第三章 13話

「おまえら、足が遅れてんぞ!」


 後ろの仲間たちに向かって声を張り上げながら、ボルグは斜面を登るため樹木に手をかけた。

 ここは『サンガの森』と呼ばれる場所。

 アグロアーから乗り合い馬車と徒歩を合わせて三日ほどでたどり着くことができる。

 『勇敢なる剣』はこの森を抜けた先の洞窟へ向かい、その帰りに森の中で全滅した。

 その場所は、ここから徒歩一日ほど。

 すでに調査を終えた後だ。


「ボルグ、ちょっと休もうぜ」


 すぐ後ろから声をかけてきたのは、サブリーダーのカイン。

 盾と剣で戦う、典型的な【戦士ファイター】だ。

 直情的なボルグとは反対に理知的で冷静な性格で、人当たりもいい。


「あぁん? 何言ってんだ、こうしている間にも敵は――」

「追いついたころには、こっちの体力が尽きちまう」


 カインが指し示す先を見れば、仲間たちは一列になっているが、それぞれの間隔がかなり空いている。

 【解錠士クリアラー】のキップはまだ近いところにいるが、【守護者ガーディアン】のギンガンがかなり後ろ、さらに【魔術士ウィザード】のメイ、【聖術士セインティ】のボアが息を切らしてその後に続く。

 彼らの多くは、ボルグがパーティを組んだ時からの付き合いであり、一番遅い加入だったギンガンでも五年前だ。


「……すまねえ。休憩だ」

「ありがとうボルグ。みんな、一息入れよう!」


 振り返ったカインが声を上げた。

 仲間たちの表情が、一様にほっとしたものになる。

 ……そんなに疲労していたのか。


「気にするな、ボルグも休もうぜ」


 ボルグの表情に気づいたカインが、軽く肩を叩く。

 自分の不甲斐なさに、ため息が出る。

 ボルグには誰よりも仲間を大事にしてきたという自負がある。

 この六人が『レッドグリフォン』であり、他に代わりはいない。

 だからこの名前を付けた時から新規メンバーは入れていないし、例えば仲間に死者や重傷者が出てパーティメンバーが欠けるようなら、そのパーティは解散すべきだと思っている。

 残ったメンバーに新規メンバーを迎えて出直すなら、信頼関係を培ってから、新しい名前でデビューすればいいのだ。

 もちろんそれは、最悪のケースの場合。

 ボルグはこの『レッドグリフォン』で、上級冒険者になり『領域テリトリー』を潰せるほどの成果を挙げるのが目標だ。

 

「……ボルグのダンナ、ちょっといいですかい?」


 各々が座って休憩している中、キップが近づいて来た。

 クォルトの彼はアグロアーの冒険者でも屈指の【解錠士クリアラー】だ。

 先日は不幸にも、トラップの解除中に『ライカ』の暴発が起こり、罠にかかって利き手の指先三本が吹き飛んだ。

 ボアの優秀な聖術、さらには街に戻って聖教会に治療させたので、後遺症もまったくなく回復した。

 高難度治療の予約に強引に割り込んだため、パーティの預金をかなりつぎ込んでしまったが、後悔はない。

 その分、危険度は高いが報酬のいい依頼を引き受ければいいのだ。


「どうした」

「昨日の、その……戦闘跡ですが、どう見ました?」


 少し遠慮気味にキップが言う。

 彼が話そうとしているのはもちろん『勇敢なる剣』のことだろう。

 本来なら、目撃した現地で意見交換を行なうのが当たり前だが――ボルグはすぐに自分のせいだと気付く。


「……すまん。俺がカッカしてたせいだな」

「いや、そんなことはねえですよ。他のみんなもショックを受けてやしたし」

「フォローしなくていい。俺が悪いんだ」


 ボルグは立ち上がると、座っている仲間たちに近づいて行った。


「みんな、疲れてるところ悪いが、昨日の戦闘跡について意見交換だ。何か気づいたことはあったか?」


 一呼吸待って、すぐに意見が出てこないところを見て、キップが一歩前に出る。


「あっしの見立てでは……『勇敢なる剣』は、かなり短時間にやられちまってます。大きな術を使った形跡も、戦いながら移動した形跡もありやせん」


 全身鎧と大盾を持っているドワーフの大男ギンガンが、片手を上げる。


「そりゃ何となくワシも思ったが……んじゃ、あいつらはゾンビどもにあっさり負けたってことか?」

「遺体はもう片付けられていましたが、損壊具合の話を聞くに、低級のアンデッドにやられたということでした。物量で攻められての体力切れとか、そういうことではないのですか?」


