第3話 やられる前に、やれ

「おい、アリア」


 それきり黙り込んでしまった私の肩を抱いて、ルフタが溜め息をついた。舌打ちしながらも「このままじゃ体が冷えるだろ」と言って、連れて行かれたのはスラムにある落書きだらけの教会だった。

 反応がにぶい私の外套を脱がせ、また苦虫を噛みつぶした表情になる彼。「なんつーカッコしとんだお前」と、今日一番の長い溜め息をつく。


「空いてる部屋はここしかねえ。落ち着いたら出て来い」


 「チビ達寝てるから、静かにな」そう言って通されたのは懺悔室。とは言っても、間の衝立は雨漏りや子どもの悪戯なんかで壊れ殆どが取り払われている。扉が二つあるだけの、ただの小部屋だった。

 手渡された手拭いで、のろのろと濡れた髪を拭く。


 あの日から過去に戻ったと知って、スラムの存在を確認してもなお、心は晴れない。

 今居る場所に火が回る場面が脳裏をよぎり、未来にここを焼くことになるのかも知れないと思うと、寒さ由来で無い震えがきた。


「また、繰り返さねばならないのか?」


 簡素な椅子で頭を抱える。

 外套を着ていたにもかかわらず、雨水でしっとり濡れたシャツが罪悪感と共に纏わり付いた。


 一体なぜ、あんなことになってしまったのだろう。丁度今頃の時期、王女と隣国の皇子との婚約が決まり、王女の近衛に異例の抜擢で配属されてから、貴族のやっかみを受けつつも必死に業務にあたっていた。


 ひっつめ髪で化粧っ気もない私に思うところがあったのだろう。

 警備隊では必要なかったかもしれないが、近衛は見た目も大切なのだと、装飾具の一つも持たない私に王女殿下がブローチを下さったのをきっかけに、色々な人からアクセサリーを受け取った。

 要らなくなったものや、曰く付きのもの。審美眼の無い私にはそれらの見分けがつかず、精査する事なく渡されるもの全てを受け取っていた。

 そもそも、貧民が貴族から渡されたものを売り払ったりしては罰せられる気がしたし、単純に勿体なかったのもある。

「私が渡したものは使っているかしら?」と定期的に聞いてくる人も居て、非番の日はなるべく何かしらを身に付けるようにした。

 その中に、外したと思ってもいつの間にか身に付けている変なチョーカーがあった。

 それを受け取った夏の終わり頃から、怠くて起きられない日があったり、腹を下す日が続いたりと体の不調に首を傾げた。元々スラム育ちで、強靭な胃袋をしている自覚がある。働き出してからは、一度も消化系の困り事など経験しなかったのに。これが夏バテか?と呑気だった自分を殴り飛ばしたい。


 秋には深酒をした覚えもないのに、自室に戻ってからの記憶が抜けてしまう夜が散見した。ひどく疲労が溜まる毎日で、指導をつけてくれる教官や同僚、他部署の人からも心配されることがしばしばあったほど。


 ついにある日の朝、ブーツに身に覚えの無い返り血が付いていることに気付いた私は、このままではいけないと、先輩に相談する。けれど、警備隊所属だったその先輩には王女の輿入れ準備で忙しくしているし気のせいじゃないかと一蹴されたのだ。ただの清拭忘れだろうと。

 警備隊とは違い、王宮内勤務の近衛に流血沙汰なんてほとんどないのに。


 冬あたりの日中の記憶はさらに曖昧だ。

 ただでさえ先輩達に押し付けられている雑務が多いのに、輿入れが近づくにつれて警備訓練が本格化したことから、疲労と寝不足で毎日ただただ眠たくて、ふらふらと登城していた気がする。

 その頃にはチョーカーだけでなく、ブレスレットやアンクレットなどを隊服の中にジャラジャラと身につけていた。訓練のとき、指導官に外せと指導されたことがあるから覚えている。そのあまりの数に驚き、そして慄いた。一体いつの間に身につけたんだろうと。

 あれらは、誰から受け取ったのか。そういう忘れるまじないがかけてあったのか定かではないが、今となっては全く思い出せない。


「アリア」


 大袈裟に、肩が跳ねた。


「湯が沸いたぞ」


 どれくらいの時間考え込んでいたのだろうか。ルフタが気持ち優し目にドアをノックした。

 微動だにしていなかったから、心配させてしまったのかもしれない。懺悔室を出ると、礼拝堂の角に置かれたテーブルに湯気の立つマグカップが用意されていた。ルフタは「茶っ葉なんてねぇからな」と笑うけど、ここでは薪だって貴重なのに。


「ありがとう」


 指先を暖めるように、両手でマグカップを持った。ルフタも同じように湯を啜り、その場に沈黙が訪れるより早く、口を開く。


「それで、何があった」

「……」


 あえて視線を外したままなのは、私が喋りやすいようにだろう。時折視線だけこちらに投げては、言葉を整理する私の表情を見ている。


「……夢、なのかも知れないんだ」

「……そりゃ一体どんな悪夢だったんだ?」

「私が、お前を殺して街を焼く夢だよ」


 ルフタは、鼻で笑った。


「このゴミ溜めから、チビ達の為に血反吐はいて騎士に成り上がったやつが、火を付けたのか」

「……ああ。夢の中、ではな」

「どんな喜劇だよ。夢の俺は、お前を止めなかったのか?」

「出会い頭に刺してた」

「ハハ、やべえな」

「だから次私が来た時に、様子がおかしかったら殴ってでも止めてくれ。殺してもいい」

「……お前」


 冗談を言ってる顔じゃねえんだよな。そう言って、ルフタは椅子の背もたれに体を預ける。ククッと、片眉が上がった。怒っている時の上がり方だ。


「夢の中ではよ、それはお前の意思でやってたのか?」

「そんなわけない!」


 ガタッと、思わず立ち上がった私を見て、彼がうなずく。


「だよなあ。……ちぃときな臭いな」


 こんな話を、信じてくれるのか。

 固まっている私に気付かないまま、手元のマグカップをあおって、ルフタも立ち上がった。


「とりあえずそれ飲め。冷めるぞ」

「あ……」


 勢いよく立ったせいで、僅かばかりだが袖口が濡れていた。ゆっくりと座り、火傷はしない程度に冷めたそれを、思い出したかのように口へ運ぶ。


「もし」

「……?」

「もしお前がみた悪夢が、現実になる可能性があるんならよ」


 嫌だ。拒否反応でざわりとうなじが逆立つ。


「黙ってやられる訳にはいかねえだろ。忘れたのか?この街の流儀をよ」


 ルフタには、なにか思い当たる節でもあるのだろうか。与太話のような私の言葉を、あまり疑ってはいないようだった。


「やられたらやり返せ。やられる前にやれ」


 だろ?と、挑戦的に笑う。弱肉強食の裏世界で幅を利かせた男の、猛禽類のような笑みだった。

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