第三章 15話

 早朝、ジークたちはアグロアーを出発した。

 貸し馬を三頭借りて、ニムニリトはジークの後ろに乗る形だ。

 本来なら四頭借りて不慮のトラブルに備えたかったところだが、二ムが乗馬の経験がないというので仕方がない。

 目的地である南東の森までは街道を使い、馬もあまり走らせずに進む。

 宿場町ごとに休息を取り、ヒトも馬も無理をさせないよう配慮した。

 先を急ぎたい気持ちは当然あるが、目的はあくまで調査だ。

 先行したボルグたちを追い越せるはずもないし、彼らが【死霊術士ネクロマンサー】を討伐したなら、宿場町にもその情報は流れてくるはずだ。

 しかし、宿場町で話を聞いても、ボルグたちを見たヒトはいたが勝報は届いていなかった。

 まだ調査中ということだ。

 それならば、こちらは万が一に備えて体調や準備を万全にしつつ、焦らず調査していくしかない。


「んで、どうすんだ? 例の『勇敢なる剣』が全滅した現場まで行くか?」


 ベッドの上で胡坐をかきながら、ウルウェンテが質問する。

 予定通りの宿場町で一泊することになった、その夜のことだ。

 今回は一部屋に全員が泊まることになった。

 本来は男女別で二部屋を取るつもりでいたのだが、道中の雑談でジークと二ムが同居していることを知り、イルネスが「私も一緒に住みたいです!」と言い出したことから話がこじれた。

 未婚の女性を、血縁関係もないのに同居させるのは社会的にマズい。

 以前に二ムを泊めた時と同様に説得したのだが、今回はなかなかイルネスが引き下がらない。

 そして今、宿を取る段階になって「一緒の部屋がいい」とイルネスがごね始め、ウルウェンテも「どっちでもいい」と答えたことから、やむなく同室を取ることにしたのだ。

 すると、イルネスの機嫌はかなり回復し、今はニコニコしながらベッド脇の椅子に座って武器である杖を布で磨いている。

 年頃の娘の考えることは良く分からない……とジークは思った。

 ちなみにベッドは、入り口から見て左右に二台ずつ置かれている。

 右側を女性、左側を男性が使い、用がない限り反対側へは行かないようにという内規をジークが決めた。

 ともかく視線をウルウェンテに戻す。


「いや、それはやめようと思う。おそらく『レッドグリフォン』が先にその場を調査しただろうし、そこから得られる情報で次の探索に向かっているはずだ。オレたちが追ってもあまり意味はない」

「んでも、他に手がかりはほぼねえぞ。組長の話でも『森にいる』くらいしか分からなかったし、あの話から一日過ぎてる。相手が徒歩だったとしても、範囲が広すぎて調べようがねえ。ウチらから遠ざかるように移動してたら、たどり着くまで何日かかるかも想像できねえ」

