第10話 カムリという少年

カムリという12歳の少年について、古田が最初に感じたのは、「無味乾燥」という言葉である。


早熟のケはある。

だがそれは不思議なことではない。

少しばかり考える頭があれば、あるいは両親が早世していれば、そんな人間は万といる。


ただ、古田にどうしても理解のできないことがある。


__両親を殺した張本人を前にして、その冷静さは何だ?


竜との邂逅の話を聞いた。

カムリはそれでも、氷山厳花という花をもらうこと、そして皆が無事に戻ることを優先した。

己の命が脅かされれば誰もがそうするだろう。


しかし、しかしだ。


侮蔑の一つも言わずに、だろうか。


城に向かう道中、その疑念を抱えつつ、衣更に聞いた。


カムリは母を、父を思って泣くことがあるという。


ただ、今の彼は親の仇討ちのために動いているだろうか。

それにしては、行動の一つ一つがあまりに簡素に過ぎる。

空回りもせず、身に余った怒気も、力強さも感じない。


あくまで仕事を失わぬために、日常を続けんがために、、、。


不可思議だった。

そういう人間もいる。

親を思う気持ちも嘘ではないだろう。

特徴のない、人間らしい歪さのない、つまらない人間。


ただ、何か、それ以上の何かを。

だめだ。

簡潔に考えなければならない。


古田はそれでも、言葉が言葉を連れてきて、ある話を思い出した。

かれの師匠である柄田司領がらだしりょうは、若い頃、洋学を学ぶためにある塾に入門した。


___蘇芳すおう


今では歴史の一つとなったその場にはある噂があった。


「日に一人は自害する」


若く、才に溢れた者が次々に亡くなった。

その噂が広まり、塾長は魔に取りつかれているだの、呪いの儀式を行っているだの言われる始末であった。


古田はその真相を確かめるべく、柄田に問いかけた。

柄田はそんなことか、と例の骨が鳴るような笑いをして、


「何も、簡単なことじゃ。この世に一つのアンコ餅しかなければ、それは至上の味

だろう。誰もが己で食わんと欲する。だが、この世には、うまい魚も、うまい山菜も、うまい肉もある。そうするとアンコ餅はどうなる、箪笥に隠しておかなければならないほど大事なものだろうか、と思う。身を危なくして川に飛び込み魚を取るもよし、鹿や熊と相対して打ち倒すもよし、なぁんでもよくなる。そしてそのうちに、ひえでもあわでも、そのうまさが分かれば、何でも良くなる」


今より若い古田は、その婉曲な言い回しにいらついて、こう言った。


「なんだよじじい、そんなこたぁわかってる。大事なものが増えれば己の命はおしくねぇ、それだけだろ。自分の命が、なんだ大したものじゃねぇって思ってしまったら生きる意味もなくなる。軟弱だな」


そう言うと、柄田はまた笑った。


「いやぁ、それはもっともっと、おぞましいことだ坊主。なんでもいい、どれもうまい、これよりもっとうまいものがある、、、そう考えると人はかえって蘊奥うんおうを求める。替えのない、絶対のもの、それがあそこでは死ぬことなんじゃないかって流行っただけのことだ。死んだやつはな、誰もが、普通に見えた。死ぬまでな」


柄田は語りすぎを恥じるように、でもお前は大丈夫だ、と言った。

なんだかそれは馬鹿にされているようで、当時の古田は不服であった。


なぜ、いまそんな余談を思い出すのか、、、。


ああ、そうか、お前はそっち側の人間なんだな。

古田が見たのは、裂傷を負い、あちこちから血を流す少年の姿。

右の足ももう、矢が刺さって動かないだろうに、


その顔は、雀躍じゃくやくとして笑みに濡れていた。


「ははっ、鮫は経験がないです」


転んだ衝撃に手から離れた短剣を、少年は再度握った。

その起き上がる背に、古田は声をかけずにはいられなかった。


「なぁ、俺はさ、平城シキに送るっつうその花、見たことないんだが、綺麗なのか?」


カムリの起き上がる動作が一瞬、止まってまた動き出す。


「はい、とっても綺麗ですよ。この世のものとは思えないぐらいです。何よりも美しいです」


何よりも。

その言葉は毒を含むように、古田の耳に届いた。

何よりも、それ以上はないほど美しく、、、本当に、、、?


