第三章 14話
「ギンガン!」
ボルグが叫ぶ。
倒れたギンガンはピクリともしていない。
助けなければ。
前に飛び出そうとしたボルグを、カインが背中で遮る。
「落ち着くんだ、ボルグ。突っ込んだら敵の思う壺だ」
「何言ってやがる、ギンガンが――」
背中を向けたまま、カインは首を小さく左右に振る。
その意味するところは明らかだ。
――分かっている。
おそらく頸動脈を切断されている出血量。
首は落ちていないが、もしかしたら頸椎まで断たれているかもしれない。
即死、だろう。
こうなってしまっては、どんな聖術の使い手だろうと回復は無理だ。
後方にいるボアが、顔を蒼白にしつつも術を発動させた。
ボルグたち全員の体が薄い光に包まれる。
防護の聖術『聖母の抱擁』が発動したのだ。
あと数秒早ければ、ギンガンが敵の攻撃を耐えていたかもしれないのに。
そう思わずにはいられない。
「…………」
赤い鎧が動いた。
びゅ、と剣を振って刀身についた血を払うと、再びボアに向かって早足に歩き始める。
重心が崩れず、無駄のない歩法。
ボルグの間合いに入るまで数秒もない。
「チッ……!」
ボルグは全力で、大斧を赤い鎧に向かって投げつけた。
同時に叫ぶ。
「挟むぞ!」
指示に従い、カインが左に走る。
ボルグは右へ。
狙われているリンディを晒すことになるが、まさか棒立ちでやられるまで待っている馬鹿ではあるまい。
適当に逃げてくれればいい。
ガギッ!
聞きなれない金属音。
赤い鎧の剣が、ボルグの投げた大斧を空中で斬った。
叩き落としたのではない、文字通り「斬った」のだ。
真っ二つになった大斧は、崩れた重心のままに地面へと落ちる。
よく見れば剣はわずかに反り返った片刃だ。
カタナと呼ばれる、南東の島国が発祥の武器だと聞いたことがある。
ギンガンの大盾と鎧に続いて、ボルグの大斧も斬るとは、尋常ならざる切れ味だ。
しかも歪みや刃こぼれも見当たらない。
これだけの力があれば、確かにこの森を一人で歩いているのも分かる。
だが……仲間も連れていないその思い上がりが、敗因となる。
ボルグは腰の左右に下げている小ぶりの戦斧を両手にそれぞれ持った。
一瞬で、暴力的なまでの神魔力を通わせる。
優れた「前衛」は、活性型の神魔力を装備に注ぎ込むことで、その性能を引き上げることができる。
手から離れたボルグの大斧は両断されてしまったが、手にした状態なら簡単に破壊されることもないはずだ。
「おらっ!」
回り込んだ位置から一気に地面を蹴り方向転換。
砲弾のように加速したボルグが、右の戦斧を赤い鎧に叩きつける。
ギィン!
赤い鎧のカタナが振るわれ、その一撃を弾く。
わずかに傷つきはしたものの、斧は壊れていない。
さっきの投擲は、隙を作るためとはいえ失敗だった。
『活性型』の神魔力は、武器を手にしている間は強化ができるが、手から離れると距離に応じて威力が減衰する。
とはいえ、まさか破壊されるとは想定していなかった。
――過ぎたことはいい。
ボルグは瞬時に思考を切り替え、間髪入れずに左の斧で連撃を放つ。
左右の斧による、時間差攻撃。
同時に、赤い鎧の背後からはカインがロングソードで刺突の構えを見せていた。
防御も回避も不可能。
跳躍で逃げようとしても、動きを合わせたカインが対応する。
数多の魔物や盗賊を葬って来た完璧な連携だ。
赤い鎧が、左手で腰から何かを抜いた。
ボルグと同じく両手武器の使い手らしく、別のカタナを抜き放ち、二撃目の戦斧を受け止める。
勢いをつけたボルグの一撃を、刀身で受け止めたことは賞賛に値する。
だが、終わりだ。
カインの刺突攻撃が、赤い鎧を貫く。
――その寸前。
カインと赤い鎧の間の地面が突如として盛り上がり、地面から何かが飛び出してきた。
鈍い音がして、カインの刃がその「何か」に突き刺さる。
「ウグオオオオ……」
うめき声をあげたのは、グールだった。
食屍鬼とも呼ばれ、アンデッドに属する魔物だ。
「くっ……!」
カインはグールを貫いたまま、身体ごと赤い鎧へ踏み込む。
しかし赤い鎧はこの時差を利用して姿勢を変え、グールの背中から生えたロングソードを鎧の肩口で受け止めると、わずかに身体を捻ってそれを受け流した。
カインが舌打ちし、グールの身体を足で蹴りつつロングソードを引き抜く。
その隙を、赤い鎧は見逃さなかった。
右手のカタナが閃き、カインの左腕を盾ごと斬り飛ばした。
地面に倒れ込むカインを、追撃が襲う。
「カイン!」
ボルグが斧を振り上げるが、一瞬間に合わない――
バヂッ!