「それに関しては、たぶん大丈夫だと思う」

「なんだよそりゃ?」


 もし今回の件とシロナが関係しているなら、彼女がしていたと思わしき調査ともきっと繋がりがあるはずだ。

 最後に彼女と会ってからずいぶん過ぎてしまったが、まだ調査は終わっていないと考えるなら、この地域から遠ざかった可能性は低い。

 もし調査が終了していて、彼女が近くにいないのなら、今回の件はまったく別の【死霊術士ネクロマンサー】が引き起こしたということで、それはそれでジークは構わない。

 その場合は森近辺の調査をして、結果をギルドに報告すれば終わりだ。

 大した情報がなければ報酬も減額されるだろうが、やむなしだろう。


「遠くまで……例えば森の反対側へ抜けてまでとか、そういった追跡調査まではしないつもりだ。そもそも森の深部は魔物も強い。オレたちで対処しきれるとは思えない」

「私たちならどんな敵でも大丈夫です!」

「……まあ、それは置いといてだ。問題なのは【死霊術士ネクロマンサー】に遭遇し、敵として認知されてしまった場合だ」


 もし相手がシロナなら、話せば意思疎通はできるはずだ。

 今回の件を引き起こしてしまった事情を聞くなり、あるいは自首を促すなり、戦う以外の選択肢がある。

 だがそうでない場合。

 相手は中級冒険者を全滅させる実力を持ち、かつそれを実行する好戦派だ。

 もちろん敵としては、冒険者を生かして帰せば自分の情報が知れ渡るため「生きるためにやむなく殺した」のだろうが、結局、遭遇すれば戦闘必至である。


「アタシとしては、んなことになる前にトンズラしたいね」

「それはもちろんだ。しかし、それでも出会ってしまった場合……戦うしかない」

「逃げない……んですか?」


 二ムが不安そうに言う。


「正直、簡単じゃないと思う。【死霊術士ネクロマンサー】は、いわば【呪術士カースド】の上位職とも言うべき存在だ。アンデッドを呼び出して使役する能力ばかりが注目されるが、それ以外にも、遠方から相手を呪い殺す術に秀でていると思ったほうがいい」

「つまり、目をつけられたら、遠くから呪いをかけられてしまうと?」

「そうだ。実際『疾風のマーメイド』もそれで苦しめられ、相手を逃がしている」

「ひえっ……」


 二ムがぶるっと震えた。

 ジークはそんな彼を安心させるように小さく笑みを浮かべる。


「だからこそ、見つかったと判断したら、迷わず戦う。イルネスには以前にも似た話をしたが……仮に逃走が成功したとしても、いつ、どこで呪術を仕掛けられるか分からない生活を、延々と続けていくことは精神的に耐えられない」

「そりゃアタシも同感だな。ビクビクして生きるのは御免だ。もし出会っちまったら……覚悟決めるか」

「お任せください! ウルウェンテさんとニムくんは、私と師匠が絶対に守ります!」

「もちろんだ」


 ジークはイルネスに同意した。

 それこそが「前衛」の務めだ。

 そしてジークは密かに、もう一つの決意もする。

 シロナが問題の相手であり、なおかつ説得に応じなかった場合、だ。

 ――間違いなく、戦闘になる。

 自分の顔を知り、なおかつ調査にまで乗り出しているジークを見逃してくれるとも思えず、逆にジークも彼女の凶行を見て見ぬフリする気はない。


「師匠?」


 気づけば無言で視線を落としていた。

 ジークは話題を変えるように次の準備へ取り掛かった。

 細かい戦術や合図の確認、装備の点検などを進めていく。

 不安そうにしていた二ムニリトだが、戦いたくないとか、やっぱり怖いとか、そうした言葉は出てこなかった。

 彼なりに冒険者として、腹をくくっているのかもしれない。

 そうして翌日、再び早朝から出発した。

 アンデッドは夜に活性化する――という噂話を信じているわけではないが、調査するなら明るいほうがいいに決まっている。

 貸し馬での移動は正解で、乗り合い馬車で三日の距離を二日で踏破することができた。

 目的地の広大な森が、眼前に広がっている。

 近くの村に馬を預け、徒歩で踏み入った。

 魔物も現れるため危険ではあるが、周辺部分は地元の猟師も入るため、林道のような箇所はいくつか見受けられる。

 もちろん、相手がそんな場所をのんきに歩いているとは思っていない。

 探索するなら奥に踏み込まなければ。


「……今のところ、何もありませんね」


 イルネスが周囲を見回しながら呟く。

 まだ歩き始めて二時間程度だが、手ごたえは今のところない。

 探しているのは、アンデッド系魔物の「痕跡」だ。

 ゾンビなら腐敗した肉片や腐臭。

 スケルトンなら欠けた骨片や、尖った足跡。

 ゴーストなら不自然に濡れた枝葉や、怯える獣など。

 それらの痕跡を見つけることができたら、今度はそこを起点に周囲を探す。

 そういう手はずだが、簡単にはいかない。

 どのくらいのペースで【死霊術士ネクロマンサー】がアンデッドを呼び出しているか……そもそも呼び出してすらいないかもしれない。

 地道というより他にない作業だ。


「ジークさん……一応、野営の跡とかでもいいですよね? 【死霊術士ネクロマンサー】もヒトなわけですし」

「まあ、そうだな。追われている自覚があるなら、後始末はしていると思うが……アンデッドばかりに気を取られて、別の見落としをするかもしれない。二ムは、ヒトの痕跡を探すほうで頼む」

