第32話 初恋にレクイエムを side三ツ星

 神奈川県相模原市。俺の出身地であり、七年前に出て行った町。


 京王線で橋本駅へ向かう。終点まで乗っていれば着くので、実はそう遠くない。特急を使えば新宿から一時間もしないでいける駅だ。電車からの景色は、都会のいかにもな町から、のんびりとした郊外へと変わっていく。


 俺の地元は正確にはJR横浜線の相模原駅の近くだが、橋本駅は横浜線で一駅なのでよく行っていた町だ。あとは町田。


 ぼんやりと窓の外の風景を楽しんでいたが、同時に緊張感も高まっていた。『月下さん』との対面、そして過去に向き合うための帰郷。たいした距離ではないが、なんだか遠くまで旅をする気分だ。あの場所で何を見つけるのか、何を得るのか。七年前の出発から今日まで、俺の人生はどれだけ変わったのか。


 特急電車の揺れが、俺を過去へと誘った。学校が終わると友達と共にいったフードコート、小学生の時に遊んだ公園、初めて借りたスタジオ。忘れたと思っていた記憶が次々と蘇ってきて、案外忘れないものだなと自分で自分に感心した。


 記憶は問題の中学時代へと潜っていった。配信でもネタにした、今からは考えられないほどピュアな初恋のこと。相手は中学の同級生で、今回の厄介リスナーである『月下さん』こと遠藤賛理香さりかだったわけだ。


 ため息が出る。なんでこんなことになったのだろう。確かに当時からオタクっぽい趣味はしていたし、イラストも描いていたが、まさかVtuberの配信を見ているとは思わないじゃないか。俺は本人を前に中学生の頃の黒歴史を暴露していたのかと思うと、穴があったら入りたい。


 ピュアでプラトニックだったイキリ中学生の恋愛は、三年生に進級した途端に自然消滅した。というか、行動力は有り余っていたのに何故か行動を起こさなかったので、クラスが離れた途端に話す機会がなくなって、気持ちも離れたのだった。ちなみに俺の人生に大きく影響を与えたロケンロウ田中は、二年生から三年生まで授業を担当してくれた。


 あの時に何か行動をしていたら違う未来も会ったのだろうか。インターネットの大海原で『赤城クロノ』を見つけて、あれだけ思い入れを持ってくれたのだから、当時から芽はあったのではないか。……どんな未来があったとしても、俺はバンドマンを目指すだろうし、それがうまく行くとは限らないし、『赤城クロノ』を否定する意は毛頭ないが。


「……お待たせ」


 待ち合わせ場所には、当時と同じ、黒い髪をうなじでまとめた、少し地味な女がいた。真っ直ぐな前髪と低めのポニーテール。記憶の中の少女と同じ。


「髪型変えてないんだね」

「……わかりやすいかと思って。普段はもう少しマシです」


 そういう彼女は黒いコートに低めのヒールのブーツを履いていて、よく見れば中学生の頃からは随分と垢抜けていた。ナチュラルメイクと小綺麗な格好に、ポニーテールは似合っていなかった。


「そっか。あ、普通に話しかけちゃったけど俺」

「わかってます、佐藤くん。声が、そうだから」

「俺の声そんなにわかりやすいかな。そりゃハクトみたいな違いはないけど、けっこうテンション違うと思うんだけどな」

「すぐわかるし、かなり特徴あると思いますよ。だってすぐに誰だかわかったもの。この声佐藤くんじゃないかって」

「ああ。そう……」


 丁寧なのにどこか張り詰めた口調で、せっかく緩んだ緊張が戻ってきた。喫茶店に入っても気まずいままだったので、コーヒーがくるなり、本題に入ることにした。


「あの投稿消して欲しいんだけど」

「……それだけ言いたかったんですか?」

「そうだよ。こっちは誰が投稿したのかわかってるし、脅すつもりはないけど、一応は企業にいるから、ほら、法的なあれそれもすぐに取れるから。リズになりすましてるのもすぐアカウント凍結されるだろうし」

「リズ?」

「闇月さん。いや普通にただのオタクだから、あの人は……」


 なんで俺が弁明しているんだろうか。おかしいんじゃなかろうか。


「とにかく、まあ昔のよしみもあるし? 投稿消してくれたら何がなんでも訴えるってわけでもないからさぁ。……ってか、何が目的なわけ?」

 

 遠藤賛理香、またの名を月下さんは、俺の言葉に少し考えているようだった。俯いたまま彼女はコーヒーを見つめながら呟いた。


「佐藤くんのVtuber活動について何かを訴えたいわけじゃないの。私はただ、以前の佐藤くんを思い出して……。だって佐藤くん、辛そうなんだもん。無理してるのまるわかりだもん。それなのに周りのなんも知らない人にチヤホヤされちゃってさ」

「……オレがイタくて見てられないからぶち壊してやろうって?」

「違う!」


 彼女が机を叩いたので、周りの人が一斉にこちらを見た。背中に視線が突き刺さっているのを感じる。


「もちろん、Vtuber活動を否定するわけじゃない! それが貴方にとって大事なことなら、続ければいい。ただ、ただ私は! 貴方が自分自身を見つめ直す機会を持ってほしいと思って」

