。」
あぁ、小林か。
いいところに。
「ほい。」
「あ、進路のやつだね。
忘れてなかったんだ。」
失礼な。
「んーと……
!
これ、……野智、君?」
止めに来るか、熱心に来るか。
なんとなく星羅ちゃんは後者な気がする。
「おはようー、さっちゃん。」
ん、沢名か。
さっちゃんは普通なんだよな。
「あ、おはよう、葉菜ちゃん。」
「あ。
おはよう、まーくん。
ありがとねー、いろいろ。」
「ああ。」
あまりにもさりげなく、自然に言われたものだから。
「愛してるよ、まーくん。
一年の時から、ずっと、ずっと。」
通り過ぎたはずの疎密波が、内耳に達する前に、
世界のすべての空気の流れが、止まった。
「もちろん、
恋愛的なほうだからね?」
悪戯っぽく笑う亜麻色の瞳は、
重しが外れたようにキラキラと跳ねて。
学年一のアイドルが魅せる柔らかな笑みは、ただただ蠱惑的で。
がたんっ
黒髪の美少女が椅子を引く小さな音が、教室一帯に響き渡った。
立ち上がった美少女は、コンタクトを入れた碧眼を輝かせ、
これ以上なく完璧に微笑むと、ゆっくりと、俺に近づいてきた。
夢で見た疎遠になったクラスメートを助けたら、修羅場がはじまった
第一章
了
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