第44話 相談
毎日こんな生活も、していられるはずもなく、今の状況を何とか改善するための、策を相談しに、役場を尋ねる事にした。
役場では何度か時間にして30分くらいの時間をさいてくれたが、結局のところ、話を聞くぐらいしか出来ないと言われた。
困って、その後も、保健所、地域包括支援センター、自立支援センター、警察の生活安全課、市の福祉課、精神福祉センター、障害課、施設の窓口、グループホーム、ひきこもり相談、女性相談、いのちの電話など。
関係なくても、どこかで糸口が見つかればとの思いで電話帳や、役所に行って資料をあさっては、連絡してみた。
結果は、情報はゼロだった。どこの公的機関に相談しても、今の悩み相談をしても、いつも答えは一緒だった。
「うちではそのような事業はやっていないのですいませんが、お引き取り下さい」
「では、どこかこういった相談できる場所ないでしょうか?」
「宮城県にはないですね」
「民間のサポートする場所とかでも知りませんか?」
「仮に知っていても、斡旋したり出来ないので教えかねます」
「では、……こういった場合はどこに相談したらよいのでしょうか……」
「………」
電話では無言になり、窓口行けば最後に頭を下げられて帰された。
私は途方にくれた。
そんな時に最後に思いついたのが、ネットの知恵袋だった。
ネットは暖かい言葉で溢れていた。
「どこかに、繋がってください。息子さんの為にも、必ず諦めなければ、どこかに出口は見つかるはずです。応援してるので、頑張ってください」
こんな感じの書き込みが沢山届いた。
私はその言葉を励みにもう一度、病院や、家探しを始める事にした。
ネットで病院を検索していたら、県外ではあるものの、尚文に似たような病状の、例が載ってる記事を見つけた。
場合によっては、個室の入院も出来て、防音設備も整っているとの事。
すぐに、その病院とメールでやりとりして、その病院に行く手はずをとる準備をした。
尚文もここであれば行ってみてもいいとの事だったので、車で片道3時間かけて病院に通院する事になった。
始めのうちは、社会不安障害という病名がつき、1週間事に薬が合うまで変えられた。
薬が合わなければ、即中止しなくてはならない。
興奮を抑える薬がますます、何故か、体質に合わないのか、助長させる薬もあった。
半ば実験体のような形で、薬づけの生活が、2年間くらい続いた。
通院は大変だったが、京介に運転してもらって、通っていた。
診察室に入るまで待合室で待てない尚文の代わりに、京介が並び順番が来たら、尚文と私が診察室に入っていた。
大きい総合病院だった為、いつも患者でいっぱいだった為に、病院の中では待てなかったのだ。
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