第三章 18話

 ジークたちは夕暮れ前に、廃村に到着した。

 木組みで作られた柵に囲まれた村だったのだろうが、その柵は劣化して半分近くが折れたり倒れたりしている。

 村の北側は急斜面の丘になっていて簡単には登れそうにない。

 悪鬼がどんな地形を踏破できるといっても、さすがにこれをよじ登っていくことはない……と信じたい。

 ウルウェンテが指摘した通り、この村を大きく迂回されたら、この待ち伏せは失敗となる。

 そこで、ウルウェンテにはあえて丘に登ってもらい、高い位置から索敵してもらうことにした。


「それはいいけどよ、合図はどうすんだ?」

「持ってきた『パンクラック』を使おう。一個鳴らしたら、悪鬼がここへ素直に向かっているのを見つけた。二個立て続けに鳴らしたら、悪鬼が大きく迂回して村には近寄らない……この場合は、即座に撤退だ。危険だが、墓地で戦うしかない」

「アタシが見つけられなかったら?」

「夜明けまでに悪鬼の姿を見なければ、やはり撤退だ。この場合は……シロナには悪いが、オレたちでは決着をつけられない。冒険者ギルドと衛兵に、知りえた情報を伝えよう」


 悪鬼がこの付近を通過しないということは『墓地にやってくる』という見込み自体が外れたことになる。

 シロナの人生を懸けた戦いに決着はつけさせてやりたいが、アグロアーやその周辺に多大な犠牲が出る可能性を放置はできない。


「オレたちが先に悪鬼を見つけた場合は、こちらで『パンクラック』を使おう。ウルウェンテは丘から村の様子を見て、オレたちが敗北したらアグロアーへ急行してくれ」


 一瞬、ウルウェンテが苦い顔になったが、すぐに冷静さを取り戻して頷いた。

 【斥候スカウト】の彼女なら、悪鬼や他の魔物を避けながらアグロアーへ帰ることも難しくないはずだ。


「ボクはどうしたら……?」

「ニムは村の中で手伝いをしてくれ。ただし悪鬼が出たら無理に戦おうとせず、反対側から逃げるんだ。ウルウェンテと合流できれば理想だが、すぐに見つけられない場合は街道から宿場町へ行くこと」

