第三章 10話

 マルフィアと公園で別れ、ジークは帰宅した。

 家では、ニムニリトが本日分の勉強の用意をしてくれていた。

 これだけきちんと下準備をしてくれているとは、ありがたい限りである。

 商店街で買ったサンドイッチと肉の揚げ物、ドリンクを二人で食べて、さっそく勉強会だ。

 だが、始める前に、ジークには聞いておきたいことがあった。


「……なあ、二ム」

「はい、なんでしょう?」

「ここだけの話にしてもらいたいんだが……実は今日、呪術系の聖魔道具を見たんだ」

「うえっ――!」


 大声で驚きかけた二ムが、慌てて自分の口を両手で抑える。

 壁越しにすぐ隣、というわけではないが、ジークの家の左右には別のヒトの家もある。

 あまり大声を上げれば、聞こえてしまったり、不審がられたりするかもしれない。

 神妙な顔つきになった二ムは、声を潜めるように尋ねてくる。


「……それで、どうしたんですか?」

「小さな箱だったんだが、中身の呪術が飛び出して、開けた本人はやられて死んでしまった。呪術自体は、近くを偶然通りかかった術者が消してくれたんだが」


 意図的に隠した情報はあるが、おおむね嘘は言っていない。


「通報はしたんですか?」

「ああ。持ち主が、例の偽装聖魔具事件で、夜逃げした店主だったようでな」


 偽装聖魔具については、ニムの「先生」こと、ダイアモンが行なっていた。

 しかし彼は聖魔道具のみを扱い、聖魔武具については触らなかったそうだ。

 おそらくだが、呪術に絡むものも扱わなかったに違いない。

 だから、夜逃げした店主は、ダイアモンが携わった品以外にも「危険な品」を取り引きしていたということになる。

 真相は衛兵や領主が調べてくれると思うが……卸元となったベネクシア商会も含め、真っ黒な商人だったようだ。

  

「呪術系に手を出してたんですか……それは確かに夜逃げもしますね。見つかったら投獄は確実ですから」

「実は今、その箱が手元にあるんだが」


 二ムが驚きのあまり立ち上がろうとして失敗し、後ろにひっくり返った。

 ごん、と床にどこかを打ち付けたであろう音が痛々しい。

 ジークが慌てて駆け寄る。


「大丈夫か?」

「と、とんでもないことを聞いてしまったもので……」

「詰所に渡そうと思ったんだが、受け取りを拒否されてな……後で急に必要だったと言われてもいいように、処分はしてないんだ」

「とりあえず、見せてもらっていいですか……本物の呪術系聖魔具だったら、すぐに提出しないと、ボクたちが捕まります」

「マジか」


 背筋にじわりと汗が浮かんでくる。

 今まで呪術を相手にすることもなかったし、聖魔道具すらほとんど触れてこなかったので、法律がどうなっているかまで意識が及んでいなかった。

 ジークが箱を取り出して渡すと、二ムはそれをテーブルに置いた。

 最初は触れないように様々な角度から眺め、やがて手袋をした手で慎重にいじり始める。


「これは、ルーン文字が細かく刻まれていますね。ですが、呪術系のものではないようです……よかった」


 ふう、と大きな安堵の息を吐く二ムに、ジークは首を捻った。


「そうなのか? オレは間違いなく、その箱から出てきた呪術に殺されかかったんだが」

「ええと、ちょっと説明しますね」


 二ムは手元の用紙に、宝箱の柄を描きながら説明する。


「『遺跡エデン』に多いんですが、宝物庫の箱の中には、罠が仕掛けられていることもあって、その中に『呪術が込められたニセの宝箱』が紛れていることもあります」

「それはよく聞く話だな。そういった危険を回避するために【解錠士クリアラー】が重要なスキルと言われるようになったわけだし」

「はい。それで実は呪術というのは、ルーン刻印術と親和性があるんです」


 意外な話が出てきた。

 ジークはわずかに身を乗り出す。


「相性がいいっていうのか?」

「呪術はたいてい、遠くにいる相手を呪いで攻撃したり、時間が経ってから効果が発動するようなものが多いんです。これは『固着型』の神魔力が適正です」

「なるほど……ルーン刻印術も『固着型』だからか」

「そうです。『罠の宝箱』には二つのタイプがあるとされていて、一つはルーン文字で呪術を刻み込む方法です。魔術と同じく、ルーン刻印術にも呪術に指定されたものがありますから。もちろん現代で作ると違法行為ですが」

