第2話 パパの会社
日本についてすぐ向かったのはパパの実家だった。東京の郊外にあったのだが「ここ本当に東京?」というくらいど田舎で、私は田んぼなるものを生まれて初めて見た。もちろん、おじいちゃんおばあちゃんにもほぼ初対面だ。聞くところによると生後三ヶ月の頃に一回会っているそうだが、そんな記憶あるわけがない。向こうの記憶の中の私だってちゃんと人の形をしていたか怪しいものだ。
「斉藤」と書かれたプレートのある門の前に来ると、祖父母二人が待っていた。まぁ、案の定というかおばあちゃんもおじいちゃんも私の登場にひどく心を動かしてくれたようで、頭の先からつま先まで丁寧に見つめた後によく来たねぇ、大きくなったねぇ、と抱きしめてくれた。それからたっぷりもてなされ、さぁ日が暮れたという頃になって、パパが告げた。
「父さん、母さん、今夜は会社でイベントがあってね」
「ほい、イベント」
おばあちゃんがポカンとした。
「うん。キックオフって言ってね。まぁ、半期ごとにある新しい仕事を始める時の打ち上げみたいなものなんだけど」
「おお、おお」
おじいちゃんが何故か嬉しそうに膝を叩く。
「お前、そういやぁ、会社の中で偉いんだったなぁ」
あはは、とパパは笑った。
「十年以上アメリカで過ごした甲斐あってね」
「あのままあっちで死んじまうんじゃないかって思ってたよ」
おばあちゃんが心底嫌なものを見たような顔で首を振る。パパは申し訳なさそうに微笑んだ。
「特別な会でね。家族を連れていける。ちょっとしたパーティがあるんだ。うちの会社のほぼ全ての社員が世界中から集まるんだよ」
「へぇ、今の会社はすごいねぇ」
何だか見当違いなコメントに聞こえるの私だけ?
「とにかく、今夜は会社でご飯を食べてくるからね。英美里との晩御飯は、申し訳ないけど明日に延期でいいかな」
「そらもう、私らは英美里ちゃんがいてくれたらいいからねぇ。いつでも」
「日本で家を見つけるまではここにいるよ」
「あらぁ、本当? それじゃおばあちゃん、毎日ご馳走作らないと」
ねー、とおばあちゃんが私と顔を合わせる。シワだらけだけど、何だかとても元気で、楽しそうで、いつかこういうおばあちゃんになるのかもな、と思った。
さぁ、そういうわけで。
私とパパは、一路東京も東京、東京駅の方へ向かった。いつの間に手配したのだろう。家の前にはハイヤーが一台、停まっていた。私たちはそれに乗った。初めて見る日本の街並みは何もかもが小さくて、でも全てがきちんとあるべきところにあって、コンパクトな入れ物に無駄なく配置されたインフラに少し感動した。それは生まれて初めてコンピューターを解体した時の気持ちに似ていた。日本という国が好きになった瞬間、なのかもしれない。
*
会社に着いてすぐ。
ドン引きするくらい大きなビルの前に来たんだけど、どうもこれ自社ビルっぽい。だってビルの名前がパパの会社の名前と一緒だったもん。私はしばしボケっとしてから、ハイヤーを降りた。
パパはハイヤーをわざと会社の入り口から少し離れたところに停めた。ビルが東京湾を一望できる場所にあったから、ちょっと日本の海を見せたかったのだろう。初めて見る東洋の海は汚かったけど大きかった。おかしな話で、多分視界に入る海の広さ的には、私がいたアメリカ西海岸の方が大きいだろうが、日本の海は何というか、懐の深さ? 的なものを感じた。ふうん。やっぱり日本って不思議な国。まぁ私一応日本人なんだけど。
パパに連れられ、ビルの中に入る。三階までぶち抜いて吹き抜けにしたフロアにはコーヒーショップやら、売店やら、セブンイレブンやら、うっそ。マクドナルドまで? とにかくこのビルに住めば大概のことは済みそうな環境が整っていた。セブンイレブンって日本の企業だからここにあるのは当たり前だけど、アメリカのとはちょっと違う。まぁ、消費者の性質が違うから当然だけど、何だか不思議な気分。ただ残念なことに、今日は土曜だからかどこも閉まっていた。このビルが通常運用されていない時は店は閉められるのだろう。パーティが退屈だからマクドナルドに逃げ込む……なんて手は打てそうにない。
キックオフとやらの会場はこのビルの二十階らしい。ちらりとエレベーターの階数表示を見たが二十三階まであった。まぁ、そこに屋上やら何やら足せばざっくり二十五階分くらいあるのだろうか。地下も入れればもっとあるんだろうなー。でかいビル。パパの会社ってこんなに大きかったんだ。
と、エレベーターを待っている私たちの後ろから、一人の女性がやってきた。足音に気づいて私たちは振り返る。私より少し背が低いその女性は微笑んでいた。パッと見中年。服装からして……偉い人かも。
「あら、英美里ちゃん?」
オーバーサイズのパーカーにガムをくちゃくちゃ噛んでる私に、その中年女性は優しく微笑んでくれた。でも待って。私あんた知らない。
こいつ誰? と目線でパパに訊ねるとパパは「お父さんの会社の専務だよ。浜田さん」と微笑みながら答えてくれた。専務。やば。ちょー偉いじゃん。
「斉藤さん、ようこそ帰られましたね」
ハマダさんがぺこりと一礼する。私は大人二人の品のいいやりとりを傍観する。
「いや、長い道のりだった」
パパは斉藤製薬の副社長。企業名と私たちの苗字は同じだが無関係だ。斉藤製薬でたまたま上にのしあがった斉藤さんというだけ。それ以上のものはない。
ただ、パパは会社の中で人気者だった。天性の人たらしというか……パパには甘え上手なところがあった。アメリカの家に住んでた時も家の中の電子機器配線は全部私がやった……だってパパがやると配線が不細工というか、どれが何に繋がってるか分からなくなるんだもん。本当は物理的な仕事は私の得意分野じゃないんだけど……まぁ、仕方ない。
ま、とにかくパパはその天性の人たらしとリーダーシップとで五十歳目前にして一流企業のナンバーツーにまで上り詰めた。娘として鼻が高い? ま、家に帰ればビールが好きなただのおじさんだけどね。
「英美里ちゃんは何歳になったのかしら」
ハマダさんに訊かれ私は答える。
「十七」
「こら、英美里」
パパが静かな叱責を飛ばす。
「敬語」
「はい」
私はベロの裏にガムを押し込めると丁寧にハマダさんに答えた。
「十七歳になりました」
「あらあら」
ハマダさんは嬉しそうに笑った。ったく何がおかしいんだか。
エレベーターに乗り込む。パパがボタンを操作した。上階直通のエレベーターらしく、十五階より下は止まらないらしかった。ボタンがない。耳の奥がじんわりしそうなくらい上ったところでエレベーターは止まった。二十階だ。
ドアが開く。と、その瞬間、乾いた音……発砲音が響き渡った。
私とパパはその場に硬直した。
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