第三章 8話

 ジークの持つ刃を見た途端、商人の男が顔色を変えた。


「だっ、ダンナ、どうしたんですか、そんな物騒なものを――」

「お前は演技の才能も、うまい嘘をつく頭も持ち合わせていないな」

「そ、そんな、嘘なんて!」


 男が荷物を抱きしめて首を振るのを、ジークは冷めた気持ちで見つめていた。

 本当に盗賊に襲われたのなら、雑木林に飛び込むのは間違い。

 聖魔具という高級商品を運んでいるのに、簡単にやられてしまうような腕と数の護衛しかつけていないのもおかしい。

 そして今は夕方だ。

 もしこんな時間にアグロアーを出発したなら、宿場町につくのは夜中近くになってしまう。

 そんな時間に移動する商隊なんてあるはずがない――危険すぎる。

 この男が説明した事情はすべて嘘だ。

 しかし聖魔具をぎっしり持ち歩いているのは事実のようだ。

 アグロアーから来たのなら、ジークには思い当たることがあった。


「……お前、夜逃げした商人だな。聖魔具の裏取引をやっていたんだろう」

「なっ……何故それを!」


 この程度の追及であっさり白状してしまうところも、小物だ。


「この男、どうするんだい?」

「悪いが、捕縛させてもらう。抵抗しなければ傷つけはしない」


 シロナの問いに半ば答える形で、男に告げる。


「み、見逃してくれ! ワシにはまだ幼い子供が二人――」

「その子供を放り出してこんな場所まで逃げてきたとすれば、ますます屑だな。今のが本当だろうが嘘だろうが、同情の余地は一切なくなった」

「ち、違う、そうじゃなくて、ああ……クソ!」


 さっきまでとは違う汗を滲ませた男は、悪態をつくと荷物の袋を逆さにして中身を地面にぶちまけた。


「ワシは……こんなところで……生きるんだ、金さえあれば……」


 聖魔具は『持たざるものエンプティ』でも使うことができる。

 抵抗される前に、早く制圧したほうがよさそうだ。

 ジークが男に向かって駆け出そうとして……足が止まる。


 ――何だ?


