第8話 夜明け前のバラード side三ツ星

「ただいま」


 暗い部屋に声をかけてから、もうこの部屋には誰もいないことを思い出し、舌打ちを一つしてから、靴を脱いだ。アコギを置いて床に座り込み、ぼんやりとアパートの壁を見る。


 昼に新マネージャーと顔合わせ、深夜にコンビニでバイト。早朝か深夜か曖昧な時間帯に帰宅。退屈なわりに不安定で慌ただしい日常。デビューすれば変わるのだろうか。


 高校を中退して退路を絶ち、音楽の道に生きると決めた時、俺はもうすぐ十七歳になるところだった。もうすぐ二十四歳になる今、なぜかVtuberになる準備をしている。


 バンドは解散し、三年同棲していた彼女には逃げられ、俺にはもう後が無い。実は三桁の借金もある。旧マネージャーが逃げた際に辞める選択肢もあったが、引くに引けなかったのが実情だ。どうも不安定な船に乗ってしまったことは、界隈に詳しくない俺でもわかるが、今更引き返すのも難しい。


 目の前は未だ仄暗く、不安だけが俺に寄り添ってくる。ふざけるのは得意だが、一人で冗談を行っても虚しいだけだ。買ってきた酒をあおる。彼女と別れてから酒量が増えている気がする。心配してくれる人もいないので困らないが。


 良い具合に酔って気が紛れたタイミングで、事務所から借りているやたらと高性能なパソコンに向かい、動画を編集しなおしていく。二次元のキャラクターから自分の声がするのは妙な気分だ。表情が硬いと言われたが、何が原因なのだろう。そういえばハクトはやたらと表情が多彩だったが。


 よくわからないシステムだが、ユニットなるものがあるのは嬉しい。またバンドが組めたみたいで。だがいかんせんハクトこと大輝ひろきには謎が多いのも確かだった。大輝とこハクトの方が正確だろうか。まあどちらでもいいか。


 あの歌唱力でなぜか自信がない。地声で通用するだろうになぜか作り声を使いたがる。配信経験がないわりに動画編集がうまい。他人の容姿にどうこう言うのは考えものだが、あれで本当に一般人なんだろうか。顔……。まさか。


 これまた借り物のWebカメラとにらめっこする。プレビュー画面でクロノの顔を確認する。目周りがうまく反映されていないような。顔か? 世の中やはり顔なのか? 目鼻立ちがぼやっとしてる奴は表情読み込めませんってか?


 と思ったが、検索して見ると、どうやら前髪が目にかかっているのがよくないらしい。試しに前髪をクリップで止めると先ほどよりスムーズな気がする。一安心だ。念のため大輝に表情の秘訣を聞いておこう。limeを開きチャットを送ってから、学生はとうに寝ている時間だと気がついた。深夜のバイトはわりがいいが、生活リズムが狂ってしまう。


 ため息を吐き、もう一缶酒をあおった。


 事務所代表は資産家のお嬢様。大輝は花の大学生。自分からは言わないが有名な私立大学に通っている。今日だか昨日だか曖昧だが、新しいマネージャーも大卒らしい。引きこもっていたという事前情報と、緊張まるだしの態度から勝手に高校を中退した時の自分を重ねていたが、まるで検討外れだった。代表の幼なじみという時点で推して知るべしだが。


 新しいマネージャーはまだよくわからないが、代表も大輝も熱意は伝わる。だが俺ほど切羽詰まってはいないだろ、なんて意地が悪いことも思ってしまう。切羽詰まっているのにVtuberなんて始めようとしている俺も大概だが。


 Vtuberに限らず配信者は、職業にするには不安定だ。代表にもバイトは辞めないで欲しい、活動をメインの収入源にするのは難しいと念を押された。加えて新しい業態であることから、世間の理解も進んでいない。かくいう俺も声をかけられるまでVtuberの存在すらよく知らなかったし、バンドマンと付き合うくらいには不安定な職種に理解のあった彼女が意味がわからないとキレだすくらいには認知度が低い。


「何バカなこと言ってんの?! あんたもう子どもじゃないのよ、詐欺まがいの夢見てる場合じゃないでしょ! ゲームだってそんなに上手じゃないくせに!」


 喧嘩になった時に彼女……元カノが言い放ったセリフは、代表が聞いたら怒るかもしれないが、世間一般の常識に照らし合わせれば、俺の現在は『詐欺まがいな夢に酔っているバカな大人』に他ならないのかもしれない。


 詐欺まがいな夢。どんな形でもいいから、俺の見た目じゃなくていいから、俺が作った曲をたくさんの人に聞いてもらうこと。


 二十歳ハタチを過ぎる頃には、自分に才能がないことなどわかっていた。さしてうまくもないのにギターばかり弾いて、大して心に響かない歌を作って、若さを浪費するうちに大人と呼ばれる年齢になった。うまくなったのは愛想笑いくらい。


 それでもこの言葉が、歌が、音楽が、誰かの心に届けられるというのなら。化けの皮ガワを被ってでも、やる価値はあると思うのだ。


 作業を続けるうちに空が明るくなった。大輝からチャットが返ってきた。たった一言、


『キーバインド』


 と。そういえばあったな、そんなの。困難を乗り越える鍵は、案外かんたんなものなのかもしれない。

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