第3話 涙の一筋

目が覚めたとき、籠には控えめに氷山厳花が摘まれていた。


「ならば、この国の魔女をここに連れて来い。さすれば花などいくらでも授けよう」


これは手付金ということなのだろうか。

そうだとすれば、竜というものの為人ひととなりがますます分からなくなる。

ただ、カムリは全身の倦怠感に包まれ、今日は山を下りるので精一杯であった。


麓まで下りた時、空には星辰が瞬いていた。

それは竜の翼に酷似しているように感じた。


手付金と思われる花は、そのまま一行に渡した。

量が少ないかと思われたが、どうやら今回の花は天子様ではなく隣国の領主のところに届ける物だったらしい。


彼らもまた、眠気眼をこするようにしてふらふらと帰路へと去っていった。




家には明かりが灯り、煙が上がっていた。


「ただいま」


やや疲れから俯き加減で引き戸を開けると、


「アホだぬきっーー!」


と、カムリの頭に拳が振り下ろされた。


衣更姉いさらねえ、痛いよ」

「痛いじゃないわよ、私の心配し続けた心のほうがもっと痛いわ」


衣更姉によると、麓の集落にも雪が舞ったらしく、山で竜がお怒りだとひと騒ぎだったらしい。

事の顛末を洗いざらい話した。


「なるほどねぇ。お国の下っ端も余計なことしてくれたわね」


そう言いながら、衣更姉は膝の上に僕を乗せて頭を撫でまわす。


「せっかくカムリが心を押し殺して、竜にお願いしたいのに、それを無駄にしたわけでしょ?意味わかんない!」

「衣更姉、首折れちゃう、首折れちゃう」


それに18になった彼女のふくらみを背に感じて、なんとも恥ずかしい。


「なんにせよ、生きて帰ってこれてよかったべ」


囲炉裏のおじやを混ぜながら、衣更姉のおばあちゃんが微笑む。


「かよ婆、全然よくないよ。だって魔女を連れて来いっていってんだよ、向こうは」


かよ婆は、常に笑っているからか、皺が笑みの形に深く刻まれており、常に微笑をたたえているようだった。


近所に住む衣更姉、つまり山田家は両親が出稼ぎにでているため、こうして毎晩祖母と孫でカムリの家を訪れている。


「魔女ってあれでしょ、佐登ヶ崎永景さとがさきえいけい

「こら衣更よ、様をつけなさい、様を」

「だって、あんまりいい噂聞かないし、、、」


その後は、夕食を食べつつ、衣更姉があれこれと魔女様に会う算段を考えてくれた。



「衣更姉、本当に大丈夫だよ」

「だーめ、もしかしたら約束なんて全然嘘で、今晩あんたを攫いにくるかもしれないじゃない」


衣更姉がどうしても今晩は泊っていくと聞かなった。

しかも同じ布団である。

彼女にとってカムリは幼い弟分のようであるかもしれないが、カムリにとっては何とも居心地が悪かった。


ただ、布団に入っていざ寝ようとすると、あの体が底から冷えていく感覚が戻ってきてどうにも恐ろしくなってきた。

何より、外が静かなのがいけなかった。


あの日。

父と母がいなくなった日。

たんぽぽだのを摘んで家に戻ってきた時の、物音ひとつしない家。

その伽藍の圧力が耳に痛く、そして本当に耳鳴りがするようだった。


父も母ももういないという、静かさ。


カムリが我慢ならず起き上がろうとしたその時、かすかな歌声が聞こえた。

衣更姉の歌は、上手ではなかった。

ただ確かに人の血が通った声だった。


その歌の趣意は、


__手折られたあなた、遠くに行ってしまってもう匂いすら香らない

_____私はまだ地に根を張ってここにいる

________私もまた手折ってくれればいいのに

____そうすればあなたのもとにたどり着けるでしょうか

__あなたを思い出すのは、あなたと同じ己の香りを感じるときだけ


___私とあなたはかつてここで同じ香りを風にあずけていたのだから


カムリの涙は、今度は暖かだった。

目頭からすっと流れて、まるで通いなれた道を行くように、鼻から顎に伝わった。


「明日から行くんでしょう、城下に。私も一緒に行くから」


素直に「うん」と頷いたカムリは、衣更の胸のなかで眠りについた。



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