 背筋が寒くなるような、すごく嫌な気配がする。

 以前、ここで発生したゴーストと出会った時の悪寒に似ているが、比べものにならない。

 左右、それから背後を見るが、何もない。

 そのジークの様子を見たシロナが、何かに気づいたように目を細め、集中する。


「――まずいよ、あれだ!」


 シロナが叫び、飛び出す。

 その視線の先には、男が荷物から引っ張り出した小型の箱があった。

 銀の縁取りが施されたその小箱は、表面にびっしりと模様が刻まれていた。

 男がそれを掌に載せると、箱の縁から霧のような黒い何かが漏れ出したように見えた。

 ジークも本能的に悟った。

 この悪寒の正体は「それ」なのだと。

 シロナの飛び出しは本当に速かった。

 わずか数歩で男に迫る。

 だが――男の脂肪で膨らんだ手が、箱の蓋を開けてしまうほうが、わずかに早かった。


「呪われろ!」


 男が叫ぶと同時に、シロナがその箱を叩き落とす。

 その衝撃で男の腕が折れて、顔が苦痛に歪むが、今はどうでもいい。

 転がった箱に目をやる。

 どろどろと、粘液のようにも見える黒い霧が、箱からあふれ出す。

 魔術や聖術を道具で代用したものが聖魔具であるのなら――呪術を代用するものだって作れるはずだ。


「くっ!」


 ジークも遅れて走り出す。

 蓋を閉めれば、まだ何とかなるかもしれない。

 シロナもそう思ったのか、箱に飛びつこうとするが、直前で止まる。

 黒い霧が、箱を覆い隠すほどあふれ、もはや霧を避けて箱を掴むことはできない。

 この黒い霧そのものが危険。

 おそらくシロナもそう感じ取ったのだろう。


「くそっ、くそが、ゴミどもがっ!」


 ただひたすらに罵声を上げ、男は転がりながら箱に折れていない手を伸ばす。

 沼のようになった黒い霧に男が触れた途端、霧が男に向かって這い上がって来た。

 まるで無数の黒いアリに狙われた獲物のようだ。


「あっ……がっ!」


 悲鳴は喉をかきむしるように悶え、地面を転がる。

 相当な苦しみなのか、目玉が今にも飛び出しそうなほど瞼を開いている。


「ジークくん、聖水を!」


 異様な光景に呑まれかけていたジークは、我に返ると腰に下げた袋から聖水のビンを取り出す。

 悠長に木剣に振りかけている余裕はなさそうに思えた。

 即座に瓶を霧に向かって放り投げ、次いで懐からナイフを抜いて投擲する。

 命中。

 ナイフはビンを砕き、飛び散った聖水が黒い霧に降り注ぐ。

 だが、じゅっと音を立てて、聖水は一瞬で蒸発してしまった。


「焼け石に水かい、まいったね!」


 シロナが吐き捨て、次の行動に移ろうとした時、倒れた男の身体が急に起き上がった。

 男……というより、人型の黒い塊となってしまったそれは、目と口のあった部分にぽっかりと穴を空けた状態で、こちらを見つめているようだった。

 シロナが大きく後ろに跳び、ジークの横に着地する。


「……遅かったか。よくもこんなおぞましい呪術を」

「あれは一体、何なんですか」

「カニバルコープス、と呼ばれる怪物さ。近づく生物を捕食し、融合して、徐々に大きくなっていく。あの男は、使い方を勘違いしたんだね。おそらく、箱を開けたヒトをコープスに食わせるのが目的のはずさ」

「ミミックのようなものですか?」

「それを参考にして作られたんだろうね。物理的な干渉は難しいから、術者以外が開けたら食われるのは確実。食われたヒトを助けようとして、さらに犠牲者が増え続けていく可能性もあるだろう」

