第三章 9話

 夜になる前にアグロアーに戻ったジークは、衛兵詰所に向かった。

 暇そうに椅子にもたれ掛かって飲み物を飲んでいたフレッドが、ジークを見るなり顔をしかめた。


「……またあんたか」

「そう嫌そうな顔するなよ」

「んで、今度は何をやった?」

「指名手配犯が死んだ」

「ブフォッ!」


 盛大に飲み物を噴き出したフレッドは、慌てて机を拭きつつジークを睨む。


「マジでろくなことがねえな、頼むから来ないでくれよ……」

「そうもいかないだろう。ほら、事情を説明するから調書を取れ」


 フレッドの反対側に座ったジークは、面倒そうにペンを握るフレッドに事情を話した。

 ただし、シロナのことを話すのは躊躇われたので、一部を改変する。

 商人の男は冒険者のジークを見て捕まると思い込み、呪術の箱を開けて自分が呪われてしまった。

 魔物になりかけたが、不完全だったようで、自滅してしまった、という流れだ。


「これがその時の箱だ」

「んなもん見せるな、怖え! そっちで処分してくれ」

「いいのか、一応証拠品だと思うんだが」

「そういうのは冒険者ギルドとか魔術師ギルドとか、そっちの仕事だろ。他の荷物が無事ならそれでいい。念のため聞くが、荷物の中身はパクってないだろうな?」

「それは当然。この歳になってお尋ね者なんかになりたくない」


 むしろフレッドの方が何かくすねそうだと思ったが、言わないでおく。

 結局、空の箱は気味悪がられて受け取り拒否されたため、ジークが持って帰ることになった。

 後から「証拠を出せ」と言われても困るので、捨てるわけにもいかないだろう。

 一応、懸賞金がいくらか懸けられていたらしく、貰える可能性があるというので、悪いことばかりでもなさそうなのが救いだった。

 詰所を出た後、冒険者ギルドにも立ち寄る。

 モルトーネがいたので事情を話すと、顔を青くして心配してくれた。


「よくぞご無事で……ギルドの依頼で、大変ご迷惑をおかけしました」

「いや、偶然のことで、依頼とは関係ないので……」


 そんなやり取りをした後、モルトーネは少し思案顔になった。


「では……来月に予定していた『浄化の祈祷』を、できるだけ前倒ししてもらうように聖教会へお願いしておきましょう。もしかしたら、墓地に悪影響が残っているかもしれませんし、こういうのは専門家に見てもらったほうが安心ですから」

「……分かりました」

「では、これが今回の報酬です。ありがとうございました」


 モルトーネに依頼料を貰い、ギルドを出た。

 呪術、そして【死霊術士ネクロマンサー】のシロナ。

 ここ数日で、自分の常識が激しく揺り動かされているような感覚がある。

 

「あれっ、ジークじゃん。良く会うね」


 顔を上げれば、マルフィアが小さく手を振っていた。


「そうだな。まあ、ギルドでしょっちゅう顔を会わせてはいるが」

「それとこれとはちょっと違うじゃん。道端で偶然会うとさ、ラッキーって思わない?」

「オレと会うのが幸運なのか?」


 ジークは軽い冗談のつもりで答えたが、マルフィアは瞬く間に顔を赤くしてあたふたとし始めた。


「い、いやっ、ほら、奇縁というか、私ってヒトと話すのが好きだし、一人でいるより誰かに会いたい性分っていうか!」

「そういえば今日は一人だな」


 言ってから、ふと思いつく。

 あの女性……リンディに【死霊術士ネクロマンサー】のことを聞いてみるのはどうだろうか。

 ジークは呪術には疎いが、死霊術というもの呪術の一つなのだろう。

 シロナもそういう文脈で話していた。

 しかし、呪術を覚えただけで、それは邪悪なのだろうか。

 世界から、憎まれなければならないのか。


「なあ、マルフィア。今度、リンディさんに会わせてもらえないか?」

「え?」

「いつでも構わないが、できたら早いほうがいいな」


 マルフィアの表情が、まるで冷水を浴びせたように固まった。


「どうした?」

「……ジークも、さ。やっぱり、女性は知的で、優しそうなヒトがいいって思うのかな」


 女性は?

