ろくろ首、朝帰り

 電器屋に寄った帰り道だった。

 昨日、ついでに修理を頼んでいた腕時計を渡しに行った――電器屋はいつでも玄関を開けっぱなしなので、朝方でも問題なかった――その帰り道、女の人が「ボク」の前を歩いていた。


 背がとても高く、真っ黒なロングワンピースの上からシャツを羽織っている。

 髪は耳の高さでまとめられているので、日焼けのない真っ白なうなじが朝日に晒され、光を放っているように見えた。


 後ろ姿しか見えないけど、歩く姿がとてもしなやかで、目を奪われる。

 すると、女の人のシャツのポケットから、ひらりと紙切れが落ちたのが見えた。

 思わず拾うと、それは牛丼のクーポン券だった。しかも、二百円引き。


「あの、すみません! これ!」

 慌てて声をかけると、女の人は見返り美人の画のような格好で振り返った。

「クーポン落としましたよ!」

「あらァ。ボク、ありがとうねぇ」

 真っ赤な唇を少し吊り上げて、女の人はにこりと微笑んだ。


 そこで「ボク」は気づいた。

 彼女の白いうなじが伸びている。

 みるみるうちに、彼女の首が音もなく、長く長く伸びている。

 ろくろ首だ。小学校の頃、肝試しの脅かし役の人を見たことがあるが、朝方に出会うのは初めてだ。

 真夜中に女の人の首がするする伸びていくところを見た時は、それはもう喉が裂けそうなほど叫んだ。


 けれど、朝日の下で見ると意外と怖くない。

 むしろ、音も立てず、随分上品に伸ばすものだと感心すらしていた。


「ボク、さてはろくろ首、初めてじゃないね。

 あァ嫌だ嫌だ。最近の子はあたしを見ても誰も驚きゃしないんだ」

「驚かれた方が良いものなんですか」

「何も反応が無いよりはねぇ。毎度毎度ってぇのは面倒だけど」


 ろくろ首は「ボク」に近づいて、クーポンをつまみ取った。

「ともかく、コレはありがとね。

 あたしの朝ごはんが危うくパァになるとこだった」

 彼女は首を縮めると、口元を隠して笑う。「これから、幾日ぶりの娑婆の飯なのさ」

「……刑務所にでも居たんですか?」


 ろくろ首の言い回しは、皮肉と癖のあるウィットに富んでいる。

 大人過ぎて、「ボク」には上手い返しが思いつきそうにない。


「逆だね」

「逆っていうのは?」

「あたしが、しょっ引く方」

「えっ、警察官?」

「アッハハ! 驚いた驚いた。

 まあ半分ウソ。臨時職員ってやつさ」


 ろくろ首は再び首を伸ばす。

「立てこもり、籠城、とにかく長ァいことやってる現場に、こうやってちょっと首を伸ばしてやんのさ。

 緊張しているとこには、コレが良ぉく効く」

「危なくないんですか、それ」

「ほら」


 ろくろ首は「ボク」の手を取って、自身の首に持っていく。

 「ボク」の手は、伸びた首を、霧でも触ったかのように突き抜けていった。

「忘れられてるけど、あたし妖怪なわけよ」

 それだけやって、彼女は「ボク」の手をさっさと放った。


「だから心配ナシ。

 事実、昨日まで現場で、今無事帰って来たんだしね」

「お仕事帰りだったんですか」

「そ。妖怪に朝帰りは堪えるわァ。

 朝日なんて浴びるもんじゃないよ」


 ろくろ首は伸びをした。こういう時に限って首は伸ばさなかった。

「というわけで、アタシはご飯しに行ってくるから。コレは本当にありがとね、ボク」

 ろくろ首は、クーポンをヒラヒラ振りながら歩き出す。

 あんなことしてたらまた落とすんじゃないだろうか、と思うけど余計な心配なんだろう。


「あァ、忘れてた」

 そして、数歩しないうちに足を止めた。

「優しいボクが保護してくれたカッパの子、ちゃんとお父さんに引き渡しといたわよ。

 電器屋のじいちゃんによろしく」


 それじゃ、本当にサヨナラ。

 しなやかに歩き出すろくろ首の後ろ姿、「ボク」はぼんやりと眺めて、少し考えていた。

 そして、


「えっ、昨日の現場って?」


 口をあんぐりと開けた。

「アッハハ! また驚いてる!」

 ろくろ首は、首を伸ばしこちらを見返る。

 そして、赤い唇を吊り上げて笑ったのだった。

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