第三章 17話

 シロナが話を終えると、しばしの沈黙があった。

 みんな、それぞれに何を考えているのだろうか……

 最初に口を開いたのは、ボルグだった。


「ずいぶん詳しいじゃねぇか。里も国も滅んだんだろ? 何でそんな細かいところまで知ってんだ?」

「……実際に見たからね。この目で」

「は?」

「ミカグラを悪鬼に変えた【死霊術士ネクロマンサー】の女性には、実子が一人と、養子が一人いたのさ。カナミ……実子は殺され、養子の方が生き残ってしまった、ということさ。母に……義理の母に言われたよ。『どうしてあなたが生き残ったの』とね」

「そんな、酷い……!」


 イルネスが、今にも泣きそうな顔で言う。

 シロナは複雑な笑みを浮かべた。


「皮肉なもんさね。カナミを失い、狂った母は、ミカグラを悪鬼に変えた。ジブンたちを咄嗟に助けようとしてくれたヒトさえ、復讐の道具として利用したのさ。その結果『二の次』だった養子のジブンだけが生き残ってしまった」

「二の次だなんて、そんなこと!」

「んなことはどうでもいい、俺の質問に答えろ。『勇敢なる剣』を殺ったのはてめえじゃなく、あの悪鬼で間違いねえな?」


 ボルグの視線が鋭くなる。


「ああ。ジブンもその噂を聞いて、ここを調査に来たんだが……六人の冒険者が、ごく短時間で倒されていた。ジブンには、そんな超人的な実力はないよ。呼び出せるアンデッドも、実はほとんど低級の魔物ばかりだ。退散や封印の呪術ばかり磨いてきたからね」


 彼女の目的から考えれば、それはごく自然なことだ。

 

「分かった。じゃあ次だが……てめえは、あのバケモンをどうするつもりだ?」


 ボルグの問いに、シロナがすっと目を細めて地面を見た。


「ジブンはずっと、ミカグラを追い続けてきた。もちろん、止めるために。旅をしながら、術を覚え、腕を磨き、同時にミカグラを探していた」

「ガキの頃から、ずっと一人で旅をしてたってのか?」

「そりゃそうさ。里はないし、かと言って死霊術を身に着けた自分が、ヒトの町や村にほいほい入るわけにはいかないからね。これでもジブンはファンギア族だから、野山での生活は得意分野さ」

「……そこまでして、何故あのバケモンを追いかける?」

「妙なことを聞くね。ジブンは、家族と故郷を、滅ぼされたんだよ? 母さんとカナミの……里のヒトたちの復讐をしたいと思うのは当然だろう」


 そう語るシロナの様子は、淡々としていて、怒りに燃えるボルグとは対照的だった。

 しかし……それ故に、彼女の持つ感情の重さが、伝わってくる気がする。

 人生を懸けた、復讐の一人旅。

 どれほど孤独で、終わりの見えない道だっただろうか。


「ただ、ミカグラを見つけることは『遺跡エデン』を見つけるより困難だ。何せ相手は、目立つ鎧を着ているとはいえたった一人で、極寒の山だろうが谷底の大河だろうが、魔物の『領域テリトリー』だろうが歩いてしまう。目撃情報なんてほとんど得られないし、せいぜいアンデッドの噂を聞いて確かめに行くくらいだ」