「なんて陰湿な……」

「だから呪術、なのさ」


 シロナが、犬歯を剥き出しにして怒りを滲ませる。

 ジークはミドルソードを放り捨て、代わりに木剣を抜いた。

 残る一本の聖水の半分を木剣に、半分を頭から被る。


「シロナさん、ここはオレが時間を稼ぎます。アグロアーの街に行って、応援を呼んでください」

「何言ってるんだい?」

「これはオレのミスです……あの男を刺激しすぎてしまった。もっとうまくやる方法はあったはずなのに」

「キミ一人で何ができるっていうんだい」


 指摘はもっともだ。

 用意した聖水がほとんど効果がないことはさっき証明されている。

 術の使えないジークでは、まともな戦闘にならないだろう。

 だが、ここで彼女を巻き込むわけにはいかない。


「シロナさんの脚力があれば、オレより早く応援を呼べます」

「一緒に来ればいいだろう」

「偶然、ここに立ち寄るヒトがいないとも限らない。それに、こいつを見失ったら被害はもっと深刻になる」


 緊張から素の口調になりつつ、ジークはシロナの前に出る。

 背中にマウントしている盾を外し、左手に装備。

 おそらくアンデッド系であるこの怪物相手に、盾がどの程度役に立つかは疑わしいが。

 シロナが離脱する隙を稼ぐため、左前方にゆっくりと移動する。

 それに伴い、カニバルコープスの顔らしき部分も、ジークを追うように回る。


「シロナさん、今のうちに――」


 言いかけた時、カニバルコープスの左肩に神魔力が集まる。

 何だ、と思う間もなく、そこから黒い何かが一直線にジークに向かって飛び出してきた。

 咄嗟に木剣と盾を十字に交差させて防御。

 だが、その「黒い槍」とも言うべき攻撃は、木剣を圧し折り、盾を砕き、ジークを弾き飛ばした。


「うがっ……!」


 背中に固い衝撃。

 どうやら近くの墓石に激突したらしい。

 名も知らない墓を壊しながら、ジークは地面を転がった。

 盾を持っていた腕と肩、背中に激痛。

 呼吸が苦しい。

 予測不能の攻撃だった。

 生物らしい予備動作も何もなく、いきなり水鉄砲のように黒い槍が伸びてきた。

 むしろ神魔力の流れすら見えていなかったら、今頃胴体に穴を空けられ、食われていたかもしれない。


「まったく、無茶をするね」


 何故か、離脱しているはずのシロナが、すぐ側にいた。


「シロナさん、どうして……」

「後で手当てしてあげるから、今はこいつに集中させておくれ」


 シロナはジークを庇うように立ち、カニバルコープスに向かい合った。


「キミに謝らなければならないことがある」


 シロナはゆったりと立ち、呪術の塊を見つめた。

 特に武器を出したり、拳を向けることもない。

 少しだけ重心を落としているが、飛びかかるような前傾姿勢でもない。

 カニバルコープスの左膝に、神魔力が集中した。

 ジークがそれを伝えるより早く「黒い槍」が膝から飛び出す。

 シロナはそれを軽やかに回避。

 受け止めるだけで精一杯だったジークと違い、見事な敏捷性だ。

 それと同時に、シロナの身体に神魔力が満ち始める。

 ジークのような「燃焼させる」感じではなく、まるで流水が加速していくような、力強くも淀みない流れ。


 ――オン、アダラ、ウイアラ、マリシ――


 言葉が聞こえた。

 耳の奥に直接響いてくるような、不思議な声だ。


 ――ダルガ、イエソラ、オオライラ、ソラエ――


 聞いたこともない節で、シロナは唱え続ける。

 その間にも「黒い槍」は立て続けにシロナを狙うが、右へ、左へと姿勢を崩すことなく獣人の女性は危なげなく避け続ける。

 彼女はなおも、呪文を唱えつつカニバルコープスに近づいていく。

 距離が近くなればその分「黒い槍」にも当たりやすくなるはずだが、一向にそんな不安を感じさせない。

 やがて、シロナの手が呪術の身体である黒い霧に触れた。


「シロナ――」


 名前を叫びかけて、その手が何の変化もしていないことに気づく。

 彼女の手を食うどころか、黒い霧のほうが避けているようにさえ見える。


「邪霊よ、我が命に従え――」


 その一言と同時に、黒い霧が大きく震えた。

 そして、全方位から押し込められているように小さくなっていく。

 カニバルコープスも必死の抵抗なのか「黒い槍」を出そうとするが、わずかに盛り上がるだけで、すぐに押し返されてしまう。


「ここで生まれた者なら、この地に返すところだけど……お前は呪術の力も受けてしまっている。申し訳ないが、せめて冥福を祈るよ」


 片手を呪術に向けたまま、もう片方の手を動かす。

 何かの舞のような、あるいは印を描いているような、複雑だが優美な手つき。

 同時に呪文も唱えているようだった。

 抱えられる程度のサイズになった塊に、両手が添えられる。

 醜いうめき声が聞こえたかと思うと、黒い霧は、一瞬で散って消えてしまった。

 後には何も残っていない。


「……ふう、まったく嫌な『祓い』だったよ」

「今のは一体……」


 ジークが体を起こそうとすると、シロナが手で制しながら近づいて来た。


「ああ、まだ動くんじゃないよ。というか、痛くて立てないだろう?」


 図星だ。

 足は無事だと思うが、胴体から軋むような激痛が走っている。

 シロナはしゃがみ込むと、ジークの胸に両手を当てた。


「ほら、こんなバアさんに触られたくらいで、動揺するんじゃないよ。気を落ち着けて、神魔力をゆっくり巡らせるんだ」

「そ、そんな急に言われても……」


 変に緊張しつつ、ジークは言われた通りにできるよう集中する。

 すると……徐々に、身体が不思議な熱を帯びていく。


「これは……」

「ジークくんの神魔力を、自己治癒に集中させているのさ」

「治癒って……まさか聖術を?」

「違うね。自己治癒って言ったろ。キミ自身の神魔力を、すべてキミの回復力に集中するよう誘導しているだけさ」


 それはつまり、他人の神魔力を操っている、ということか?

 魔術の中には、他人の神魔力に干渉して乱し、術の発動などを妨害するものがある。

 それとは逆の効果……ということか?