光の弾丸が、赤い鎧に着弾した。
カインへのトドメは直前で逸れ、赤い鎧がたたらを踏む。
攻撃姿勢だったボルグはそのまま斧を振り下ろすが、赤い鎧はそれを食らうことなく、大きく後ろへ飛んで間合いを開けた。
光の弾丸は、ボアの聖術だった。
聖術の数少ない攻撃術でも初歩のもので、威力は低い。
しかし詠唱は短く、消耗する神魔力も少なくて済むため牽制に向く。
ボアの横を見れば、メイも詠唱に入っていた。
ボアの牽制で時間を稼ぎ、メイが大技を当てるという、これも長年の連携パターンだ。
「ボルグ、今のうちにカインを――」
ボアが叫ぶその最中に、赤い鎧が動いた。
これまでの早足から一転、姿勢を低く保ったままの疾駆だ。
速い!
一歩駆けるごとに地面が抉れるほどの脚力で、矢のようにボアへと迫る。
「てめえ、無視すんな!」
怒声を浴びせつつ、内心でボルグは焦る。
ボアもメイも、体術は大したことはない。
逃げに徹するならまだしも、近接戦闘などとても無理だ。
そもそも「後衛」とはそういうものだ。
「前衛」が敵の接近を遮り、抑える代わりに「後衛」はその場を支配し、流れを変えるほどの術を発動させる。
冒険者の花形は「前衛」ではなく「後衛」なのだ。
――そんな二人を、ここでむざむざやらせるわけにはいかねぇ!
ボルグは右の戦斧を思い切り投擲した。
だが、地面から一瞬にして湧き出した何かが、その斧を身体で受け止める。
腐肉をまき散らして上半身を砕かれたそれは「ゾンビ」だった。
動きもさほど速くなく、耐久力も低いが、その腐肉は毒を持ち、爪や牙で傷つけられると体内にその毒が入って最悪、死に至らしめる。
そのゾンビが、さらに二体、三体と湧き出してくる。
蹴散らしていくのは容易だが、その数秒が命取りだ。
さっきのグールといい、明らかに赤い鎧を守るように生み出されている。
――こいつ【
「ボア、メイ、逃げろ!」
ボルグの叫びに、ボアは一瞬迷った後、メイの前に飛び出した。
次の術が間に合わないと見て、せめてメイの術が発動するまでの時間稼ぎをしようとしたのだろう。
しかし赤い鎧はそのボアを走りながら袈裟斬りにすると、足を止めることなくその脇を抜けてメイの眼前へ迫る。
メイが両手を突き出し、術を発動させる――直前、その両手が半ばから斬り飛ばされ、反対のカタナで喉を刺し貫かれた。
余韻もなくカタナを抜いてメイの胴を蹴り飛ばした赤い鎧は、振り返って倒れたボアの胸付近を突き刺す。
びくん、とボアの胴が震え、そして動かなくなる。
その周囲に、地面から骸骨が生えるように現れた。
骨の戦士「スケルトン」だ。
一気に四体ほど現れたスケルトンは、錆びた剣でボアとメイの体をひたすら攻撃し始める。
返り血や腐肉を浴びないようにゾンビを破壊したボルグは、投げつけた斧を拾うと、その柄を潰さんばかりに握りしめた。
「そういうことか……他に【
怒りで気が狂いそうだった。
全身の骨格が、引き絞られた筋肉によってみしみしと悲鳴を上げる。
「ボルグ……」
背後から呟きが聞こえてきた。
傷口を抑えながら辛うじて上体を起こしたカインが、視線で指示を送る。
瞬時にその意図を理解し、ボルクは沸騰しかけた頭の血をわずかに冷ますことができた。
まだ『レッドグリフォン』は終わっていない。
「くたばれ、このクソ野郎!」
左の戦斧を投擲。
今度はアンデッドに邪魔されず、赤い鎧に届いたが、右のカタナの一振りで真っ二つにされた。
赤い鎧が、早足にこちらへと向かってくる。