 【聖術士セインティ】のボアが首を捻る。

 静かに立ち上がったのはメイ。

 もうすぐ五十になるという熟練の【魔術士ウィザード】だ。


「もしかしたら、魔術か、あるいは呪術で動きを封じられていたのかもね」

「それはどんな?」

「さあ。動きを鈍らせる麻痺系の術や、音や視界を遮って不意打ちをしたのかもしれない。ただ少なくとも、地形はほとんど荒れていなかったから、敵側も大きな攻撃術を使った可能性はほぼないね」

「搦め手ってことでやすか……」


 キップが少し不満げに唇を歪める。

 敵意を持ったものを近づけてしまうのは「補助」の失態だ。

 さすがに遠距離の術の予兆を察知するのは難しいが、有効範囲に誰かがいれば、警戒を促すのも仕事である。

 例えば、味方の術士に注意するよう助言しておけば、防御術や対抗術を準備することも容易になる。

 呪術に限れば、術士は遠く離れた場所にいてもかけられるらしいが、それには入念な下準備と、発動に必要な仕掛けがある。

 地面に描いた魔法陣を踏むとか、呪術の込められた道具を拾うとか、そうしたものだ。

 こうした「罠」は術者が死んだ後も機能していることが多い。

 『遺跡エデン』の探索で「補助」が必須なのは、過去の呪術士が残したトラップを回避するためでもある。


「でもそれなら、たまたま罠を踏んで混乱したところに、アンデッドが運悪く襲ってきた、ってことも考えられんか?」

「いや、さすがに『勇敢なる剣』が、ただの罠を踏むってことはないだろう」


 カインが、ギンガンの意見に首を振る。

 ボルクとサブリーダーのカインはパーティ結成時のメンバーで、ほぼ同時にパーティを立ち上げた『勇敢なる剣』とは旧知の仲だ。

 お互いに冒険者として競い合い、時には協力してきた。

 金のない結成初期などは、たまたま実のいい仕事をした方が相手に食事を奢ったりすることも何度もあった。

 ライバルであり、パーティの垣根を越えた仲間のような存在だったのだ。

 だから、その実力は誰よりも知っている。

 メイが豊かな胸の前で腕を組んで言う。


「【死霊術士ネクロマンサー】といえば、アンデットを手先にしての消耗戦、もしくは高位のアンデッドであるリッチやヴァンパイアを召喚しての魔術戦がメインのはずだけど……タイプが違うのかね?」

「チッ、予想外が多すぎるな……」

「ボルグ、ここは一時退却も視野に入れて、作戦を考えたほうがよさそうだぞ」


 カインの提案に、ボルグは黙ったまま考えた。

 この依頼を引き受けたのは、一番は『勇敢なる剣』の敵討ちという感情的な部分が働いたからだが、改めて作戦を立てても【死霊術士ネクロマンサー】なら勝利する自信はあった。