「じゃあ、この箱はそれじゃない、っていうことか?」

「はい。この箱は、ルーン刻印術で、内側に何らかの術を閉じ込めるものです。箱を開けると、中に封じてあった術が発動する……みたいな仕掛けですね。この方法は、聖魔具の『入れもの』を作るヒトと、術を込めるヒトとの共作という形になります」

「聖魔具は、一人で作り上げないと効果を発揮しないんじゃないのか?」


 それは「神魔力の独立個性の法則」によるもので、一つの術は、一人の神魔力で完成させないと成立しない。

 他人の神魔力を受け取ったり与えたり、一つの術を二人で発動させるといった協力はできないのだ。

 二ムは宝箱の絵に、追加で文字と絵を描き加えていく。


「確かにそうですが、この場合、箱の聖魔具は『術を封じ込める』ことだけが目的です。中に入れる術は、別に誰のものでも構わないんです」

「そうなのか……じゃあ、魔術の火炎とか入れておくことも可能なのか?」

「はい。ただ、魔術は『顕現型』の神魔力なので、すぐに神魔力を使い果たして消えてしまいます。箱に入れても、中で消えてしまって、開ける頃には何もない状態になってると思います」

「それで呪術が相性いいわけか」


 いろいろと腑に落ちた。

 つまりこの箱は「術を閉じ込める箱」であり、中に呪術が入っていなければ違法ではない。

 ――今は。

 この箱に呪術を閉じ込めた何者かは、確実に存在する。

 【死霊術士ネクロマンサー】。

 その名称が脳裏をよぎる。


「そうだ、せっかくですので、今日はこの箱を使って勉強しましょう」

「え、いや、さすがに今のオレにそこまで高度なことは……」

「大丈夫です、簡単な理屈とか、刻印の特徴とか、分かりやすいところから解説しますので。それにルーン刻印術は、やっぱり聖魔具を直接見ながら学んだほうが覚えやすいと思うんです」

「……まあ、本職がそう言うなら、異論はないが。オレの頭でも分かるようにお願いしたい」

「ジークさんはとっても理解が早いし、賢いです。心配無用ですよ!」


 年下の少年からの信頼が重たい。

 ジークはプレッシャーを感じつつも、今日の勉強を始めるのだった。



 それからしばらくは、大きな出来事もないまま日々が過ぎていった。

 何度か、ニーサイズの魔物の討伐を引き受けたりしたが、これも大きなトラブルなく達成することができた。

 新メンバーのニムは、戦闘面ではやはり何もすることはなかったが、積極的に荷物持ちや旅の支度を手伝い、ジークより正確な予算の割り出しや経費節減のアイディアを出すなど、裏方としての存在感を見せ始めていた。

