第16話 強かなる教え


「……アリア。どうした」

「……っわ、いや。なんでもない」


 顔色を悪くしている私に、ガラントが声をかける。

 ヒソヒソ声だが、リュシオン卿が気付いたら面倒な事になるだろう。

 回帰前、嫌でも身に付いた彼への対応が私の口を噤ませた。

 先ほど言われたとおり。経験していないはずの体が覚えているのだ。


 チラリとリュシオン卿がガラントを見る。


「そこ。無駄口を叩くなら外で腕立てしてこい」

「……は」


 ほらきた。


「腕立てもわからんか? よろしい。慣れ親しんだサーキットにしてやろう」

「なッ」

「申し訳ありません! 行ってまいります!」


 私は立ち上がると腰を九十度まげて謝罪した。反論しそうなガラントの腕を取り、そのまま研修室を後にする。


「ほお……」


 ねっとりとした視線。ぞわぞわとうなじが逆立つのを感じた。白い蛇に服を着せたらきっとこんな姿になるに違いない。

 困惑の声を上げるガラントと、早歩きで退出する私を一瞥し、リュシオン卿はもう興味の無い様子で続きを話し始めた。

 面倒な事になったな。と、ため息を飲み込む。


 修練場が見えたところで、ガラントの腕を離した。


「っは、アリア。本当に部屋を出なくても」

「じゃないと目の敵にされてたぞ。しかも、今日だけでなく、今後ずっとだ」

「嘘だろう? 何故わかる」

「なぜって……」


 早足と怒りとで若干息の上がっているガラント。

 回帰前はそうだった。とは言いようがない。

 仕事を教える。使ってやる。そう言いながら、睡眠時間を削るほど仕事を与えられるのだ。

 昼食時間が無い日もあったし、夜間勤務の急な割り当てもあった。


「……宿舎で、第三師団の友人から」

「ああ。モンテ商会の三女か……」


 ぐしゃぐしゃと藍色の髪をかき混ぜ、ガラントは舌打ちをする。

 粗暴な仕草をするけれど、基本的に常識人で優等生な彼をリュシオン卿のサンドバッグにするのは回避したかったのだが……性急すぎた。


「すまない。彼は口答えが一番嫌いで、口にした罰はすぐ実行しないと大変なことになると……」

「女隊士にもそうなのかよ……」

「……すぐに出てきたから大丈夫だと思う」


 ガラントは。と、そのあとに続く言葉は言わない。

 女隊士にではなく、平民に対してそうなのだ。


「私を心配してくれただけなのにな。ごめん」

「……いや。逆に巻き込んでしまったな」

「問題ない。私は学がないから、正直なところ体を動かしている方が性に合ってる」


 意図して口角を上げ、ガラントを見上げた。


「……そうか」

「ああ。座学の内容は、ベンにでも聞くよ」

「アルバスも教えてくれるだろう」


 そこで会話を打ち切り、私たちはサーキットを始めた。

 午前の鐘が鳴り終わった後、リュシオン卿を探し頭を下げる。

 私もガラントも汗だくの様相を見ても顔色一つ変えない。だが、何も言わずに昼食にでも行けばまたネチネチとやられることは明白だった。


「申し訳ありませんでした!」

「……次は無い。午前の補講もなしだ」

「以後気をつけます!」

「……ふん。行ってよし」


「ありがとうございます」とガラントが踵を返す。私はあえて一歩遅れて、ガラントに続いた。


「アリア、とか言ったか」

「……はい、閣下」

「生まれは?」


 やっぱり帰してもらえなかったか。

 私を振り返るガラントに、目で先を促す。

「直答をお許しください」「許す」の平民が貴族に発言する時の作法を遵守したのち、私は口を開いた。


「貧民街の生まれでございます」

「なんと……親もか」

「顔は覚えておりません。物事ついたときより、おりませんでした」


 リュシオン卿は私の髪色をじっくり検分した。

 親由来なのか確認したかったのだろうが、私の最初の記憶は孤児院と、ルフタをはじめとする義兄弟きょうだい達との毎日だ。


「ふむ……それにしては、礼儀ができている」

「お褒めにあずかり光栄です。入隊して身に付けた付け焼き刃でございます」

「……第二でなく、第三師団で使ってやろうか?」


 空気の揺れる音がして、ちらりと背後をみる。

 貴族と平民との差に驚きの表情をしていたガラントだったが、リュシオン卿の言葉にさらに息を飲んだ様子だった。

 早く行け。と目で訴えるが、ガラントは動こうとしない。


「ありがとう、ございます」


 リュシオン卿はこの国の侯爵位だ。軍の家系で、長男以外の兄妹には国の役職に就いている者もおり、実のところ侯爵以上の影響力を持っていた。

 彼にとっては戯れでも、本当に囲い込もうと思ったらそれが出来る。


 もし本当にそうなったらなったで、腹をくくろう。

 そう覚悟を決めかけたとき、不意に脳裏で優しい声を思い出した。


(いい?アリー。女の武器にはね……)


「そうだろう……役に立て。お前をかっ」

「ぜひ閣下がには、どうぞご用命ください」

「!」


(体や美貌だけじゃ無い。大胆なおとぼけと、笑顔もあるのよ)


 にっこり。

 回帰前に王女様から習った笑い方で笑みを送る。


 リュシオン卿は怒りにカッと顔を赤くした。

 本来なら一中尉に人事の権限などないが、自分にはその限りではない。と、新しく配属された兵士に力関係を知らしめるつもりだったはずなのに。

 貴族の家名を深く知らぬ民に、それは効かない。

 だが人目のあるここで無知な下民に狭隘きょうあいな心を晒しても損をする。


 彼は苦々しい顔になったが、にこにこと笑う私の表情を見て思い直したのだろう。すぐにそれを隠した。

 代わりに誤魔化しの咳払いをする。


「……ああ。楽しみにしておけ」

「はい!」


 事実、貴方が師団長に就くことなんて無い。


 そんな事を考えているとは微塵も感じさせない、無邪気な女の顔で、私は退室の挨拶を口にした。




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