「いや、でも、個人情報ばら撒いてそれはちょっと」

「だって、だって佐藤くん、辛そうで。もともとバンドやりたかったんでしょ? 成人式でフライヤー配ってたじゃない。やりたいことやってるならいいんだよ。でも……佐藤くん、かわっちゃったね。本来の佐藤くんは、音楽だけやれてればいい人でしょう? 視聴者の好みに合わせたり、アニメの絵で仲良しこよししたい人じゃなかったじゃない。私はあの頃の真っ直ぐな佐藤くんが好きだよ」


 感情が高まったのが、遠藤さんは泣き出してしまった。泣きたいのはこっちだ、とも思うけれど、それ以上に久しぶりに会った同級生に泣かれたこととか、視線の痛さとか、単純に女に泣かれた時のあの居心地の悪さとか、一気に去来して心が痛い。


 それと同時に、遠藤さんの凶行の理由がわかった。要するにバンドマンになりたかったはずの同級生が、配信者の真似事してチヤホヤされているのが、理にかなっていなくて、筋が通っていなくて、別人になったようで、悲しいということだ。


 確かに中学生の俺に、今の俺のことを話したら、ダセェとかキモいとか憎たらしいことを言うだろう。アニメみたいな化けの皮をかぶって、楽器を弾くことも本業ではなくて、SNSに乱舞する視聴者の言葉に一喜一憂し、あの頃の俺からすれば別世界の人間と生きている。


 でも配信を楽しみにしてくれている人が一人でもいる以上、歌を聞いてくれる人が一人でもいる以上、ついでに認めてくれる仲間がいる以上、その思いがある限り、赤城クロノは最強にカッコいいインターネットのバケモノなのだ。自分の理想にこだわるのもいい。だけど俺という個人に紐づけられたものを全部なしにして、魂一つで伝えられることがあるのなら、それはガキの俺が夢に見た、世界への反逆ロックンロールだと思うのだ。


「……俺は変わったかもしれないけど、変わった今の俺のこと、そんなに嫌いじゃないんだ。遠藤さんは気に食わないかもしれないけど、クロノを通じて得たものは、大切なものだから。昔の俺を好きになってくれてありがとう。変わった俺も好きでいてくれなんて言わないから……」


 彼女はじっと聞いていた。顔を見るなり、じっと目を離さない。妙な迫力に気圧されて、俺の言葉は尻すぼみになる。


「佐藤くんはもういないんだね。……クロノくんの配信を見たときに、また佐藤くんに会えたと思ったんだ。でもそれは嘘だったんだね」


 ちょっと様子がおかしいな、と思ったときには、首元にナイフがあったから驚いた。


「え、遠藤さん?」

「詰めが甘いよクロノくん。本当に突き放したいなら、会いになんてこないでよ。期待するでしょ? まだクロノくんのどこかに、私が好きだった人がいるかもしれないって。私のこと覚えててくれて嬉しかった。こんな思いさせるなら覚えてない方がまだマシだった」


 腰が抜けるって現象は本当にあるんだな、と発見を得たところで、俺の肩を叩く人物がいた。同じように遠藤さんの横にも、立っている人がいる。


「……あの、まず刃物は危ないですし、うちのタレントの個人情報をばらまいた件について詳しく伺いたいので、ちょっと場所をかえませんかね」

「ひか?!」

「シッ」


 俺の口を塞いできたのは、肩を叩いてきた人物だった。そのまま耳元で囁いてくる。


「入口のとこにいる客に盗撮されてます。どうもライブ配信みたいなので、これ以上喋らないで」


 金髪ロングのカツラで変装している上に声も変えているが、大輝だった。間近で顔を見るまでわからなかった。こいつの変装スキルは、ちょっと演技経験がある程度のものではない。どこかでその秘密を聞きたいものだ。


 俺は黙ってうなずいた。コップの反射を使って確認すると、不自然にこちらにスマホを向けている客がいる。もちろん、うちのタレント、と口にしたのはひかるちゃんである。


「……まあ、とりあえずお店の人が警察呼んでるみたいなので、取り調べに応じましょう」


 遠藤さんは、それ以上暴れることはなく、素直に警察に連れられていった。


「賛理香ちゃん」


 このままお別れかと思うといても立ってもいられなくて、思わず中学生みたいな声のかけ方をした。彼女は、泣きそうな顔で振り返って、俺が何か言う前に、被せるように、こういった。


「クロノくんは、佐藤くんが見ても、カッコいいって言うと思うよ。ギターがうまくて作曲できて、なんでも話しちゃうバカ正直な……。だけど、誰にでも優しいのはよくないよ、……おばかさんだね、女たらし」

「……うるせえわ」

「さよなら」


 いつの間にか学生の下校時刻になり、駅には制服の集団が溢れかえっていた。好奇心でこちらを見る子、足早に通り過ぎていく子。彼らと俺らはあまりにも違った。あの時の俺みたいな彼らとは、もうどうしようもなく離れた場所にいて、彼らに誇れるような大人にはなれなかったけど、それでもどうにかカッコをつけたくなるほどには、俺は成長できたのだろう。駅から見えた夕日は、真っ赤に輝いていた。

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