 そうして、二週間ほどが過ぎた。

 駆け出しのパーティとしては、ややスローペースだが順調な滑り出し。

 問題があるとすれば「後衛」がいつまで経っても見つからないことだが……アグロアーでは、ジークの渾名が邪魔をして見込みが薄い。

 そろそろ拠点を他の街に移すか、メンバースカウトの旅に出るかを考える頃合いかもしれない。

 そんなことをジークが考えながら冒険者ギルドの扉を潜ると、やけに騒がしくなっていることに気づいた。

 昨日、討伐依頼を終えたばかりのジークパーティは、今日は休息日ということで、ジークも朝の訓練を休んでいた。

 散歩も兼ねて昼過ぎにギルドに行ってみれば、この様子である。

 すでに朝に貼り出された依頼はあらかた引き受けられ、この時間まで騒がしくなっているのは珍しい。

 受付に三つある窓口も混み合っていて、職員がそれぞれ説明をしている。


「おや、ジークさん、こんにちは」


 受付の左端、いつもの管理申請窓口だけは空いていて、モルトーネではなく、老齢のハロルドが座っていた。

 他に順番待ちもいなさそうなので、ハロルドの前に座る。


「今日はずいぶんヒトがいますね……何かあったんですか?」

「ええ、そうなんです。実は……出たんですよ」


 周囲を刺激しないようにか、声を潜めて白髪のハロルドが言う。


「【死霊術士ネクロマンサー】が、アグロアー近郊に現れたんです」


 ハロルドの言葉を聞いて、ジークは息を呑んだ。

 【死霊術士ネクロマンサー】が現れた。

 上級冒険者でも手こずる相手が近場に出たとなっては、ギルドが落ち着かなくなるのも無理はない。

 固まったジークを見て、ハロルドが慌てて訂正する。


「おっと、正しくは『かもしれない』という話です。まだ確定ではないんですが……」

「な、なんだ……脅かさないでください」


 ジークは息を吐いた。

 もちろん【死霊術士ネクロマンサー】も恐ろしいが、同時にジークはファンギア族の女性の姿も思い浮かべてしまう。


「ですが、油断はいけません……『勇敢なる剣』パーティが、全滅しました」


 いっそう声を潜めるハロルド。

 『勇敢なる剣』は、中級冒険者パーティだ。

 「前衛」三人が全員、同じ流派の剣技を学んでいて、仕事は堅実。

 もちろん実力も相応にあったという話だ。

 そのパーティが、全滅した。

 冒険者としてはオーソドックスな六人組だったと記憶しているが、その全員が――死んだ。


「……一応、聞かせてください。敵が【死霊術士ネクロマンサー】だと推測される理由を」

「分かりました、順を追って説明しましょう。今回『勇敢なる剣』は、東の山向こうにある洞窟へ向かっていました。そこに巣くう魔物、アラクネを退治するためです」


 アラクネは、ヒト型の上半身に、蜘蛛のような下半身を持つ魔物だ。

 樹木の密集する森や、奥深い洞窟に住み着き、巣を作って同族を増やす。

 バイトールサイズで、巨体からは信じられないほど俊敏。

 多足を利用した移動と跳躍、そして粘糸を自在に操り、様々な角度から攻めてくる。

 中級冒険者でも、熟練の腕がないと危険な相手だ。

 アラクネの数によっては、複数のパーティによる共同戦線が提案されることも珍しくない。

 『勇敢なる剣』は、単独でこの討伐依頼を見事に達成。

 意気揚々と引き上げてくる途中で、別の魔物に襲われたのだという。


「彼らの遺体は、すべて執拗に破壊されていました。それでいて、捕食された部位が非常に少ない。これは主に、アンデッド系の魔物に殺されたヒトの特徴です」


 その話は聞いたことがある。

 アンデッド系やゴースト系の魔物は、知能があまり高くない奴が多い。

 加えて、自分自身が「生きていない」から、相手が「生きているかどうか」を判断する能力も低い。

 結果、相手がピクリとも動かなくなるまで、倒れた標的をひたすら攻撃し続けることが往々にしてある。


「それなら、ただ単にアンデッド系の魔物にやられただけ、という可能性もあるんじゃないですか?」

「ええ。しかし、遺体をそこまで破壊するのは中位以下のアンデッド。上位級のアンデッドならば、そんな無駄なことはしません」

「……なるほど。つまり『勇敢なる剣』の実力を考えれば、負けるはずのない相手に敗北してしまった」

「そう考えられます。対処しきれないほどの大量のアンデッドが出現したか、もしくは他の要因――」

「例えば呪術を併用されて殺された、とか」


 言葉を継ぐように答えると、ハロルドは少しだけ驚いた顔をしつつ、頷いた。


「ええ。しかし、ギルドの方でも判断を迷っているんです。もしこれが【死霊術士ネクロマンサー】の仕業だとしたら、遺体をわざわざ残すでしょうか?」

「そうか……状況から考えれば、こうやって【死霊術士ネクロマンサー】の関与が浮かび上がる。しかし彼らは、ヒト社会に憎まれていることを知っている……疑わしい証拠を残すなんて、ちょっと手落ちですよね」

「すでに、他の誰かに追われていて『勇敢なる剣』の処理をしてる場合ではなかった……ことも考えたのですが、近隣の冒険者ギルドと連絡を取り合った結果、そんな報告は上がっていないのです。そもそも【死霊術士ネクロマンサー】の情報は最重要事項の一つですからね。どんな些細なことでも、ギルド間で最速で共有されているはずです」