 いや、少し違う気がする。

 妨害の魔術といっても、結局は「自分の術を相手にぶつけている」のだ。

 相手の神魔力を、直接操作して乱しているわけではない……と思う。

 シロナの説明が本当なら、今まで見たことも、聞いたこともない技術である。


「さっき、謝らないといけないことがあると言ったよね」

「あ……はい、そういえば」

「あのカニバルコープス……その気になれば、あの男を食う前に、止められたかもしれないんだ」


 シロナは、申し訳なさそうに……そして、少し悲しそうな目をして言う。


「呪術を封じた箱というのは、見た時に分かった。あの時、叩き落とすんじゃなくて、最初から術を使っていれば、無力化できたかもしれない」


 どうしてそうしなかったのか――と、ジークは問い質さなかった。

 見せたくなかったのだ。

 もう分かっている。

 シロナが使ったあの力は、呪術だ。


「キミがこんな怪我をしてしまったのは、ジブンのせいさ。すまないね……」

「いえ……オレの怪我なんて、いつものことなので」

「そんな怪我を負わせてしまった以上、隠すわけにもいかないね。ジブンは……世間では【死霊術士ネクロマンサー】と呼ばれている者さ」

「…………っ!」


 ぎゅ、と心臓を掴まれたような衝撃だった。

 【死霊術士ネクロマンサー】は、呪術の中でも最大の禁忌とされる「死者を操る術」を使うとされている。

 アンデッドやゴーストといった魔物を生み出し、意のままに敵を襲わせる。

 その戦力は手ごわく、そして何より非道極まりない。

 アンデッドは五体をバラバラにするまで動き、倒しても腐敗した肉が毒と疫病を周囲にまき散らす。

 ゴーストは術以外の有効な手立てがなく、屈強な戦士に取りついて発狂させ、同士討ちを誘発させる。

 彼らによって、滅亡した国もあるという。

 聖教会は【死霊術士ネクロマンサー】を邪神の使いと認定し、発見次第、討伐を行なってきた。

 【死霊術士ネクロマンサー】はもはや、魔物であると同義だ。


「今日、ジブンがしつこく忠告した意味が分かったかい? 久しぶりにヒトとゆっくり会話をしたせいで、つい世話を焼こうとしてしまったが……これ以上、ジブンに近づかないほうがいい」

「もう会わない、ということですか?」

「それもあるが……『こっちの世界』にさ」


 手を離したシロナが、親指で背後を指差す。

 カニバルコープスとシロナが戦った場所だ。


「己の可能性を探るのはいいことさ。だけど、選ぶ道を間違えてはいけない。太陽に照らされた道を、きちんと歩くことさ」


 重たい言葉だった。

 シロナが、今までどんな扱いを受けて生きてきたか。

 ジークがただの渾名で『死神』と呼ばれてきたことなど、比較にもならないに違いない。

 だが……噂や、物語に聞く【死霊術士ネクロマンサー】と、シロナの姿がどうしても重ならない。

 彼女が、本当に国を滅ぼすような魔女なのだろうか。


「いろいろとすまなかったね。あの男は、キミの街で何か問題を起こしたようだが、事後処理を任せてしまっていいかい? まあ、ついてきてくれと言われても、ジブンは逃げるけど」


 茶目っ気を見せるように笑って、すっと距離を取るシロナ。

 だがジークには、その笑顔がどうにも悲しそうに見えてしまう。


「もうここには来ないよ。追手を出されても面倒だから、ジブンのことは伏せておいてくれると助かるよ」


 そう言い残すと、シロナは駆け足で墓地の外の雑木林へ入っていった。

 ジークが彼女のために持ってきた荷物は、ちゃんと持っていってくれたようだ。


「つっ……まだ痛いな」


 身体の調子を確かめつつ、ゆっくりと立ち上がる。

 背中も腕も痛いままだが、骨折は治ったようで、何とか我慢して動ける程度だ。

 聖術とは違う方法で治療してくれたようだが……これも【死霊術士ネクロマンサー】の術なのだろうか。

 ジークは地面に転がった聖魔具を拾い集め、男のバッグに詰め直すのだった。

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