 ずいぶんと主語の大きな質問を投げてきた。

 冒険者は、とか、術者は、といった話なら、それなりに答えることができるが「女性は知的でおとなしい方がいいか」と言われても「ヒトそれぞれだ」としか答えようがない。

 確かに、田舎の方には「女性は家に籠って子を産み育て、男は命がけで働いて食料を得る」ことが是とされる地域もある。

 そういった文化の場所では、女性はおとなしい方が何かと都合がいいだろう。

 あるいは婚姻によって血縁関係のパワーバランスを取る王侯貴族なら、黙って親の言う通りに動く女性のほうが、これまた都合がいい。

 しかしヒトの、特にヒュームの大半は平民と農奴であり、そのどちらも女性が働いたり戦ったりするのは当たり前だ。

 だが、マルフィアならそんなことは知っているだろう。

 ……もしかして、誰かに何か言われたか。

 例えば親が貴族に近い立場で、マルフィアを結婚させようとか。

 それで「もっと相手に気に入られるように、おとなしい生き方をしろ」と転職を勧められたのかもしれない。


「オレは……知っての通り『死神』と呼ばれながらも、冒険者という仕事にしがみついている。実力も、名声もない……それでも、だ」

「ん?」

「世の中には、生まれた地位や、あるいは種族によっても、自分の人生を選べないヒトは多いかもしれない。自由に生きろなんて、気軽には言えない」

「ちょ、何か話が――」

「それでも、オレは、自分に正直に生きるのが正解だと信じている。マルフィアは、今の明るくて、毎日が楽しそうな姿が似合っている。そんな風に楽しく冒険者をやれたらと、羨ましく思えるくらいに」

「え、そ、そう?」


 マルフィアが照れくさそうに、両手を頬に当てる。

 自分に正直で、楽しく毎日を生きる。

 そんな彼女が、誰かに強制された生き方をしたって、きっと幸せにはなれない。

 ……そういう意味では、弟子を名乗るあの少女と、よく似ているかもしれない。


「……でも、リンディには会いたいんだよね?」

「ああ、そうだ……いや、待ってくれ」


 聖教会で学んだ彼女なら、呪術などにも詳しいと思ったが……

 宗教的に敵視している【死霊術士ネクロマンサー】について尋ねたところで、素直に教えてくれるとは限らないし、何故ジークが興味を持ったのか疑われたら、万が一にもシロナを危険に晒すことに繋がりかねない。

 聖教会関係のヒトにいきなり尋ねるのは、早計かもしれない。


「マルフィアは【死霊術士ネクロマンサー】について、何か知らないか?」

「……あーっ、それでリンディ? ああ、そう、なるほどね……」


 マルフィアは、安心したような困ったような複雑な顔をしていたが、やがてため息をつくと手招きをして、小声で答えた。


「場所、変えよっか。呪術関係の話を、道端でするのもマズイでしょ」

「そうだな」


 マルフィアに案内されて、ジークたちは近くの公園に移動した。

 さすがに日も暮れると、ヒトの姿もなく閑散としていた。


「それで何が聞きたいの? 先に言っとくけど、私だってそんなに詳しくはないよ?」

「【死霊術士ネクロマンサー】は、本当に危険な存在なのか?」


 ジークの質問に、マルフィアは呆れたように手を広げた。


「あのねぇ……それ、本気でリンディに聞こうと思ってたワケ?」

「やっぱりマズかったか」

「説教で済めばマシな方、下手すりゃその場でビンタされるわよ」

「さすがにそれは」


 メガネをかけたあの穏やかな女性が、いきなりビンタしてきて公開説教とか、ちょっと想像できない。

 まあしかし、やはりそのくらい、聖教会の信徒にとって【死霊術士ネクロマンサー】は「仇敵」という認識なわけだ。


「そもそも【呪術士カースド】っていうだけで、多くの国ではお尋ね者なのよ? 【死霊術士ネクロマンサー】なんて、その頂点みたいな存在。ヒトの社会では、まず生きていけないでしょうね」

「そんなに危険視されて討伐されてきたのに、未だに死霊術士【死霊術士ネクロマンサー】がいるのは何故なんだ?」

「隠れ里とかで、こっそり伝承してるんじゃないかな」

「でもやっぱり、ヒトの社会に受け入れられないと分かっていながら、わざわざ伝承なんてするものなのか?」

「私に聞かれても……うーん、例えば、物心つく前から教えられちゃって捨てられないとか、彼らにしか分からない理想があって、研究を続けてるとか……」

「理想か……そのセンはありそうだな」


 ただの推測だが、例えば死者を操る術があるなら、その先の死者蘇生の術なんてのが理論として存在するかもしれない。

 しかし、聖術にしろ呪術にしろ、蘇生の術は未だ存在せず、文献にも見当たらないという。

 聖術とは違うアプローチで、その究極とも言える術の開発を目指しているとか。

 そういえばシロナは、この近辺で何やら調査をしていると言っていた。

 それも、関連があるのかもしれない。


「でも、聖教会が憎むほど否定してるわけだから、やっぱり間違ったやり方なんじゃない?」


 聖教会は大陸の過半数で国教に指定されている最大の宗教だ。

 その教義が「邪悪だ」と定めれば、やはりそれはヒトの社会にとって「邪悪」になってしまう。

 それを信じようが、疑おうが……否応なしに。


「【死霊術士ネクロマンサー】によって滅ぼさた国もあると聞いたことがあるが……他にどんな悪行がある?」

「うーん、それも正確なところは分かんないなぁ。物語の悪役として定番だし、それこそ人形劇とか紙芝居とか、舞台演劇でも見るし。王都図書館とかに行けば、もしかしたら事実だけ調べることができるかもしれないけど」