「……結局、まだ白黒はっきりしてない状態というわけですか」

「はい。それで昨日から調査依頼を出しているのですが……この様子でして」


 ハロルドがギルドに集まった冒険者たちに視線を向ける。

 それぞれがパーティで集まり、この依頼について話し合っているようだった。

 他の窓口で尋ねられていることも、おそらくこの件だろう。


「調査といえど、相手に遭遇してしまうことは当然あります。危なくなったら引き返せばいい……と楽観的に考えるのは新米だけです」


 ジークは小さく頷いた。

 冒険者は自分の命を懸ける仕事だ。

 万が一を考えるのは当たり前だし、例え失敗しても、無事で帰ってくる準備は怠らない。

 魔物や盗賊と戦う以上「絶対に安全」はないが、少しでもリスクを減らすべきだし「出会ったら最後」なんて調査は誰もがお断りだろう。

 ただ【死霊術士ネクロマンサー】の危険な噂はいくつも知っているが、具体的に戦った経験があるヒトはごくわずかだ。

 危険度を判断しようにも、噂の又聞きといった伝聞程度のことなので、非常に難しい。


「領主様の方でも兵を派遣して調査を始めるそうですが、やはり冒険者側の力も借りたいとのことで、支援金を約束頂いております。ですので、依頼としてはかなりの旨味があると思いますが……」

「簡単に飛びつくわけにも、ってとこですかね。誰も引き受けてはいないんですか?」

「いえ、ボルグさんの『レッドグリフォン』がすでに引き受け、出発してくれています。ただ、相手が相手なので、もう少し募集したいのですが」


 『レッドグリフォン』は、限りなく上級に近い中級冒険者パーティだ。

 名前の由来は、結成二年で遭遇したグリフォンの変異種、赤い身体のグリフォンを討伐したことによる。

 通常のグリフォンと違い、術が効きにくく厄介だったそうだが、ボルグが獅子奮迅の戦いをしてその首を獲ったという。

 実力は疑うべくもないが、やはり調査という依頼の性質上、頭数が欲しいのも分かる。


「リトルズギルドは?」

「当然、動いているでしょう」

「じゃあ、調査はそちらに任せてしまえば――」


 ハロルドは首を振った。


「それぞれのギルドは、協調路線を取ることはあっても、基本的には別組織なのです。彼らは、彼らの利益を優先に動く。彼らに調査を任せてしまえば、我ら冒険者ギルドは、彼らから高額で情報を仕入れなければならなくなります。また、領主様から支援金の話が出ている以上、何もしない訳にもいかず……」


 冒険者ギルドの面子もある、ということか。


「なるほど……すみません、そちら方面には詳しくなくて」

「いえ、これはいわば内部事情ですので、お気になさらず」

「他に依頼を引き受けたパーティは?」

「今のところ、まだ……」


 ハロルドは複雑な視線を掲示板の方向に向けた。

 冒険者たちは、仲間同士で会話はしていても、掲示板からは少し距離を取っている。

 誰が行くのか、あるいは行かないのか。

 お互いに様子見が続いているといった印象だ。

 冒険者パーティ同士にもライバル関係はある。

 例えば同じくらいの実力ならば、受ける依頼も似通ってくるため、取り合いになることがしばしば出てくる。

 もしライバルがこの調査の依頼を受けるなら、自分たちが先に、と思ったり、あるいはライバルがこっちをやっている間に他の依頼を、と思ったり、まあいろいろ思惑はあるだろう。

 自分たちより格下のパーティが受けようとするなら、自分の面子のために横槍を入れようとする奴もいるかもしれない。

 誰かのために――例えば、街のヒトたちの安全のために、あるいは大陸の平和のために。

 そんなことを考える冒険者は稀有な存在だ。

 ジークだって、彼らと何が違うわけでもない。

 ただ――


「ハロルドさん。その依頼、オレが受けてもいいですか?」


 周りの冒険者に聞かれて騒がれるのも嫌なので、小声で、しかしはっきりと、ジークは告げた。

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