戦斧が残り一つになったのは厳しいが、何とか注意を引くことができた。
じりじりと、横へ移動する。
赤い鎧に威圧され、武器を片方失い、焦りでじわじわと後退する。
――フリをする。
やがて、背中が森の大木にぶつかって止まる。
地面にぺっと唾を吐き、両手で戦斧を持って赤い鎧を待ち受ける。
赤い鎧はまっすぐボルグに向かってくる。
間合いが迫り、赤い鎧が二刀の狙いをボルグに合わせて構えた。
その時、頭上から影が落ちてきた。
キップだ。
樹木を登り、伸びた枝からタイミングを見計らって赤い鎧の真上に降りたのだ。
赤い鎧の両肩に膝をつく形で器用に着地すると、腿で頭を挟みつつ、左右のナイフを突き刺す。
一本は兜から覗く目の部分。
もう一本は喉の部分へ。
どちらも根元まで深々と沈み込む。
さらに手首を返して捻じり込み、横へと引いて傷口を致命的に広げた。
「へっ、どうだ、おいらの華麗な――」
どっ、と音がして、赤い鎧のカタナが頭上のキップに突き刺さる。
脇腹から肩まで刃が突き抜けた。
ぐらりと揺れて、キップの体が崩れ落ちた。
だが、キップは最後の力を振り絞り、両手で肩から突き出たカタナを握りしめる。
指が数本、切断されて落ちたが、離さない。
「ダンナがた……あとは……」
キップからカタナを抜こうとする赤い鎧に、カインが飛びついた。
片腕のまま、武器も盾も持たず、赤い鎧の背後から顔に手を回し、顎を持って上を向かせるように引っ張った。
同時に足を胴に絡ませ、絶対に振りほどかれまいとしがみつく。
「ボルグ、トドメだ!」
ショックを受けている余裕はない。
ボルグはすべての怒りを込めて、残った戦斧に神魔力を注ぎ、露わになった赤い鎧の喉元へと一撃をぶち込んだ。
肉を裂き、骨を砕き、首を両断する。
衝撃で赤い鎧が吹き飛び、しがみついていたカインも一緒に地面を転がった。
――終わった。
確実な手ごたえ。
だが、勝利と引き換えに――ほとんどを失った。
足元に視線をやれば、倒れたキップが小刻みに痙攣していた。
その激しい出血量を見れば、手持ちのポーションでは何の役にも立たない。
せめてカインだけでも――
ボルグは泣き叫びたい気持ちを奥歯で噛み殺して、カインに駆け寄った。
赤い鎧ごと吹っ飛ばしてしまったが、刃は当たっていないし、突き抜ける衝撃も別方向のはず。
カインはただ、赤い鎧の体に押されて転がったに過ぎない。
だが、腕を切断されているのは確かなのだ。
早く止血しないと失血死の危険があるが、逆に、急げば近くの教会で腕が繋がるかもしれない。
「カイン、立てるか?」
ボルグの差し伸べた手を、倒れたままのカインは何故か振り払った。
その顔は、すぐ近くにある赤い鎧を凝視している。
ボルクもその視線を追って……言葉を失う。
首なし死体のはずの傷口から、何か黒い霧のようなものがあふれ出ている。
その霧は細長く伸びていき、離れたところにある赤い兜と繋がっていた。
ガリガリガリ――
兜が音を立てて引きずられていく。
鎧と兜が、黒い霧によって引き寄せられているのだ。
この光景は過去に見たことがある。
確か、一度だけ挑戦した「ヴァンパイアロード」と戦った時だった。
何度、身体を斬り落としても繋がって復活する、悪夢のような魔物。
気の遠くなるような時間を戦い続け、最後はメイの火炎術とボアの最強退魔術を連続で仕掛けて倒したのだ。
「なんてこった……!」
もう訳が分からない。
敵は、超人的な剣の技量を持つ「前衛」のような【
他に【
それとも、こいつがアンデッドを呼び出していたのか?
