第4話
趣味の整形手術に力を入れ、
69歳なのに、50代前半にしか見えない。
顔面工事も大成者だ。ゼネコンだけに。
「いやぁ、
あの久我君に息子さんがいたとはな。」
面識、あるのかよ。
いや、分からない。調べてるだけかもしれない。
こっちと同じように、こっちよりはるかに正確に。
にしても、声までハリがあって若々しいときたか。
講演、プレゼン慣れしているせいなのかもしれない。
椅子を案内する時に見えた手先の老け込みまでは誤魔化せないが。
しっかしまぁ、いい椅子だこと。
流石は一流企業、全面ガラス張りの鮮やかな眺望。
最上階の三つ下っていうのが嫌味だわ。
「で。
東郷君と、沢名さんの話と聞いているが?」
いきなりかよ。
ま、激務の真っただ中に、一介の高校生風情が、
こんな些事で時間を取って貰ったこと自体が奇跡だからな。
猶次郎がどんな貸しを使ったんだか知らんけど、
向こうからしたら、さっさと終わらせたいんだろう。
「折角来てもらって悪いが、私にできることは何もないぞ。
なにせ、当人同士の問題だからな。」
二重にそうだ。
この話は、沢名から断ることは、絶対にできない。
そして、東郷家側には、この縁談を進めてしまいたい理由がある。
「話は終わったか?」
資料にあった通り、ビジネスライクな若作り爺さんだ。
だからこそ。
「こちらを。」
元放送委員会の力が、こういう役立ち方をするとはね。
先輩、編集業務、向いてたもんな。
「なんだね、これは。」
「娘さんとコミュニケーションを取る方法です。」
「……ほぅ?」
「15分の動画形式になってます。
覚えるだけで、会話が繋がるかと。」
五十路中ごろに授かった荻野辺氏の一人娘は、
ずっと傍にいた母親が病死した後、部屋に引き籠ってしまった。
学校にも行かず、立派なネトゲ廃人になってる。
男親で、世代が離れすぎている荻野辺氏は、𠮟りつけることもできず、
ただただ困惑するだけで、家に帰れない日々が続いている。
「車移動の間に見るだけで、
要点が頭に入るようになってます。」
有名なIPで助かった。
「こちらはA4一枚版になります。3分で目を通せるかと。」
一応、これも作っておいた。
雨守郁美は本当に優秀で、大学に行かなくても、
そのまま社会人を勤められてしまうだろう。
ただ、
「こちらとしては動画をお勧めします。損にはなりません。」
動画は
先輩、どんだけ手間をかけたのやら。
「……。」
(はい。)
「ああ、吉野君かね。」
(はい、社長。)
「新聞社のインタビューだが、
5分待ってもらってくれ。」
(かしこまりました。)
……掛かっ、た。
だが、築き上げたのはベースキャンプに過ぎない。
「君の言い分を聞いてみようじゃないか。
久我君の息子君。」
圧倒的に不利な条件を、
一発だけで跳ね返さないといけない。
だから。
「単刀直入に申し上げます。
東郷氏のご子息を、修養させるべきかと。」
「……ふぅん。」
「このままですと、
林宮先生のご令息のような末路になるでしょう。」
衆議院議員、林宮健次郎氏。
荻野辺氏と、若い頃からコネクションがある有力な与党国会議員だが、
その不肖の息子は、不祥事を起こし続けて後継者レースから脱落した挙句、
自家用飛行機を墜落させて亡くなっている。
「……ははは。
おかしなことを言う。若いな。」
「まだ十代ですから、環境さえ整えば、変わりようもあるでしょう。
その時に、改めて機会を設ければ。」
どうせ変わらないと思うが、
機会を与えるだけで、時間は稼げる。
「ふん。
その間に君に搔っ攫われるだけだと思うが?」
なんてこと言うんだ、この顔面工事野郎め。
「ありえません。
身分が違いすぎますから。」
「ふふふ。
久我君は、弁えがないほうだと思うがね?」
はっはっは。
露骨な当てこすりだな。そりゃそうか。
無視無視。気づかないふり。
「恐縮です。」
「……ふふ。
なかなか面白いな、君は。
だがな。」
荻野辺氏は、峻烈な眼を向けた。
大組織を率い続けた者だけが持てる、
見る者の背中をおぞけ出させる酷薄な瞳と、冷厳な声で。
「東郷君の家に、暴徒が押し入ったようだ。
沢名さんの御令嬢の知り合いだと言うのだが。」
……はは。
双谷、マジでやらかしてんなぁ。
(当事者に激怒されて終わる)
確かにな。
ほんと双谷、台無しにするタイプだわ。
顔、あんなにいいのになぁ。
まぁ、東郷清明の具体的なヤバさを、
いまさら知ったってところなのかもしれない。
それくらい巧妙に、あの二人が隠していたのだろうな。
善性にして、直情径行。若人の証明。
いま、それが、完全に裏目に出ている。
「君、知り合いかね。」
「クラスメートですが、直接の面識はございません。
お手元の調査書にもそのように書かれているものと。」
双谷と面識がなくて助かったというべきなのか。
「……ふふ。そうか。
では、この者の運命には、君は関知しないと。」
「はい。」
大手企業の老練な三代目社長と、いい笑顔を向け合う。
心の中では、メンチの切り合いだ。
胃酸が逆流しそうな凄まじい圧を感じるが、口を開いたら負けだ。
ガキの頃の経験が、こんな時に生きるとはな。
「……ははは。
思ったより、よほど面白いな。
久我君か、それとも、血筋かね?」
……。
「まぁ、自滅すると思うがな。
それは、君も構わないな?」
「そうなるのであれば。」
自滅させないように、あの二人が取り計らえるかどうか。
匙を投げさせるタイミングを、誰が取るのか、かもな。
勿論、双谷が成長してくれたほうがいいんだが。
「……ふふ、ははは。
分かった。その者には、こちらは関知しない。
若い者達の好きにすればいい。それでいいかね?」
「ありがとうございます。」
妥協を引き出せる限度は、このあたりか。
コン、コン
潮時、だな。
明確な言質を取れなかったのが悔やまれるが、
無視できなくさせただけで上出来と見るべきだろう。
双谷の件はやっかいだったが、事後に出てくるよりは数倍マシだ。
「どうせなら、僕の後輩になってくれるといいんだがね。
そのほうが、彼女も喜ぶだろう。」
俺は聞かずに丁寧に一礼し、秘書さんが開いた扉に向かった。
この会合は、沢名葉菜を縛らないためのものなのだから。
完璧では、まったくない。
ただ、俺にできることは、やった。
無駄足でもいい。
元々、最悪の状況だったのだから。
耳を気圧に晒して、人々を睥睨する地上二十八階から、
見下ろされる側の地べたへと降りる。
ほっとする俺は、こちら側の人間なのだろう。
沢名の側は、色々と大変そうだ。
ふぅ。
……って。
「お帰り、野智君。」
雨守。
スーツなんか着てても、溶け込めはしないぞ?
着られているリクルート感が半端ない。
でも。
カネ、ちゃんと使えるようになったってことか。
「ありがとな。」
待っていてくれる人がいる。
たったそれだけのことを、こんなに有難く感じてしまうとは。
「折角だから、飯でも食ってくか。」
電車移動、得意じゃない筈なのに、
わざわざ街中まで出て貰って、手ぶらで返すのも忍びない。
それに。
「うんっ。」
雨守に彼氏ができたら、絶対にできなくなるだろうから。
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