 王都図書館は、その名の通り、王都にある。

 大陸中の歴史や記録を集めて保管しているらしいが、平民では利用できない。


「でもジーク、どうして急にそんなこと知りたがるの?」


 疑うような眼差しを向けてくるマルフィア。

 急にこんなに【死霊術士ネクロマンサー】について興味を示したら、不審がられるのも当然か。

 だが、シロナのことを言うわけにもいかない。

 ジークが返答に迷っていると、マルフィアがはっと口元を押さえるように驚く。


「まさか【死霊術士ネクロマンサー】討伐の依頼でも耳にしたの? ダメだよ絶対! 私たちでも手が出せないのに、そんなのに首突っ込んじゃダメ!」

「……そんなに強い相手なのか?」

「当たり前じゃん! 様々な呪術で気付かないうちに攻撃してくるし、アンデッドやゴースト系の魔物を無数に召喚してくるんだよ。でも相手はたった一人。こっちがアンデッドに苦戦してる間に逃げて隠れられたら、また一から討伐計画の練り直し。本当に大変なんだから!」

「なんだか、一度やったことがあるような言い方だな」


 そう言うと、マルフィアは「うっ」と顔をしかめて視線を逸らした。


「……『疾風のマーメイド』結成から五年目くらいの時に、ね。たった一人の【死霊術士ネクロマンサー】相手に、上級、中級の冒険者パーティが複数募られてて、私たちも名を上げるチャンスだと思って参加した。五組だったかな。相手は山に籠ってたから、領主も兵隊を出して、山狩りみたいにして始まったの」


 マルフィアは視線を落とし、足元を見ながら呟く。


「相手は、こちらの動きが分かっているように思えた。ゾンビやスケルトンの群れが散発的に襲い掛かってきてね。最初は楽勝で倒してたんだけど……とにかく休息が取れないの。食事中、トイレの時、仮眠の最中……いつでも襲ってきた。兵隊たちは戦力にならないから、援護に向かうだけでもけっこう疲れてね。途中から兵隊には帰ってもらって、冒険者だけで山狩りを続けたんだけど」


 戦いは二晩続いたという。

 アンデッドには疲労も睡眠もないから、いつ戦いになるか分からない。

 徹夜で、休息も水分補給とか、携帯食料を食べる間の十分間とか、その程度だ。


「そのうち、他の中級パーティのメンバーが錯乱して、仲間を襲った。たぶんだけど、疲労してたところに呪術を受けたんだろうね。そのせいで、そのパーティは離脱。無事だった他のパーティも、互いが信用できなくなって、連携を取れなくなった」


 後は、悲惨なものだった。

 アンデッドとの戦闘を繰り返すだけで【死霊術士ネクロマンサー】本人は結局、見つけられず。

 誰かが見落としたんじゃないかと、他のパーティの責任を追及しだしたり、不衛生なゾンビを殺し続けたせいで疫病を発症したパーティもあった。

 一度逃がしてしまったら、次に見つけられるのは、どこかで被害者が出た後。

 狡猾な奴なら、普通のヒトのフリをして街に潜むことだってできるかもしれない。

 例えばアグロアーだって、貧民区に潜まれたら簡単には見つけ出せないに違いない。

 これが、マルフィアの語った【死霊術士ネクロマンサー】だ。


「……そうか。苦い経験を話させてしまってすまない」

「ま、いいよ。けっこう昔の話だしね。あれ以降【死霊術士ネクロマンサー】討伐の依頼は受けないことにした。一回だけ見かけたけどスルーね。その時は、聖教会が討伐軍を組織したんだったかな」

「なるほど。いろいろ話を聞けて助かった。ありがとう」

「いいって。とにかく【死霊術士ネクロマンサー】関係には関わらないこと。いい?」


 年上の姉のような顔で忠告するマルフィアに、ジークは苦笑で返した。

 ――関わらないで、忘れる、か。

 どうするのがいいのか、ジークは明確な答えが出せないでいた。

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