あの時の人魚の代理人です

「そこのボク」

 男の人の声だった。最近、やたらこうやって声を掛けられる気がする。

「すぐ見つけられてよかった。ボクだね」

 歯を見せて笑う彼の顔に、覚えはない。

「すみませんが、どちら様ですか」


 スマホを握りしめる「ボク」に、彼は首を激しく横に振っていた。

「そうだった、ほぼ初対面だった!

 決して怪しいものでないです、はい!」

 男はカーゴパンツのポケットから、包まれた白いハンカチを取り出し、「ボク」に差し出した。

「これに、覚えはないかな?」

 そうして開かれた中身は、乳白色の鱗だった。

 朝日に照らされ、金色の光を放っている。


「これは、この前の人魚の」

「そうそう。彼女がお礼をしたがってたんだけど、熱中症を拗らせちゃってね。

 代わりに僕が」

 男はツルツルした生地のハンカチで鱗を包み直すと、それごと僕の手に握らせた。


「生え落ちた物の中で、最も形が綺麗な物を選んだそうだよ。

 宝石のように加工も出来るし、金銭的価値も高い。どう扱ってくれても構わないと」

「彼女は、大丈夫なんですか?」


 男は確かに頷く。

「しっかり水を補給して、しっかり寝て。

 今はお魚をもりもり食べられる程元気さ」

「そうですか」

「君のおかげだよ、ボク。

 友人の僕からもお礼させて欲しい」


 男は、再びポケットから紙を取り出した。

 黄色の画用紙に水色のペンで『ゲストハウス××宿泊券』と手書きの文字が綴られている。


「ゲストハウスって」

 そこで「ボク」は男の顔を見て、やっと思い出した。

 彼は、先日じいちゃんと行った、ゲストハウスの管理人その人だ。


「ぜひ近いうちに泊まりに来て欲しい、歓迎するよ」

 男は、再びポケットを探る。そのポケットの中に、どれだけの物が入っているんだろうか。


「それから、これ。カッパの子から」

 ぽんと手に乗せられたのは、信じられないくらい丸く、艶やかな石だった。


「河原で拾ったんだって。あの子、人見知りだと思ってたんだけどすごく懐いてたね」

「顔見知りだったんですか、カッパとも?」

「僕は元々、ここより上流の川近くに住んでいたんだ。人魚もカッパも、そこの生まれだよ」


 男は肩をすくめた。

「今年は雨が少ない上に暑いだろ?

 川の奴らも上流には居づらくなって、地上へ避暑に上がってきたり、下流の方へ移ったり、まあ色々したんだよね」


 「ボク」は何と相槌を打っていいか分からず、黙っていた。

 男の眉がへにゃりと下がる。


「ボクは、あまりこういうことは気にしないでいいんだよ。

 彼らに親切にしてくれた。それで十分さ。

 むしろ人魚の方が気にしてたよ。どうやらボクの用事を台無しにしてしまったらしい、と」


 それこそ、「ボク」は首を振った。

「人魚に言って貰えますか。

 あなたと交流を深められた、それで十分と」

「分かった。彼女がボクに助けられて、本当に幸運だよ。

 ところで、その用事って何だったんだい?」

「ああ、ラジオ体操ですよ」

「ラジオ体操!」


 男は目を輝かせている。

「なっつかしいなあ! この辺でも集まってやるんだね!

 今日もやってる? ボクも今から行くの?」

「平日だけですよ集まるのは。

 今日は飲み物買いに外出てただけです」

「そっかあ! どうしよう、僕も行こっかな」


 男は期待に満ちた目でこっちを見ている。

「ボクも行ってるんだよね!

 明日から一緒に行ってもいいかな!」

 その目に流されるまま、「ボク」は


「い、いいですよ」

 そう答えてしまったのだった。


 こうして、「ボク」の空白の期間が終わった。

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