「……分かりました」


 いくつかの作戦会議を終えて、ウルウェンテは地形の把握のため村の周辺を探索に向かった。

 残りのメンバーは、村に残された朽ちかけの家屋のチェックと、柵の修繕を行なう。

 とはいえ、ただ単に柵を直しても意味がないので、無事なロープ部分に鳴子を取り付けることにした。

 材料は現地調達しかないが、幸い、家屋の一つにロープが積み上げてあり、劣化もさほどではないので十分に使えた。

 鳴子用の木片は家屋の壁を破壊して調達する。

 時間がないので分担作業となり、ボルグも無言で手伝ってくれた。

 やがて夜更けとなる頃。

 その瞬間は訪れた――



 急ごしらえの門を見ながら、ニムニリトは両手を胸に抱いた鞄に力を込めた。

 門には、二ムたちが持ってきた『ライカ』がいくつも取り付けられ、煌々と光を放っている。

 出力を最大に設定したので数時間で切れてしまうが、これは悪鬼をおびき寄せるための仕掛けの一つだ。

 『ライカ』の明かりは、聖術の照明魔法『イルメイ』を模したものだ。

 聖術そのものではないが、近い効果として悪鬼を引き寄せられないか――というのがジークの案だった。

 そして、もう一つ。


「できました、今です!」


 二ムが、持ってきた『改造ライカ』を、隣にいるボルグに手渡した。

 丸太のような腕で『改造ライカ』を掴んだボルグは、それを力任せに上空に向かって放り投げた。

 きっかり一秒後、激しい閃光と衝撃波が、周囲を昼のように明るく照らし出す。

 腹に力を入れていた二ムだったが、ビリビリと全身を打つ衝撃に息が詰まる。

 これで、かなり目立ったはずだ。

 特にアンデッドである悪鬼ならば、この閃光と衝撃は不快に感じたはずだ。

 どこまでの範囲に影響があるかは未知数だが、少しでもおびき寄せるのに効果があることを期待したい。


「……本当にこんなんであのバケモンが来るのか?」

「たぶん、悪くない作戦だと思います」

「へっ、どうだかな。あいつの考えた作戦なんだろ?」


 『改造ライカ』を投げ終えた右手に、戦斧を握りながらボルグが言う。

 左手には宿場町で買った森林作業用の斧が握られている。

 そのボルグの足元には、大きな籠に入った作業斧が五本ほど入っている。

 武器店にはロングソードも売られていたが、彼曰く「信頼できる得物を選んだだけ」という。

 森林作業用の斧にどれだけの攻撃力があるかは疑問だったが、中級冒険者である彼が選んだのだからそれでいいのだろう。

 ちなみにウルウェンテは予定通り丘の上、シロナとイルネスはそれぞれ村の側面に離れて立っていて、ここにはいない。

 悪鬼を見逃さないようにするためだ。

 ジークは、作戦の準備があるとかで、廃屋に籠って何かの作業をするそうだ。

 二ムがどう返事をしていいか迷っていると、ボルグが鼻で笑った。


「てめえも物好きだな。ジークのパーティに入るなんてよ。あの嬢ちゃんといい、エルフといい……しまいにゃ【死霊術士ネクロマンサー】と来たもんだ。あいつの周りはどうなってんだ」

「ジークさんの凄さに、気付いたからだと思います」


 ボルグがジークをよく思っていないのは、雰囲気で察していた。

 言わせっぱなしなのも悔しいので、二ムは反論する……怖くて目は合わせられないが。


「何だよ凄さって。あいつは底辺で、しかも『死神』なんて呼ばれてんだぞ」

「だからです。自分に才能と実力がなくて、そのせいで仲間を死なせてしまった……それでも、ジークさんは頑張っているんです」

「ただ単に諦めが悪いだけだろ。冒険者にしがみ付いてるだけだ」

「ボルグさんは、どうですか?」


 ちらっと顔を見ながら言うと、ボルグは無言で二ムを睨んでいた。

 言い過ぎたかもしれない、と思いつつも、ジークを見下されて少し不機嫌なのは二ムも同じだ。

 どうせなら最後まで言ってしまおう。


「ここでもし悪鬼を倒せたとして、その後はどうするんですか? 冒険者、やめちゃうんですか?」

「……てめえには関係ねえ」

「ジークさんは、そんな状況でも、冒険者を続ける選択をしました。理由は……たぶん、仲間だったヒトたちの敵討ちのため。そして、自分の弱さを乗り越えるために」

「…………」

「ノーム族のことわざに『ヒトを背教者と罵れば、そのヒトは神に背く』というものがあります。ヒトから陰口を叩かれ、嫌な噂話を流され、たった一人で孤立して……それでも自分を曲げず、頑張り続けるのって、簡単じゃないです。しかもジークさんは、その陰口を無視せず、受け止めて、そのたびに傷ついて……そんな中で冒険者を続けているんですよ」