 目的は調査だが、むしろボルグは交戦を望んでいた。

 しかし、にわかに敵が違う可能性が浮上してきたのだ。

 出発前に立てた【死霊術士ネクロマンサー】対策や戦法が使えず、未知の敵に対して臨機応変に動かなければならない可能性。

 冒険者をしていればよくあることだが、よくあるから大丈夫、ではない。

 事前準備も、何の知識もなく挑んで切り抜けられるほど、甘くはない。

 一歩間違えば、その踏み出した一歩こそが死線を越えてしまうこともあるのだ。

 みんながボルグの言葉を待つ中、しばし考えて――意見を口にしようとした、その時だった。


「ダンナ……ちょっと待ってくだせえ」

「どうした」

「いや、敵じゃねえと思うんすが……妙なのが近づいてきます」


 キップは目を閉じ、両手を耳の後ろに添えて感覚を集中する。


「足音は……二足歩行。体重は、ギンガンより少し軽い程度。歩幅からしておそらく、ヒトタイプ」


 ギンガンは全身鎧を来たドワーフなので「少し軽い程度」といってもかなりの重さだ。


「冒険者か、それともどこかの兵士か?」

「そんな感じでやす。歩き方に意図があんまりないので、あっしらを目指しているというより、たまたま進路上ここを通るといった感じで」

「なぁんだ」


 メイが拾い上げた杖を構えかけて、脱力する。

 だがボルグは警戒を緩めなかった。


「一人か?」

「おそらく。何か……鎧のような音がしやすね。前衛タイプの冒険者っぽいですが、どうしやすダンナ?」

「……全員、念のため交戦準備をしてくれ。武器はまだ抜かなくていい」


 ボルクの命令に、仲間たちが即座に頷いて行動を始める。

 休息のために広げていた荷物をまとめ、携帯食を片付ける。

 相手がソロ冒険者、という可能性はなくはない。

 だがこの森は、新米冒険者が一人で探索できるほど易しくはない。

 実力ある熟練ならあるいは、と思うが、それならば仲間がいないのは妙だ。

 この仕事は経験を積むほど、一人でやれることの少なさ、危うさを知ることになる。

 どこかの「死神」のように、仲間内に嫌われているか、もしくは犯罪に手を染めて盗賊に堕ちた輩か。

 どちらにせよ、ろくでもない。


「正面から出てきやす」


 キップが警告して数秒後、木々の間からその人物は姿を現わした。

 まず目に飛び込んできたのは、鮮烈な緋色だ。

 兜、胴体、手足と、鎧にしっかり身を固めているのだが、その多くが緋色に染められている。

 その造形も、プレートメイルとは違う。

 兜は円錐に鹿の角を付けたような形をしていているが、そのデザインはどこか美しさすら感じられる。

 兜の正面は開かれていて、その人物の黒い肌が見えていた。

 怒りに歪んだ形相――

 そう見えたが、その人物が近づくにつれ、その形相が黒い仮面であることに気づいた。

 素肌はほぼ晒していない。

 仮面にわざわざ怒りの表情を彫り込むとは。

 威圧のつもりか、もしくは友好的な態度を取るつもりはないという意思表示か。


「兄さんか姉さんか分からねえが、ちょいと待ってくんな」


 自然と前に出ていたギンガンが声をかける。

 【守護者ガーディアン】である彼のいつものポジションだ。

 露骨に大盾を構えてはいないが、いつでも戦闘態勢に移れるよう意識した姿勢。


「俺の名はギンガン。ここにいる『レッドグリフォン』ていうパーティの一員だ。よかったら名前を聞かせてくれねえかい?」


 ギンガンの呼びかけにも、赤い鎧の人物は返事をしなかった。

 数秒待つが、ただ黙々とこちらに向かって歩いている。

 ボルグが背負っていた大斧のベルトを外して持つと、仲間たちも一斉に武器を抜いた。

 剣呑とした空気が満ちる。

 後ろで、呪文の詠唱が聞こえた。

 見ると、ボアが両手を組んで祈りを捧げるように呟いている。

 仲間たちに神魔力の保護膜を張り、防御力を向上させる聖術だ。


「おい、いい加減に止まれ」


 ギンガンが少し苛立った声を上げる。

 だが、赤い鎧は真逆の行動に出た。

 顔をボルグの方に向けると、歩く速度が上がった。

 さっきまでの漫然とした徒歩ではなく、明らかにターゲットを決めたかのような動きの変化。


 ――俺を狙ってんのか。


 アグロアー近辺ではそれなりに名前も顔も売れている自覚はある。

 腕試し気分のバカか、盗賊か、あるいは盗賊から金を貰って「殺し」を引き受けた暗殺者の類か。

 どれにせよ、このメンバー相手に正面から、しかもたった一人というのは血迷っているとしか思えない愚行だ。

 赤い鎧が着々と距離を詰める。

 だが、その視線が少しずれている気がする。

 俺を見ていない……

 ボルグはその違和感にすぐ気づく。

 呪文を唱えているボアを、捕捉している。


 ――嫌な予感がする。


 ボルグが呪文を中断させようとする前に、ギンガンが赤い鎧の進路を遮るように動いた。

 もう数歩でお互いの攻撃間合いだ。


「これ以上近づくなら、あんたを敵と見なすぜ!」


 ギンガンが大盾を正面に構え、半身になってウォーハンマーを握る。

 彼の戦法はシンプルだ。

 非常に強固な守備力を誇る盾で相手の攻撃を受け止め、カウンターでハンマーを叩き込む。

 相手が硬かろうが関係なく粉砕する剛腕が持ち味だ。

 あと少しで間合いに入る。

 三歩、二歩、一歩――

 突如、赤い鎧が右手を真横に上げた。


「……?」


 仲間たちも当惑しているようだった。


 ――いや、違う。


 よく見れば、その右手には何かが握られていた。

 剣だ。

 赤い鎧はいつの間にか、右手に剣を握って、それを横に構えていたのだ。


 ――それも違った。


 ギンガンの大盾が、上下に分断されて地面にガランと音を立てて転がった。

 首元までしっかり覆われているはずの鎧の隙間から、まるで壊れた噴水のように鮮血が吹き上がる。

 あふれ出る首の血を止めることもせず、ギンガンが両膝を付き、そのまま地面に倒れた。

 絶望の始まりだった。

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