「……あのバケモンに勝つ方法はあるのか?」


 ボルグの睨みながらの質問に、シロナは曖昧な表情を浮かべた。


「ミカグラを仕留めるための術は習得した。それを使えば、ミカグラにかけられた『呪い』を解除することができる。ただ、問題は……」

「あのデタラメな強さ、ってことかよ」

「そう。実は、十年くらい前に一度、ミカグラに接近できたことがあった。しかし、術をかける前にあやうく斬り殺されるところだった」


 シロナはローブの裾をめくり、左腕を露わにする。

 そこには、肩口から肘近くにかけて、深い傷跡があった。


「今でも左腕は、肩から上に上がらないんだ」


 墓地で見せたシロナの動きは、素早く、洗練されていた。

 おそらくジークでは、術抜きで戦っても傷を負わせられないだろう。

 その彼女が接近戦で敵わない相手である……相当な実力があると見ていい。

 ふと浮かんだ疑問を、ジークは口にする。


「呪術や死霊術は、遠方から掛けられる利点があるんじゃないんですか? わざわざ接近しなくても、遠くから罠のように術をしかければ――」

「ジブンはファンギア族だよ、ジークくん。種族として『顕現型』や『固着型』に適していない。いろいろ試してみたが、やはりジブンが死霊術を扱うには、どうしても直接接触するほど、近づかなければならないのさ」

「そうですか……となると、そのミカグラを倒すには、オレたちで動きを抑え込んで、その隙にシロナさんが接近し、術を発動する、という作戦になるわけですね」

「……手伝って、くれるのかい?」


 シロナが、少し驚いたように目を丸くする。


「そのつもりで話したんでしょう?」

「いや、てめえらじゃ無理だ」


 口を挟んできたのはボルグだった。


「あれは正真正銘、バケモンだ。【守護者ガーディアン】のギンガンが、盾ごと鎧を一撃で切り裂かれ、即死した。てめえらじゃ、肉壁にもなりゃしねえ。そのへんの石ころと同じだ」

「だが石につまずいたり、踏むことで足が滑ったりするかもしれない。投げつければ気を引くことだってできる」

「屁理屈こねてんじゃねぇよ!」

「シロナの話を聞いた以上、オレはたとえ肉壁になったとしても、あるいは一瞬、気を引くことしかできなくても、彼女に手を貸す。もう後戻りをする気はない」

「てめえ……」


 ずっと胸の内側にあった曇りが、晴れた気分だった。

 彼女は『勇敢なる剣』とは無関係で、黒幕でもなかった。

 それどころか、何十年もたった一人で、凶悪な怪物を追い続けてきたのだ。

 そんな彼女の過去を知った今、自分にできることは一つだ。


「応援を頼むことはできないんですか?」


 素朴な疑問として、二ムが発言する。

 ジークは少し考えて、答える。


「オレたちで挑んで、敗北したらそうしよう。だが、今すぐは駄目だ。シロナが【死霊術士ネクロマンサー】である以上、冒険者だろうが聖教会の派兵だろうが、敵視されてしまう。協力どころか、一緒に攻撃されてしまうだろう。おそらく生かしてさえもらえない」

「だろうね」


 シロナが頷く。

 ジークは作戦を考え、口にする。


「オレとイルネスで、シロナをサポートする。それに失敗して死ぬことになったら、ニムとウルウェンテは『悪鬼』の存在を知らしめる役になってくれ。アグロアーの冒険者ギルドに行けば、対策を立ててくれるはずだ」

「そんな、ボクも一緒に最後まで――」

「アタシらが戦いに残ったって、何の役にも立たねぇよボウズ。むしろ、アタシらまで全滅して、ミカグラってやつのことを知るヒトが誰もいなくなる方が問題だ。最悪の想定だが……せめてメッセンジャーの役割くらい、まっとうさせようぜ」


 ウルウェンテに肩を軽く叩かれ、ニムは俯いた。

 不満はあるが、反論もできないといったところか。

 ジークはイルネスに視線を向けた。


「一緒に死線へ飛び込んでもらうことになるが……」

「もちろんです。師匠と一緒に死闘を繰り広げ、怪物を倒す……これこそ、私が望んだ冒険です!」


 イルネスの目は、ぶれることなく力強く燃えていた。

 胸に重病を抱える彼女にとって、おそらく死は、日常の中で意識し続けるもの。

 危険を避け、穏やかに細々と生き残ることを彼女は望んでいない。

 彼女にとって生きるとは、自分の望みを叶えた上で掴み取るものなのだろう。

 ボルグが口を開く。


「俺も入れろ。あのバケモンには、仲間の命の代償を払わせてやる。俺を最前線で戦わせるなら、お前らの作戦に乗ってやる」


 正直、ボルグの申し出は助かる。

 イルネスはともかく、ジークでは敵の足止めにすらならない可能性が高い。


「ありがとう、ボルグ」

「それより、あのバケモンの居場所を、どうやって見つけ出す? 俺が奴と戦ってから、もう半日は過ぎている。不眠不休で歩けるのなら、すでにかなり離れている可能性があんぞ」