「はい! ボク、アンデッドには遭ったことないですが、野営なら経験ありますので」


 そんなやり取りを交えつつ、さらに二時間。

 そろそろ軽食を兼ねた休息を取ろうと考えていたところで、ウルウェンテが一方を睨みながら立ち止まった。


「……誰かが歩いてるな。いや、走ってるのか……もしかして交戦中か?」

「こんな奥地にヒトがいるんですか?」

「何寝ぼけてんだイルネス、そもそもヒトを探しに来たんだろーが。……足音は重たく歩幅も広い。ただ、歩いたり走ったり安定してねえ。戦ってるのかとも思ったが、得物を振るような音はねえ。どうする?」


 視線を向けられて、ジークは即座に答えた。


「行こう。念のため戦闘準備を。先頭はオレ、すぐ後ろにウルウェンテ。イルネスは少し離れて続け。最後尾は二ム、遅れるなよ」

「わ、分かりました」

「お任せください!」


 年少組の返事と共に、ジークは早足で進み始めた。


「この速度で追いつけそうか?」

「たぶん大丈夫だ。相手も歩いたり走ったりを小刻みに繰り返してる」

「……もしかして、フラついてるんじゃないのか?」

「そうかも。ただ、落ち着く様子はねえから、目的はなんかある。逃げてんのか、追いかけてんのか」


 ジークは気を一層引き締めつつ、足を進める。

 もう少し速度を上げたいところだが、イルネスの息が上がらない範囲で動くべきだし、二ムだって旅慣れているとはいえこんな森林地帯を歩いたことはないだろう。

 時折振り返って仲間たちの様子を見つつ、ジークはウルウェンテの案内に従う。

 それからほどなくして、奇妙な感覚があった。


 ――空気が乱れている?


