第5話 藤は振袖

謁見の場を出て、永啓は吠えた。


「あああ、虚仮こけにしてくれてあのジジイ!」


永啓は痩骨窮骸そうこつきゅうがいの老人にどこかで笑われているようで、両の耳を掌で思い切り叩いた。

骨がからからと鳴っているような、嫌な笑いだ。


「それでも召し使えるのでしょう、あの者を」


そう言ったのは、永啓よりもなお背の高い、果たして岸壁かと見まがうような大男だ。

いつの間にか永啓の背後に添っていた。


鳥海ちょうかい、お前も笑っているのか?」

「いえ、賢明な判断ができるあるじを誇らしく思っております」


永啓は立ち止まり、中庭の切り株となった藤の木を見る。

それは永啓が頼んで切ったものだった。


「藤の見ごろはもうすぐだな」

「ええ、そうでございます」


永啓は空を見上げ、そして独り言ちる。


「藤波の花は盛りになりにけり平城シキみやこを思ほすや君」


その歌を聞き、鳥海は背に負った大剣の柄を握る。


「それは開戦の狼煙のろしと受け取っていいのですか?」

「構わない。戦に余計な振袖はこの腕にもうない。振るうのは力だけだ」


それに、と永啓は薄い唇をかっと開く。


「もう種は、、、いや、花は撒いた」


永啓はまた歩き出す。

その瞳には藤よりも濃い紅い意志が宿っていた。


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古田志知こだしち

永啓に認められた明哲めいてつである。

元服を迎えたとき、病に伏した父を前にして彼はこう言い放った。


「己が人生、唯一のレゾンデートル《存在意義》は一顧傾城いっこけいせいの女に溺れることである」


志知の言葉に愕然がくぜんとして、彼の父は持ち直した。

むしろ床に臥す前よりも意気を増した。

こんな倅には家を任せられんと、その地を収める柄田司領がらだしりょうに一切合切、教育を任せることとした。


その男が今、己の功績を旅籠屋はたごや喧伝けんでんしている。

酔いは盛りだが、口調は明晰である。


「昇竜の勢いと言われている永啓様も大したことないなぁ」

「おい、もうその辺にしとけ」

「せっかくの登用の話も水の泡だ」


いさめるのは、謁見の場にいた二人である。


「昇竜だって?いやいや、伏籠ふせごに囚われた雀のような女だったなぁ!」


あきれ顔の二人を置いて、その口は止まらない。


「何が司領の手計たばかりだって!?最初から俺が考えたシナリオだっての」


彼の言う通りである。

化粧箱の一件は、すべて志知の用意したことであった。


「本当にばれてないのだろうか、、、」


志知に従う男の一人が言う。


「あれだけ練習したんだ、上出来だったぞ、お前。まるで歌舞伎役者のようだった」


酒をあおりながら、志知は上機嫌を崩さない。

彼より年上の二人の不安顔がより深刻さをましていくのに比して。


「ただ、あの件はどうします?」

「だれだかを探せっていう、、、」


志知は興がそがれたとため息をつきつつ、


「カムリという子供、この町に来ている可能性が高い、名前ぐらい覚えておけ愚図ども」


彼らが謁見の場を居去るとき、一通の手紙、それは指令書だった、が永啓の侍女から手渡された。

永啓のことをさんざんっぱら言った志知も、その行動の速さには少しばかり驚かざるを得なかった。


そこには、


「カムリなる子供を探せ、水瓶が二度満ちる前に」


と認められてあった。


「わざわざ俺に頼む理由、つまり永啓様も見つけられていないということ、いや力量を試している?そいつは隠れているのか、それとも誰もその姿を知らぬのか、いずれにせよ普通の子供ではないということ、さてどうやって見つける?」


ぶつぶつと志知は思念する。が、次の瞬間にはたと目を閉じた。


「まあいい!余分に二日も猶予がある」


そう言って冷や飯をかきこむと、それが合図だったかのように宿の女が近づいてきた。


「もう一杯いかがですか?」

「ほう、どんな具合だ」

「それはもうふっくら、水をたっぷり含んで炊き上がっております」

「なるほど、そりゃぁいい、部屋に運んでくれ」


志知がやにわに立ち上がる。

部屋には三つ指ついた飯盛女オンナが頬を赤らめて確かに炊き上がっていた。













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