「はぁ、痛いなぁ。でも進まなくちゃ、ですね」


カムリが橋の中央で立ち上がる。


進む先にあるのは、日常を変える何か、だろうか。

橋の先、三の丸の正門には人影が浮かんでいる。

人影と、あれは弓の自動射機。


鮫の強襲を逃れたことに焦ったのか、直接的にこちらを狙いに来た。


___そのままに、あるがままに

___そのままに、あるがままに


カムリが、なおその笑みを強くしたのが、背後からでも分かった。


水堀を遊泳していた鮫が、速度を上げ二度目の強襲を企む。

それから目の前の何者かが再度弓を連射する。

ほとんど同時に襲ったそれは、、、


一太刀。


先行した矢をカムリの短刀が右方向に弾く。


「_____!!!!」


その先にいたのは今海面から浮上した鮫であった。

その生物にはありありと絶句の表情が浮かんだようだった。

弾かれた弓は鮫の額に刺さり、声に鳴らぬ声を上げのけぞり、海中に沈んでいく。


二太刀。


鮫が複数いたことを知っていたかのように、今度は左方向から大口を開けて飛び込んでくる鮫に対し、短刀をその目に投げつけた。

唯一の武器をためらいなく投げつける。

それは一撃で仕留められるという確信からか。

二匹目の鮫は、力なくカムリの眼前に倒れ込み、行く先の橋を無残に破壊した。


三太刀。


堀に沈みこむ鮫の背に飛び乗り、目から素早く短刀を引き抜き、そのまま跳躍して前へ駆ける。

その速度は速くない。

そもそも、カムリという少年には膂力がなく、足も遅かった。

ただその技量がそうは見せなかった。

直線的な弓の連射は弾くにたやすい。

が、カムリの体が途端、揺れた。


「ぐっっ!!!」


足の怪我が災いして、よろけて倒れ込む。


古田はカムリという壁が崩れたのを見て、すぐさま衣更の頭を押さえて伏せた。

頭上を弓矢が掠めていくのを感じる。


万事休す。


カムリと衣更を抱えて逃げることはできない。

何か手はないか。


古田は親指と人差し指を額の前でこすり合わせる。

まるでお焼香でもするようなそれは、古田の追い詰められたときの癖であった。


「、、、お手上げか」


その言葉は正確ではなかった。

お手上げなのは、カムリたちだけであった。

古田はほとんど目的を達したに近かった。

カムリという少年を見つけ、連れていく。

その半ばで邪魔が入ったにすぎない。言い訳はいくらでも捻ることができる。


これを薄情というのは、おこがましいことだ。

所詮、カムリへの恩など、ふきのうとうの天ぷら一皿分にすぎない。


「ただよ、、、」


古田は伏せた衣更の前に出て、立つ。


「そんな半端なことで、この世で一番の美女の横に立てるか?」


そうだ、俺は自分で死ぬような軟弱な奴らとは違う。

俺には、がある。


いろんなものに価値がある?

くだらねぇよ。

美しさこそが、唯一愚かにも追い求めるべき価値だ。

この命はそれを手に入れるために必要なものだ。

そうだろ。


___かなえ


古田志知は二撃目の鮫に破壊された橋を飛び渡る。

倒れ込んだカムリから短刀を取る。


その頼りない仁王立ち。


「くぅぅぅ、痛くねぇ!!」


十に九の矢は短刀に掠りもせず、古田の体に突き刺さる。

ただ、その膝は決して地につかなかった。


肩に刺さった矢は深く、血は腕を流れる。

それは短刀を持つ手まで至った。


「くそっ」


そのぬめりと握力の低下で短刀は無情にも古田の掌から滑り落ちた。

矢はその一刻すら待ってはくれない。


死が、その足を勇み速める。


その時であった。

その声は遠く山々から聞こえるようで、時を止めるほどに澄んでいた。


____みな眠る、ともしび膝下しっか


「なん、、、だ、、、この声」


血に濡れて、落ちた短刀。

そこから白く氷の花は漏れ出で、水堀を凍てつかせる。


____声のない温もりに、私は惑う


____起きるのは嫌よ、そこにあなたはいない



悲哀と、それでいて決意に満ちたような、強い声。



____静かに、冷たく、春は遠くに置くのがいい


____どうか、その声までも凍ってしまえばいい


____届かぬ声をいつまでも聞きながら



これは祈りだ、と古田は血を失って朦朧とする頭で思う。

どうにもならないことに対する絶望。

その絶望に抗うことができる唯一のことは祈ることだけ。


それはとても、美しい行為だと思った。


「ああ、、これがその花か、、、確かに美しいな、、、」



__恐美恐美かしこみかしこみも申す


__氷山厳花いてつくして、あなた



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魔女大戦 屋代湊 @karakkaze

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