第53話 原因

 尚文は正義感が強いのか、子供の頃から自分とは関係のない所で、喧嘩していると、仲裁に入って止める性分があった。

 そして自分の事になると、理不尽な事をされても極力相手の事を考える、優しい所があった。それゆえに、イジメも加速したのかもしれない。

 

 教えるべき私も、尚文からイジメの相談を受けた時に、やり返しはしてはいけないなどと小さい頃から言っていたので、相手からただひたすら攻撃されて、受け身でただ耐える事を教えてしまっていた。


 今考えれば、相手にどの程度やられた時にやり返しして、喧嘩して覚える機会を奪ってしまったのだと思った。


 「中学生になる時に、新しい友達出来るかな」

と夢と希望をいだいて入った中学生生活だったが、結局小学生の、エスカレーター式なので、人が変わる訳でもなく状況はそのまま続き、東日本大震災へ続いた。


 社会全体が経済的にも精神的にも、落ち込んで荒んでいたので、学校の教師含め、生徒もそれぞれ身内に不幸があったり大変な状況だった事から、人の事を構う余裕がなかったのかもしれない。優しさなんて学生生活ではなかったようだ。


 イジメはなお加速した。


 結局、学校行くのを中学3年まで頑張っていたが、限界になりやめて不登校になる。


 担任からは、来ないと高校の願書渡さないとか、高校に入れないとか、散々言われた。毎日私は、朝は欠席の報告をするように担任から言われ、毎回中学校に呼び出しされて、プリントを取りにくるように言われた。


 何故かその時は、そこし得ぬ恐怖があり、ほんとにそうしないと、尚文が今後高校に行けなくなるような気がしてしまってしたがっていた。

 

 私もノイローゼになり、そのうち尚文にあたってしまっていた。無理やり学校に行かせようとしてしまった。


 そんな事がベースにあっての今日なので、なるべくしてなったと思うと、尚文が今追い詰められているのは、ほぼ私のせいである。


 尚文は無事高校に入って、卒業している。

 

 京介の所には戻ったものの、近くの代行業者は、今度は、バリケードを立て始めた。縦2メートル横1メートルくらいの柵でグルッと敷地を囲み始めたのだ。

 敷地内にプレハブの事務所のようなものもが出来て、そこに、毎日トラックで大岩を何トンも山積みしていた。

 四角い大型の金網にドカンのようなものをクレーン車で入れたりして、「キーン、カーン、ゴロゴロ」と地ならしのような音が毎日朝8時頃から、18時頃までしていた。もはや代行業者ではなくなっていた。


 またか…。


 騒音がこう酷くては、頭に響いてしまう尚文はいられない。また住む家を探し始めた。

 

 今度は、私は尚文と一緒にいることに自分が原因かもしれない事も踏まえて、離れて暮らして見ることを考え、尚文には一人暮らしをしてもらうように一緒に探した。


 





 

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