 二ムも【創具士フルクリエイター】を目指して職人に弟子入りしていたが、不当な扱いの中で何度も弟子を辞めてしまった。

 新たな職人を探しては弟子入りし、ノームであることを理由に邪険にされ、技術も学べず……逃げ続けてしまったのだ。

 それに比べてジークのなんと我慢強いことか。

 こんなに強いヒトを、二ムは見たことがなかった。


「だからボクは、ジークさんのことがす……尊敬してます」

「……実力のねえ奴から、消えていく。それが冒険者だ」


 ボルグは前方を見つめていた。

 独り言のように呟く。


「……俺の仲間は、最高だった。いつか、貯めた金で最強の聖魔武具を買い揃えて『遺跡エデン』に挑むのが夢だった。……だが、死んだ。実力が足りなかったからだ」

「そんな言い方――」

「あいつらを死なせちまった俺が……一番、実力がなかったのさ」


 ボルグの腕に力が籠る。

 筋肉が引き絞られ、自身の骨がギシ、ギシと音を立てる。

 やがてボルグは頬を吊り上げ、犬歯を剥き出しにする。


「……なあ、そうだろ。ここで先に死んだほうが、実力のねえ本当のクソになる。そいつを今、決めようじゃねえか!」


 ボルグが雄叫びのように吠えた。

 その視線の先には――『ライカ』の明かりにうっすらと照らされた、赤い鎧が見えていた。


「――っ!」


 大丈夫だ、まだ距離はある。

 二ムは慌てそうになる気持ちを抑えつけ、鞄の中に手を入れると『パンクラック』を取り出した。


「投げます!」


 二ムは非力ながらも全力で『パンクラック』を投擲した――



 ――遠くで破裂音がした。

 宵闇の中で目を凝らしていたシロナは、即座に立ち上がって駆け出した。

 音の方角は村の門だ。

 できるだけ広い範囲を見張れるように、シロナは門の反対側にあたる西側付近にいた。

 小さな村とはいえ多少の距離があるが、全力で駆ければ数分で到着するだろう。

 問題は、その数分を門の二人が耐えきれるかということだ。

 迂闊に接近せず、時間稼ぎに徹してくれていればいいが、門にいるのはあの巨漢のヒューマンだ。

 血気盛んな気性のようで、さらに仲間を討たれて間もない。

 激高して突撃してもおかしくはなかった。


「シロナさん!」


 前を走る少女が、シロナに気づいて振り返る。


「イルネス、だったかな。いったん止まりなさい」


 速度を緩めるシロナに合わせて、イルネスも足を止めた。

 彼女は村の中央を見張る役だった。

 彼女もまた、門へ急行している途中だったのだろう。


「ジブンの背に乗りなさい。その方が早い」

「え、でも」

「遠慮はいらないよ。今は時間が何よりも惜しい」

「……分かりました!」


 少し迷った少女は、最終的に納得して、しゃがんだシロナの背中に乗った。

 武器である杖を持っているので片手で捕まることになるが、さすがに「前衛」だけあってバランス感覚はよく、重心をうまくシロナに合わせてくれている。

 シロナはすぐに立ち上がり、一直線に駆け出す。

 背中の少女が胸を患っていることはジークから聞いている。

 影響の出る距離かどうかは分からないが、少しでも負担を減らしてやるべきだろう。


「シロナさん、腕は大丈夫ですか?」

「腕……ああ、古傷のことかい。片手で極端に重いものを持つことはできないけど、君くらいなら軽々さ。それよりも、ミカグラの戦いはイメージできているかい?」

「カタナは鋭利で俊敏、武器をぶつけ合うのは不利。アンデッド召喚で壁を作る可能性があるから、当たると思っても油断してはいけない。役割は倒すことではなく、シロナさんの術を当てるまでの時間稼ぎと隙作り」

