第2話 竜との邂逅

それが竜であると峻別できたのはなぜか。

そのかたちはあたかも人のようである。


__ただ浮世ならざる美しさを除けば。


その双眸は花緑青はなろくしょう

髪は腰に流れ、金色こんじきの色をしていた。

それに彼女が、性差があるのかは分からないが、身じろぎをするたびに鱗粉りんぷんのようなものが陽光に瞬き、その綺羅きらとした輝きが、翼を広げたように目に映る。


巡礼服のようなものを着た竜が、地下足袋の裏をひらひらとさせながらこちらを睥睨へいげいしていた。


「お前は何者だ!」


一行の者が誰何すいかする。

竜は、今まさに下界の人間に気づいたかのように、緩慢に首を下した。

その顔は、この世にあってこの世にないような、遠く窅然ようぜんとした気色きしょくを示していた。


「、、、わっちか?」

「お前以外に誰がいる!山伏の類か?」


竜は高らかに笑った。その声は、しかし不思議と風のない風のように山を吹き渡った。鳥も、虫も、呼応することはなかった。

カムリにも、本当に笑ったのかどうか、その顔以外に知る手立てはないように思えた。


「わっちが山伏、、、こんな見目麗しい山伏がいてたまるか」

「それではなんだと言うのだ!」


カムリは懐の短剣に手をあてがっていた。

誰もが、その威容の存在が何者か、はなから答えを持っていた。


「わっちは竜。人にあらざる者にして神にあらざる者。そして、この神奈備かんなびを守護する者」


そこにいる誰もが固唾を呑んだ。


竜は本当にいた。

聖域を守護するものとして。


カムリは、両親の仇を前にして、しかし一歩も動けずにいた。

それを見てか否か、


「カムリ、道先案内任の役目だ、やつを殺せ!」

「親の仇を取らずして、ジラドの男にはなれぬぞ」


与えた銭の分をここで働けと言った。

親の仇を取れと言う


「ほう、後ろの奴らがわっちを殺せと言っておる。どうする少年。不敬とは思わぬが、不毛だぞ。それにどうやらわっちはお前の仇らしい」

「とぼけないでください、あなた様は私の父を骨一つ残らず食い、それから母も奪っていった」


竜の、深い深い沼のような濃い瞳が泡立つようだった。


「ほう!面白い。わっちがお前の父を食って母をさらったか。きゃきゃきゃ、そうかもしれぬなぁ、そうかもしれぬなぁ」


震える手で父の形見の短刀を握る。

憎き仇は、さも何でもない事だというように笑っているのだ。

打倒せねばならない。

そのために、父は短刀のみを僕に残したのだ。


しかし、それでもなお、カムリの頭の中に冷静な部分があった。

彼は、非力だが学があったのだ。


、、、竜を殺せ?

、、、なぜ竜を殺す必要がある?

、、、僕らは先祖代々、竜の許しを得て氷山厳花ひょうざんげんかを取ってきた

、、、何も殺す必要はない、許しを得ればいい

、、、少なくとも仇討ちの目的がある僕以外の人間にとっては


一行の者たちは、あまりのことに殺せと言ってしまったのだろうか。

人ならざるものは殺すべきだと。

ただ、それでは己の仕事の目的を果たせないと悟った。

彼我の力量は懸絶けんぜつしていると思った。


カムリは短刀から手を放し、自分の膝下しっかに置いた。それから深くこうべを垂れた。


「あなた様のことを何とお呼びすればいいか分かりませんが、わたくし共は花を少々、譲り受けたく参った次第です。かしこみかしこみ、お願い申し上げます」


カムリは慇懃いんぎんに頭を下げた。


「ほう、カムリ。親の仇の前でも職務を全うせんとするか。その意気は買おう」


なぜ僕の名前を知っているのか、カムリは不思議に思ったが、先ほど一行の者が言っていたためだと合点する。


「なるほど。その短刀は父の形見か?」

「はい。そうでございます」

「なるほど、わっちがお前の父を食らおうとすれば、お前の父はその短刀で抵抗しただろうな?」


カムリには理解のできない問いかけだった。


「はぁ、そうであろうかと存じます」

「そうだろうな。そうだろうな。わっちが人であってもそうする」


カムリからは、竜のおもては見えていなかった。

しかし、何か思案するというよりは興じているような声色だった。


「それにしては、その短刀はあまりに綺麗であるな」


そう言いつつ、ようやく竜が鳥居の下に飛び降りたのを感じた。


__その時だった。


一行の一人が、どうやら刀で以て竜に一太刀入れようとしたらしい。

カムリは砂を蹴る音と、地面の影の移ろいで察した。


カムリもまた、短刀を再度拾い上げ、後ろに飛びのいた。

振りかざされたはずの刀はしかし、柄だけ残して跡形もなかった。


「、、、わっちに刃を向けたな、人間ども。」


怒気は含まれていない。

ただ、冷気が四方の草花を凍らせ、瓦解させていく。

一瞬で体が底から震え、吐き気がする。


雪の一片のような花弁が、そこかしこに降っている。


「わっちを殺したいか」


竜の綺羅とした鱗粉の翼もまた、凍ったように姿を現した。

その形は、あたかも波頭がその頂から崩れようとしている、その転瞬の間に凍りついたよう。


「わっちを殺したいか」


繰り返されるその言葉は、刃向かった一行の一人に言っているのか、はたまたカムリに言っているのか。


何か答えようとしても、すでに唇は凍り付き、立っているのかどうかも不確かだった。


竜はいつの間にか眼前にいた。

カムリの視路を埋めるように、あの美しい顔がこちらを見ている。

顎をつかまれ、持ち上げられているようでもあった。

その指は、思いのほか暖かいように感じた。


「わっちを殺したいか。ただ、わっちは竜だ。凡庸の男に殺されるわけにはいかぬ。わっちにも天命がある」


カムリは、冷気に停止していく思考の中で、ただ何事もなくいつも思っていることを述べることしかできなかった。

新たなことは何も思い浮かばなかった。


「そのお怒りごもっともでございます。お花をいただければ、それで十分にございます。そのお花のおかげで、父も母も、私も慎ましく、幸せに生きていけます。命を除けば、どんなお返しでもしたいと、、、」


僕は何を言っているのだろうか。父も母も、もういない。

ただ朦朧とする意識の中で、美しい心象だけがあった。


かごいっぱいの美しい花。

それを与えてくださる竜に感謝して。

三人が揃って手を合わせる。

食べ物をいただき。

仕事に汗を流し。

夜は明日の喜びを思って眠る。


それ以外に、果たして何を得たいと思うだろうか。

何もいらない。

他はすべて竜にあげよう。


「ならば、この国の魔女をここに連れて来い。さすれば花などいくらでも授けよう」


12歳のカムリは、凍る涙にもう戻らぬ過去を映して気を失った。




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