第32話 とあるヒーローの正体


「付き合わせて悪かった。帰るか」

「うん……ああ、いや」


 巻いていたマフラーを私の首に巻きながら、ベンは街並みに背を向ける。

 ふわりと甘い木の香りがするそれにお礼を言う。

 いつも孤児院の子らにしていたそれを、人からされるとなると、妙にくすぐったい気がした。


「ベンは……兄弟がいるのか?」


 身近なところに年下の存在が居るのでは。

 そう思って問いかける。正直に白状するならば、若干の照れ隠しもあった。


「ああ。兄がいる」

「兄君か、私はてっきり」


 ベンは若干の苦さを孕んだ笑みを浮かべながら、続けた。


「俺は、下町の大工の次男でな」


 いつも通りの、静かな声。


「……うん」

「ちょうどここに来る途中にあった、長屋があっただろう。それの改装をやった時あたりか。親父が兄貴を次の代として選んだんだ」


 俺が十五の時だったと思う。そう言いながら、彼は沈んでいった夕陽と入れ違いに灯り始めた街灯を目で追っている。

 普通、家の仕事の継承者が決まるのはめでたいことだ。だが、それにしてはベンの顔があまり明るくない。


「俺は、体の発育が兄より良くて、兄はずっと心配していた。もし自分が跡継ぎになれなかったらどう生きていけば良いのだろうと」


 うちの班の中で、カルロス先輩に負けず劣らずな上背と身体を持っているベン。力持ちで、手先も器用だ。確かに大工の必要な要素が揃っている。

 聞けば兄君はベンより少し背は低いものの、体格の良さはそう変わらないらしい。注釈として、今となっては。が付くそうだが。


「俺にだって、なりたいものがちゃんとあるってのにな。……何回言っても周りが冷やかすから、あの頃はだいぶ居心地が悪かった」


 お宅の息子はガタイが良いから、どっちを跡取りにしても良いな。だのなんだの周りの男衆達から何度も言われたらしい。

 兄君も下町の同年代からしたらしっかりした体つきだったのだが、年下のベンと比べて変わらない評価ということに劣等感を抱いたのだとか。

 思春期ということもあり、せっかく仲の良かった兄弟だったがあまり口をきかなくなってしまったという。


「だから十四になって、すぐ騎士試験を受けた。座学で一度落ちたが、翌年入隊した。それでやっと心の決まった親父が、兄を後継に据えたんだ」

「……もともと、騎士に、なりたかったのか?」

「ああ」


 ベンが、こちらを静かに見る。

 夕陽で暖められたのもあるのだろうが、彼にしては珍しく血の巡りがいい顔色をしていた。


「十二の時だ。資材を運ぶキャラバンの護衛にな、カルロス先輩がいたんだよ」

「え」


 あれは何年前だったか。

 そう思い出を探りながら、彼は言葉を選ぶ。


「カルロス先輩は、丁度今の俺たちくらいの歳だった。多分新兵強化期間の街の依頼を担う指令に駆り出されていたのだろう。今よりも体躯は華奢なのに、荷物を狙った野盗を二人抱えてたな」


 それはなかなかのインパクトだ。


「聞けば、いい稼ぎになるからとかなんとか言って賞金首を運んできたらしい。俺と兄、近所の子どもらは初めて賞金首なんてものを眼にする機会だった。荷下ろしの間、柱に括りつけてあるそいつらに好奇心で近寄ってったんだよ」

「それは……あまり」

「ああ。弁の立つ小悪党だ。子どもの良心に付け入って縄を解かせ、ひとり逃げ出したんだ。人質の子どもを捕まえてな」


 

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