「上出来だよ。……危険を強いることになるけど、無茶はしないでおくれ」

「一番無茶をしそうなヒトが、何を言ってるんですか」


 シロナは苦笑してしまった。

 まだ出会って半日少々、会話すら数えるほどだと言うのに、こちらの心情を見抜かれてしまっている。

 ジークの弟子というのも頷ける。

 師匠と共に、よくヒトを見ている。

 二度目の『パンクラック』が鳴った。

 門から聞こえてきたので、これは合図ではなくミカグラに対して使ったのだろう。

 シロナとしては正直、効果が薄いと思っている。

 ヒトに例えるなら、ちょっと熱いお湯の飛沫が肌にかかった程度だろうか。

 うまくいけば軽い水ぶくれくらいにはなるだろうが、それがダメージと呼べるかと言われれば疑問だ。

 ただ、注意を引く効果はあると思う。

 ジークの仲間たちもそれは承知しているようだった。


「そこ、大きな窪みがあります!」

「見えてるよ。これでも夜目は効くのでね」


 シロナは荒れた地面を苦も無く駆け抜けていく。

 やがて、門につけられた『ライカ』の明かりが見えてきた。

 その中央に立つ、赤い鎧の悪鬼の姿も。

 ざわ、と全身の毛が逆立つのを感じる。

 怒り、興奮、恐怖――様々なものが交じり合い、渦を巻く。

 背中の少女が、シロナの肩を二回タップする。

 即座に意図を理解して、走りながら抱えていた足を離すと、少女は軽やかに着地、勢いを殺さぬままに走り出す。

 門の側に小さな小屋があり、その後ろに誰かがいた。

 ニムニリトだ。


「二ムくん、無事?」


 イルネスが速度を緩めて近づくと、近くの廃屋の後ろに隠れていた背の低い少年がびくっとして振り返る。


「あっ、イルネスさん……何とか時間稼ぎをしようと思ったんですけど、とても止められないんです。ボルグさんも斧を投げつけたりしてたんですが、効かなくて。当たりそうだった攻撃も、ゾンビが出てきて邪魔されてしまって」


 シロナも小屋に身を隠しつつ、角から顔を覗かせて周囲を見る。

 赤い鎧のミカグラは、ボルグと対峙していた。

 倒すべき対象として認識したのか、雑な前進はしておらず、カタナを抜いて腰を落とし、隙を伺っている。

 対するボルグは右手に戦斧、左手に作業斧を構えて、じりじりと横へ動きつつ様子を見ているようだった。

 門の向こう側には、ボルグが投げたであろう斧とゾンビの砕けた体がいくつか転がっていた。

 シロナが見てきたミカグラの召喚の特性は、大きく分けて二つ。

 一つは敵の攻撃が命中しそうな時、壁として呼び出すもの。

 そしてもう一つは、多数を相手にした時、攻め手として呼び出すものだ。

 ただしどちらも絶対ではなく、またミカグラが計算して呼び出している感じも見受けられない。

 あくまで召喚は補助的……というか、おそらくミカグラに憑いた『呪い』の副次的な効果なのだろう。

 そもそも今のミカグラに、ヒトとしての認識力がどの程度残っているかは疑問だ。

 もし判断力が高ければ、自分の目的のためにもっと効率的に動くだろうし、あまつさえ深い川を歩いて渡って下流へ流されるという間抜けも演じない。

 彼はただ、歩き、近くに『倒すべき敵』が見つかれば倒す。

 それを繰り返しているだけの哀れな人形だ。

 ただその人形は、中級冒険者程度なら瞬殺してしまうほどの鬼神である。

 そして召喚を担っているのは『呪い』の方であり、それを込めた者の怨念の仕業。


「……母さん」

「え?」

「いや、何でもないさ。作戦は以前に伝えた通り、ジブンが術を用意している間、ミカグラの足止めと牽制を頼むよ。ジブンがミカグラに向かって走り出したら、一気に攻撃を――」


 小屋の角から様子を窺いつつ説明をしていたシロナだが……一瞬、ミカグラが肩越しにこちらを見た気がした。

 強烈な殺気が、全身を突き抜けていく。

 ――狙いをこちらに変えたか?

 身構えたシロナだが、そうではなかった。

 ミカグラの全身が蜃気楼のように歪んだかと思うと、その全身から白い雲のようなものがいくつも滲み出てきた。

 それは空中でいくつもの塊になったかと思うと、シロナに向かって飛ぶように迫って来る。


 ――しまった!


「二人とも、下がって!」


 叫びつつ、シロナも後ろに跳んで呪文を唱え始める。

 ミカグラが召喚したのは『フィアー』と呼ばれるゴーストだ。

 肉体的にヒトを傷つける能力はないが、触れると精神をかき乱され、やがて正常な意識を保てなくなる。

 不安と恐怖から動けなくなり、次いで発声できなくなり、さらに触れ続けると混乱して発狂する。

 これから術を使おうというシロナが、触れるわけにはいかない。

 低位のゴーストで、シロナであれば簡単に術で祓うことはできるが、当然、その間は他の術を使うことも準備することもできない。

 イルネスが小屋から離れつつ、聖水を杖に振りかけている。

 確かにあれならフィアーに打撃を加えることもできるが、シロナの術より非効率で時間もかかる。

 彼女一人で対処はできないだろう。

 シロナが手を貸せばやられることはないが、ミカグラを倒す術の準備にも入れない。

 まるでこちらの作戦を読んだかのような戦術。

 シロナは焦る気持ちを隠しながら、目の前のフィアーに術を叩き込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る