「そうだな……そうなると応援を呼ぶに呼べない。せめて、動きの規則性とか、そうしたものがあればいいんだが」

「ミカグラさんの目的とか、何かないんですか?」


 二ムが尋ねるが、シロナは首を振る。


「それに気づいていたら、ジブンが試しているさ。おそらく彼の最初の目的は『聖十字軍』とグリム王家への復讐。それを終えて、明確な目標を失くし、ただ本能のままに放浪しているだけなのかもしれない」

「……そういえば、妙なことがあった」


 思い出すようにボルグが呟く。


「あいつ、最初は偶然、俺たちの方に近づいて来たという感じだった。だが、聖術を見た途端、動きが変わった。明らかに、狙いをそいつに定めたようだった」

「聖術に……身の危険を感じたのか?」

「もしかしたら『聖十字軍』に対する恨みを、本能的に覚えているとか?」


 ジーク、次いでイルネスが意見を述べる。

 シロナは少し考えてから口を開いた。


「……【死霊術士ネクロマンサー】には『秩序と混沌』を見る力がある。実際に見えるというよりは、肌で感じると言ったほうが近いが……聖術は『秩序』の力が満ちている。それに反応したのかもしれないね」

「じゃあ、聖術を使えば、おびき寄せることができるかもしれないと?」

「それはどうだろうね。もし遠くの聖術まで感知しているのなら、各地の教会や修道院が軒並み襲撃されているはずだよ。あくまでミカグラの周辺、といった程度じゃないかな。あるいは、大規模な聖術とか、複数人が一斉に聖術を使えば、多少距離があっても反応するかもしれないが」


 残念ながら、ジークにそんな規模の頼み事をできるツテはない。

 だが、少し引っかかる。

 何かを思い出そうとして、うまくいかない感覚。

 聖術……複数人が一斉に?

 記憶を慎重に辿っていき――


「……まさか!」


 ジークが立ち上がる。

 怪訝そうにボルグが見上げた。


「なんだ?」

「アグロアーの墓地で『浄化の儀』が行なわれる。本来は来月のことだが、前倒しにするとギルドで聞いたんだ」

「師匠、浄化の儀って何ですか?」

「墓地を清めるため、年に数回、簡単な魔除けの聖術を施すんだ。ただ墓地は広いため、聖教会の術士が大勢、詰めかけることになる」

「それは本当かい?!」


 シロナも椅子から立ち上がった。

 神出鬼没な相手の、行く先が見えたかもしれない。


「その話はアタシも知ってる。日程に遅延がなければ……今日、実行されるはずだ。おそらくもう準備に入っている」


 ウルウェンテが地図を取り出し、指で距離を測り始める。


「そのミカグラってのがマジで不眠不休なら、徒歩だとして……墓地まで丸一日、といったところだな。その頃には術士たちもアグロアーに帰っているだろうから、墓地で襲われる心配はないが……」

