もうどうにでもなっちまえ


 半年ぶりに登校した祷子に対する年下の同級生たちの視線は、思っていたほど冷たいものではなかった。つい先日、個室で受験した春期試験の結果が良好だったこともあり、「おっかないけどかしこい人」という喜ばしい評判を得ることができていた。


 そのまま何人かと連絡先を交換しあい、祷子は寮へと戻ってきていた。喪服めいた濡羽色の制服の着心地は、存外悪いものではなかった。


 自室の扉の鍵は開いていた。


 すわ一大事、不審者かと身構えたが、玄関口から垣間見えるリビングの姿見の前に立つ人影を見て、祷子は茫然とその姿を見つめた。


 伯楽智晶。黒と紫のコーディネートに身を包み、今にも泣き出しそうな様相を醸し出す、自己憐憫と承認欲求の塊。祷子の生活にかすかな光と確かな彩を与え、そしてひどく幼いうちに夭折した、誰より愛しい年上のルームメイト。橋玄通りの輝きに惹かれ、純粋なままに果ててしまった、愚かで可憐な夜光虫。


「祷子さん」


 しかし声色は智晶のものではない。低く大人びたその声は、志乃のものに他ならなかった。


「何してんのさ、ホスト殴って少年院ネンショーでお勤めしてんじゃなかった?」


 志乃に大金で買われていた間、彼女が傷害事件を起こして停学処分をくだされていたことを知ったのは、つい最近のことだった。生物学上の父親の太いコネで前科持ちになることだけは免れたものの、もはや彼女を瑕疵なき優等生として扱う者はいないだろう。


 学校指定の鞄を自室に放り投げると、祷子は洗面所で手を洗い、ようやくリビングへ足を向けた。志乃は微動だにせず、姿見の中の人物を眺め続けていた。


 血色は悪く、その肌は青褪めているといってよかった。口元には、その無生物的で生気のない肌の白さを強調するかのようなダークローズカラー。目元には深い隈が刻まれ、夜ごとに枕を抱えて泣き腫らしたかのように赤らんでいる。


 智晶、ではない。しかし、これまでの志乃とも言い難い。


「私、まだ智晶のことがよくわからないの。いちばん親しかった貴女から、どれだけあの子の人となりを聞いたとしても……」


「今んなって泣くくらいなら、少しは気にかけてあげればよかったじゃん」


「逢おうと努力したはつもりよ。ただ……お互い避けてたんだと思う」


 都合の良いことだと祷子は少し思ったが、それ以上の追及は避けた。志乃が智晶を纏うことで暗黙の了解プロトコルを遵守しようとしている以上、余計な詮索はすべきではない。


 しかし。


「あの子に面と向かって嫌いだとか言われたら、私、きっと生きていられなかった」


「智晶も」


 詮索厳禁のルールを破って、祷子はぼそりとつぶやいた。


「智晶も、そう言ってた。できすぎのあんたの前に顔を出したくないって。面と向かって、嫌いだって言われたくないからって」


 祷子の言葉を咀嚼し終えた志乃は、姿見の前でひざを折った。


「貴女には、そう打ち明けたのね。そう」


「少なくともあたしは、智晶を推し活の尺度で考えたことなんかない」


「私だって――――そうよ。あの子が無価値だったなんて、誰にも言わせない」


 そして目元に涙をためながら言った。


「ありがとう、祷子さん――――姉と、仲良くしてくれて」


『エモさ』などでは表現しようのない感情が、祷子の胸の中でいっぱいになって、それから間もなく、やがて抑えようもなく、それは勢いよく決壊した。

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夜光虫 カスミカ @ksmika

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