第33話 彼もまた

 ベンは一度右手で顔を拭うように撫でた。


「まあそれが俺なんだが」

「え」


 思わず顔を凝視すると、彼は肩をすくめた。


「おう。カルロス先輩がな、すぐ救出した。あっという間で怖さを感じる時間もなかった」


 若気の至りだ。とこぼした声が北風にのって微かに耳に届いた。

 淡々と話が進んでいく。


「その後、大人たちにもだが、カルロス先輩にこってり絞られた。そっちの方が怖かったな。あまりの剣幕だったから、縄を解いたのは俺ではないと、言えなかった」

「!」

「その場にいたのは兄といつも一緒にいるグループだったんだが、その中で、背丈は変わらなくとも俺は精神的に一番幼かった。悪党はその気の弱さを見抜いたんだろうな」


 首に巻きついている太い腕と、突き付けられている割れた瓶。驚きすぎて声も出なかったから、大人は誰も気付かないまま、悪党は裏通りへと足を進めていく。

 このまま連れて行かれてしまったらどうなるんだろう。そう思って縋るように見た兄は、恐怖と不安に歪んだ顔をしていた。けれども。


「俺と目が合ったとき、兄は一瞬目を泳がせた。それがずっと忘れられない。情けないことだが」


 それから、カルロス先輩が目にも留まらぬ速さで俺を奪還し、体当たりで悪党の意識を刈り取ったとのこと。


「兄とその友人達とはそれ以来距離を置いて、近所の歳下の子らと一緒にいるようになった」


 なるほど。だから面倒見が良いのだなと腑に落ちて、マフラーをそっと撫でる。大きな体だが、寡黙で気の優しいベンは、近所の母親達にとって子を任せるのにうってつけだったに違いない。

 最終的には、年下の近場の子ども達はほぼベンと過ごしていたという。


「そうして兄達のグループと、俺のいるグループとで派閥のようなものが出来ていった。こちらは歳こそ低かったが、数が多くてな。兄達も縄を解いた犯人を言われたら困るのだろう。時々気まずそうにしていたが、俺が何も言わないとわかると徐々に落ち着いていったように思う。ただ兄は、家で俺のことを無視し始めた。それで、本格的に家を出たいと考えるようになったんだ」


 空には、うすらと星が光り始めている。

 鍛冶場から昇る蒸気も、もう大分数を減らしていた。


「これまで大工か指物師の事ばかり学んできたから、どうすべきか悩んだ。年下の子らの中には母親の仕事を手伝う者もいたが、基本的には針子だ。男の俺が奪って良い仕事では無かった。そうして、必然的に思い出したのは、カルロス先輩達の事だった」


 自分を救ったカルロス先輩のようになりたい。

 そう思い至ってからというもの、家の仕事の合間に勉強や鍛錬に取り組んだという。一度落ち、家族からの反対があったりもしたそうだが、自力で試験費用を捻出したうえで再度騎士の試験に挑み合格した。

 そう言うベンの横顔はどこかすっきりとしていた。

 聞けば家を出て、新兵強化の間は全く帰省していなかったらしい。


「親父が腰をやったらしくてな。兄から手紙が来た」

「じゃあ、兄君とは久しぶりに会ったのだな」

「ああ。見習いを抱える、大店おおだなになっていた」


 ベンは小さく笑っている。

 きっと、兄君といい話ができたのだろう。ベンが家を離れることで、昂っていた心が落ち着き、客観的に事を見られるようになったのではなかろうか。


「ベンの一友人としては思うところもあるが……昔の棘が溶けたのなら、喜ばしいことだ」

「……友人か」

「え、や、違ったらすまない。勝手にそう思っていた。同僚と言うよりは、話しやすかったから、つい」


 ごにょごにょと言葉を濁す私を、ベンはじっと見る。

 私は恥ずかしくなって、そっと地面に視線を落とした。


「いや、有り難い」

「! そ、そうか」

「ああ。今後ともよろしく、アリア」

「うん。こちらこそ」


 良かった。独りよがりな押し付けになる事なく、友人認定がおりたことにほっとする。

 ほうと息をついていると、彼はぽそりと何かを呟いた。

 夜の冷えた空気が昼の空気を押し出すような風に髪を攫われて、思わず聞き逃す。


「ごめん、いま何て?」

「……独り言だ。気にするな」

「お、おお」


 にやりと不適そうに笑うベン。

 少し身構えてしまうようなそれを目にして、私は問いかけた。


「なあベン。聞いてもいいだろうか」

「なんだ」

「射撃訓練で手を抜いていたのは、何故だ?」

「随分と明け透けに聞くな……」

「ごめん」

「まあ、いいが……カルロス先輩と同じ、重騎士になりたいんだよ。狙撃隊じゃなくて」


 私は首を傾げる。


「駄目なのか?」

「いや、狙撃隊を貶すわけではないが」

「いいや、違くて。重騎士が狙撃も出来たらダメなのか?」


 だって、先ほどのベンの顔で思い出してしまったのだ。

 もうすぐ赴く王女殿下の帰省と遠征。

 そこで背後の崖から降りて来た敵を撃つ魔法を放ったのは、確かに。


「ベン。君は重騎士でありながら、狙撃もすれば良いじゃないか」


 敵小隊の戦闘不可をもたらし、王女殿下の馬車を救ったのは、紛れもない彼だったのだから。

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回帰したら、厳しく指導してくれていた騎士団長が溺愛してくる キシマニア @fmo230

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