「もし墓地まで来てしまったら、アグロアーまで間近だ。街で大きな治療があって、強力な聖術が使われるようなことがあれば、街に入ってしまうかもしれない」


 ジークが言い終わる頃には、すでに全員が立ち上がり、荷物をまとめ始めていた。

 言わずともみんな、同じことを考えているだろう。


「ウルウェンテ、ここから墓地を直線で結んだとして、墓地の手前で戦いやすい場所はあるか?」

「障害物がないほうがいいか?」

「……いや、敵のほうが圧倒的に戦闘技術が高いだろう。身を隠せるものが近くにあったほうがいい。足場は多少悪くても構わない」

「んなら、と……ここだな。街道整備があった影響で、かなり昔に廃村になった場所がある。行ってみねえと分からねえが、廃屋の一つや二つはあると思う」

「よし、急ごう」

「バケモンがその村の脇を通り過ぎたらどうすんだ」

「多少、考えがある。とにかく行こう」


 ジークたちは来た道を引き返し、馬を預けていた村まで戻った。

 馬は三頭しかないので、ジークとシロナが相乗りすることにした。

 女性同士ということでウルウェンテとイルネスが一緒に。

 二ムには悪いが、ボルグの後ろに乗ってもらうことにした。

 馬を走らせるため、街道を使う。

 多少迂回することになるが、時間的には問題なく先回りできるはずだ。


「それにしても、無謀なことをしたもんだね、ジークくんは」


 休息を挟んで、再び走り出した夕方ごろ。

 ジークは後ろに乗るシロナから声をかけられた。

 彼女はローブを着ているため、横座りをしているのだが、走る馬の上でもまったくバランスを崩さない。

 腰に彼女の手が回されているが、強くしがみついてくることもなく、軽く触れている程度だ。

 ジークどころか、ヒューマンでは誰も真似できないバランス感覚である。


「何がです?」

「あのバンシーを相手に、ジブンの術を真似しようとしただろう? もしかしてずっと練習していたのかい?」

「いえ、イメージをしたことはありますが、実際に使ってみようと思ったのは、あの時が初めてです。あの時、咄嗟に頭に浮かんで……」

「まったく呆れるよ。失敗していたら死んでいたんだよ?」


 シロナは少し笑っているようだった。

 それから付け加えるように言う。


「ジークくんは、自分の術を正面からぶつけて、抑えつけようとしていたね。それじゃ反発が激しくて、身体が持たない。相手の力に対して受け流したり、少し方向を変えてやったり、そうしてちゃんと『届く』っていう場所に術をもっていくのさ」


 シロナの説明は感覚的で、意味はあまり理解できなかった。

 それでもジークは、その言葉を懸命に胸に刻み込む。


「勉強になります」

「やめな、アドバイスのつもりで言ったんじゃない。こんな術なんて、使わないに越したことはないんだ。ヒトから疎まれるには、相応の理由がある。ミカグラがいい例さ……復讐心を利用され、数えきれないほどの命を奪い、今も人知れず命を奪っている」

「……ずっと不思議に思っていたことがあります」


 ジークは、気になっていたことを口にした。


「そのミカグラは、中級冒険者を圧倒する実力を持ちながら、各地を目的もなく放浪しているんですよね。そしてアンデッド召喚により、王国を滅ぼすほどの軍勢を生み出すこともできる」

「そうだね」

「でも、グリム王国の他に、主だった被害の話は聞いていません。五十年も歩き続け、もし聖術に引き寄せられるという性質が本当だとしたら、大きな町の一つ二つ、被害に遭っていてもおかしくないと思うんです」

「もちろんそうさ。今まで運がよかった」

「……シロナさんが、そうさせなかったんじゃないですか?」


 五十年、ミカグラを追い続けてきた彼女が、町や村に向かおうとしている悪鬼を止めずに黙って見ているだろうか?

 もちろん、見つけられずに後手に回ってしまったことはたくさんあるだろう。

 彼女は「一度だけミカグラに接近した」と言っていたが、接近せずとも、見つけたことは何度もあったんじゃないか。

 そして、一人では倒すことも止めることもできず、やむなく人里に向かわないようにミカグラを誘導していたのではないか?

 姿を晒して挑発し、斬られる恐怖と戦いながら。

 ミカグラが召喚したアンデッドを始末しながら。


「……まったく」


 ふっ、と笑われたような気がした。

 ジークの腰に回されている手に、少しだけ力が込められた気がした。


「余計なことに気を回さなくていいんだよ。今はとにかく、ミカグラを何とかすることが先決だ。油断してたら、一瞬で死者の国だからね」

「……分かりました。頑張りましょう」


 ジークは手綱を持つ手に力を込めた。

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