 一言で表すならそういう感じだが、目に見える訳ではない。

 進むうちに、その感覚は既視感へと変わっていく。

 そう、今までに数度見たことがある。

 例えるなら【魔術士ウィザード】が術を使った後のような、空気……神魔力の余韻のようなもの。

 しかしそれよりも、ずっと雑というか、濃い塊が散り散りになっている。


「……見えてきたぜ」


 薄暗い森の中で、木に手を添えて体重を預けるようにしつつ、それでも懸命に足を動かしているヒトの後ろ姿が見えた。

 大柄で、鎧を着込んでいる。

 冒険者のようだが、こんな場所まで入り込んでいるにしてはバックパックや鞄などが見当たらない。

 ジークは警戒して速度を落としつつ、その人物を観察する。

 呼吸は乱れ、右手には抜き身の得物を持っているようだ。

 それが誰か分かった時には、声を上げていた。


「ボルグ?」


 距離はそれなりにあったが、声が届いたのか気配に気づいたのか、人影がこちらを振り返る。

 戦斧を片手に下げたその男は、ジークたちの姿を認めて目を見開いた。


「てめえは……ジークか?」

「ああ。どうしてこんな場所に――」

「馬鹿野郎! 今すぐ逃げろ!」


 幾分かやつれた様子のボルグは、恐ろしいほどの剣幕で怒鳴りつけてきた。

 思わず足が止まる。


「一体どうしたってんだ? アタシらにも分かるように説明してくれ」

「奴が出たんだ! 尋常じゃねえ……今も、厄介なのに追われて」


 ボルグの言葉は、途中から聞こえなくなった。

 いや、それだけじゃない。

 周囲の木々の騒めきや、虫の小さな鳴き声もまったく聞こえない。

 理由はすぐに分かった。

 ジークたちの目の前に、ローブを羽織った老婆が現れた。

 蜃気楼のように、空気を歪ませるようにして立つその老婆は、半分ほど剥き出しになった眼球をギョロギョロと動かすと、視線をジークに合わせた。

 ゆっくりと口が開いていく。

 それを見て、背筋が凍り付いた。

 『バンシー』だ。

 ゴースト系の中級あたりの魔物で、その叫び声を聞いたものには遠からず死が訪れるという。

 ジークはとにかく回避しようと思ったが、足が、身体が、言うことを聞かない。

 まるで金縛りに遭ったかのようだ。

 バンシーの悲鳴がジークを突き抜けた。

 一瞬で、身体の中に溜めていたはずの神魔力が蒸発するように消えていく。

 数秒後には、神魔力を枯れさせて魂を破壊されるだろう。

 確実な死の気配――を振り払ったのは、強烈な破裂音だった。


「…………っ!」


 バンシーが顔を歪めて宙を飛ぶように大きく下がる。

 身体の硬直が解かれ、地面に膝をつく。


「ジークさん、大丈夫ですかっ!」


 ニムニリトが心配そうに、ジークに駆け寄って視線を合わせてくる。

 彼が、持っていた『パンクラック』を投げつけてくれたのだと理解した。


「……助かった」


 マルフィアの話を聞いて、それを共有しておいて本当によかった。

 そうでなければ、この状況で、ただ音と光が出るだけの聖魔具『パンクラック』を使うという発想自体が出て来なかっただろう。


「よくも師匠を!」


 ジークの前に飛び出してきたイルネスが、怒りも露わに杖を構える。

 その間に、ウルウェンテの肩を借りて素早く立ち上がる。

 かなりの脱力感はあるが、まだ動ける。

 ジークはウルウェンテに視線で感謝を伝えた後、イルネスに声をかけた。


「落ち着け、オレは無事だ。だから慌てるな」


 ショルダーバックから聖水の瓶を取り出し、イルネスの杖に振りかけてやる。

 彼女を後ろから抱くような姿勢になってしまったが、今は勘弁してもらいたい。

 それが終わるとイルネスから離れ、自分も木剣を抜いて聖水をかけ、残りのひと瓶をボルグに向かって放り投げた。


「好きに使え、聖水だ!」


 ボルクは驚きつつも空中でそれを受け取る。

 武器にかけるなり、自分の体にかけて防御に使うなり、彼なら自分で判断できるだろう。

 さて、改めて、バンシーをどうするか。

 話には聞いたことがあるが、実際に戦うのは初めてだ。

 足元が浮いているため、ゴーストと同じく空を飛べるようだが、空中に逃げられてしまえば手出しができない。

 いや、仮に接近できたとしても、こちらの聖水つき攻撃がどこまでダメージを与えられるか。

 今の【パンクラック】も、驚かせることには成功したが、ダメージを与えたというほど大きな影響は見られない。

 例えば繰り返し投げつけたところで、大して有効打にはならないだろう。

 だとすれば。

 一つだけ……試してみたいことがあった。


「イルネス、右から先行してくれ。オレは左から時間差で行く。奴の目は見るなよ」

「了解です!」


 返事と共にイルネスが走り出す。

 ジークも同時に駆け出した。

 イルネスの方が足が速いため、同時に飛び出せば先に攻撃するのは彼女の方となり、結果的にいい時間差になる。


「しゃあっ!」


 イルネスが低い姿勢から、猛烈な突きを放つ。

 杖の先端が、バンシーの側頭部を確実に捉えた。

 撃ち抜かれた頭部にぽっかりと穴が空き、一瞬だけ向こう側の景色が見えたが、すぐに穴などなかったかのように元通りに戻ってしまった。

 バンシーがイルネスに向き直り、目をぎょろつかせる。

 すぐにイルネスは横へ回り込んで、横薙ぎの一撃を胴へと放つが、これも一瞬だけ胴を両断させるだけだった。

 ちょうどジークが接近する頃には、背中を向けたバンシーがそこにいる。

 慌てるな、そして思い出せ。

 頭の中によみがえる、異国の旋律。

 その記憶の通りに――ジークは詠唱を始めた。

 

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