魔物の中には、分裂したり、下位の同族や自分の子を手足のように操る種族も存在する。
ボルグは聞いたことがないが、アンデッドにもそうした王や君主のような奴がいるのかもしれず、この赤い鎧がその類かもしれない。
いや、考察は今はどうでもいい。
ボルグは右手に戦斧の重みを確認し、一気に残った神魔力を燃焼させる。
勝利の余韻やカイン救出のために戦斧を手放さなかったのは、長年の経験のおかげだ。
ボルグにアンデッドを効率よく倒す手段はない。
だが胴体を無防備に晒している今なら、叩き潰すことで復活を阻止し、倒し切ることができるかもしれない。
そう判断し、ヒトで言えば心臓のある部分を狙って戦斧を振り上げる。
赤い鎧は着たままだが、そのまま叩き潰せばいい。
もしかしたら「リビングアーマー」のように、鎧のほうが魔物である可能性もあるのだ。
全ての力を乗せて、トドメのための一歩を踏み出そうとした瞬間、手が、ボルグの体を押した。
カインだった。
立ち上がったカインが、ボルグの体を押し戻すように片手で突いてきたのだ。
理由はすぐに分かった。
カインの腹から、銀色の刃が突き出していた。
カインの向こう側で、上半身をわずかに起こした赤い鎧が、カタナを刺したのだ。
ボルグがそのまま攻撃しようとしていたら、カタナの反撃を受けていたのはボルグだった。
「カイン――」
「逃げろ、ボルグ!」
口から血を溢れさせながら、カインが掠れた声で叫ぶ。
赤い鎧は、カタナから手を離し、少しバタつきながらも起き上がろうともがいていた。
カインは腹にカタナを刺したまま、赤い鎧に覆い被さった。
片手で、赤い鎧の手と組み合い、地面に押し付けようとする。
べき、ごき、とカインの指が折れて奇妙な形になるが、カインは悲鳴よりも声を上げた。
「こいつの存在を、伝えろ! 対策を立てろ! 必ず――」
赤い鎧の反対の手が、カインの喉を掴み、声が途切れる。
ボルグは一瞬、カインを助けようと踏み出しかけるが、赤い鎧の周囲に黒い影が湧き出したのを見て思い止まる。
ゾンビ数体と、実体のない霊体「ダークシェイド」が数体。
それらが召喚されたのを確認し……ボルグは踵を返し、全力で走り出した。
ぐちゃぐちゃの感情を噛み締める奥歯が割れる音がした。
――それでいい。後は頼んだぞ、ボルグ。
そんな幻聴が聞こえた気がした。
ここでボルグが感情に任せて赤い鎧に飛びかかっていっても、勝算はゼロだ。
だが、今ここで見たこと、得た情報を元に対策を立てれば、別の誰かが、こいつを倒せるかもしれない。
例えば聖教会までたどり着ければ『聖十字軍』を動員させることだってできるかもしれない。
全滅よりは、価値のある敗走。
――だから何だ?
ボルグは雄叫びを上げた。
間抜けな行動だ。
自分の居場所を敵に知らせる、あるいは周囲の魔物を呼び寄せかねない愚かな行動。
だが、叫んだ。
滂沱の涙と共に、声を上げながら走った。
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