第三章 7話

「聖術を今から学ぶのは難しい、か」


 自宅勉強会の準備をしながら、ジークはつぶやく。

 信心はないし、何年も修行するような時間的猶予もない。

 そもそも、洗礼の儀で「素質あり」としてスカウトされた子たちすら、全員が聖術を覚えられるわけではないのだ。

 ジークが挑んだところで、可能性の「か」の字も見えないに違いない。

 そうなると、魔術のほうもあまり期待できそうにない。

 【魔術士ウィザード】は、洗礼の儀で素質を認められた後、魔術士ギルドに引き取られた子供が目指す。

 毎日、勉強と修練を積み、管理された環境の中で育てられるのだ。

 ただし、ギルド出身でない野良の【魔術士ウィザード】はたまに見かける。

 初級の魔術をかじった程度の、例えば冒険者の個人指導によって育ったヒトだ。

 魔術士ギルドの育成でないから覚えていることは少ないし、理論もすっ飛ばしている可能性が高いから応用があまり効かない。

 それでも【魔術士ウィザード】がいない初級冒険者パーティなどは、そうした野良でも欲しがる。

 戦力に大きな差が出るからだ。

 この野良の道ならば、ジークにも可能性は残されている。

 問題はツテと、かかる費用なのだが。

 残念ながらジークには知り合いの【魔術士ウィザード】はいないし、自身の悪名によって引き受けてくれそうな可能性も見込めない。


「じゃあ、さっそくよろしく頼むよ」

「こっ、こちらこそ、お願いしますっ!」


 夜になり、二ムとの勉強会が始まった。

 二ムは緊張しつつも、実に丁寧に、分かりやすく教えてくれた。

 ルーン文字をまったく知らないジークに教えるというのは、幼児にゼロから筆記を教えるようなものだと思うのだが、彼は嫌な顔ひとつせず指導してくれる。

 むしろ嬉しそうな、楽しそうな雰囲気さえ感じた。

 せっかく、彼が時間を割いてまで付き合ってくれるのだ。

 この時間を無駄にしないよう、ジークは集中して挑むのだった。

 そして、次の日。

 夕方になる少し前に墓地へ向かったジークは、女神像の前に座るシロナを見つけた。


「呆れたよ……まさか本当に来るとはね」

「オレの方こそ、少し驚いています。もしかしたら、来てくれないかもしれないと思っていたので」

「ちゃんと約束したろ?」

「じゃあ、オレもそうです。約束したので」


 ジークは抱える程度の荷物を、袋ごとシロナに手渡した。


「言われたものはすべて入っているはずです。確認してください」

「いや、見なくても分かるよ。ちゃんと入ってる」

「え……でも、チェックを」

「察しが悪いね。キミを信頼したってことさ」


 シロナは切れ長の目でウインクをしてみせてから、前と同じように隣を手でぽんぽんと叩いた。


「それで、今日は何の話を聞きたいんだい?」


 約束をした時点では「特にこれ」という議題はなかった。

 シロナの考え方や、神魔力に対する考察が新鮮で、なんでもいいから話を聞くことで自分の糧になると思ったのだ。

 だが今は、一つ聞きたいことがあった。


「実は昨日、この墓地は魔物が少ないという話を聞いたんです」

「ほう」

「他では、もっと魔物の発生率が高くて、アグロアーの墓地だけが極端に低い。それは、オレがここで『墓守』の依頼をしているからではないか、と言われて。もちろん、そんなことはないです。オレは普通に、言われたことをやっているだけで」

「指示通りに、きちんと物事をこなすのは、けっこう大変で、大切なことさ」

「……でも、そう言ってくれたヒトと別れた後で思い出したんです。シロナさんも、この墓場を見て『よく清められてる』って言いましたよね。そして『自分の実力に気づいていないのか』とも」


 ジークは体ごとシロナに向き直った。


「もし、オレに何か可能性があるのなら、教えて欲しいんです。どんなことでもいい。自分の中の何かを伸ばせるのなら……」


 シロナはしばらく空を見上げるようにしていたが、やがて小さく肩を竦めた。


「失言だったねぇ。キミが無自覚だったとは思ってなかったんだよ」

「やっぱり、オレに何かの才能が――」

「世の中には、手を出さないほうがいいものがある。例えば『呪術』だ」


 シロナの声が、硬くなっているのが分かった。

 少し浮かれかけていた心が、すっと冷えていくのを感じる。


「呪術って……遠方から人を呪い殺すっていう、あの?」

「殺すだけじゃない。体調不良を起こしたり、悪夢を見せて精神的に苦しめたり……そういうものも含めてさ。しかし、そういう呪術というものは、最初から呪術として生まれたものかな?」


 前と同じく、シロナは問いかけのような形でジークに話してくる。

 ジークは素直に、考えてみた。


「それは、まあ、ヒトを呪うための術なんですから……」

「ヒトを殺すなら、火炎の術で焼いたり、氷の刃で切り刻んでもいい。しかし、そうした術は、魔術の一つとされているよね」


 魔術の一つ、という言い方に、シロナの意図が隠れている気がした。


「……つまり、魔術と呪術は、まったく別のものではなく……後から区別されたものということですか?」

「さすがの察しの早さだ。キミは本当によく見えている」


 シロナは小さくほほ笑むようにして頷いた。


「使うべきではない、使ったら邪悪だ、という術を集めて、ヒトは『呪術』と呼ぶようにした。そうして悪いイメージを植え付けておけば、誰も自分から使おうとは思わないだろう?」

「でも、それは誰がそういう分類を?」

「時の権力者たちさ。まあ、理由はいろいろあるだろうね。単純に陰湿だというものもあるし、使用者が危険に陥るものや、生贄といった厄介な犠牲を払う必要があるもの、あるいは神を否定するような不遜なものなど……呪術の数ほど理由はあるだろうさ」


 ヒトが術の研究をしてきた歴史の一部が、そのまま呪術の変遷というわけか。

 つまり呪術とは、魔術や聖術といった体系の話ではなく、禁止された術の目録といった感じなのかもしれない。


「さて、ジークくん……キミは、そういう力に手を出しても、強くなりたいと願うかい?」

「え?」

「呪術を身に着けたら強くなれる、と言われたら、覚えるのかい?」


 ジークは息を呑んだ。

 それはまるで――英雄譚に出てくる、悪魔の取り引きのようだ。

 邪悪なものだと知りつつ、代償を差し出し、自分の欲望を叶えようとする。

 そんな登場人物の末路は、だいたい決まっている。

 ――破滅だ。


「オレに……呪術の才能があるって、ことですか」

「これは仮定の話さ。手を出さなければ何も起こらないし、何も知ることはない」


 ジークの想像以上に……シロナの持つ知識は深淵だった。

 自分が強くなるための、一筋の光のように見えていた彼女が、今は同時に、深い闇のようにも見えた。

 手を伸ばせば飲み込まれ、地の底へ堕ちていきそうな。

 シロナは何も言わず、じっと待っている。

 おそらくジークが視線を逸らし、身を引いた気配を見せれば、シロナもこの話を終わらせてくれるだろう。

 ……だけど。

 ジークは懐から、投擲用のナイフを取り出した。

 何万回と訓練してきたその武器は、自分の指先と変わらないくらいの繊細さで扱うことができると自負している。


「これは戦闘用のナイフですが、魔物や盗賊を狙うか、罪のないヒトを狙うかは……使い手によると思います」

「しかし、いくら『魔物を倒すためだけに使います』と言ったところで、普段から血に濡れたナイフを抜き身で持ち歩いてるヒトがいたら、信用できるかい?」


 シロナの言葉は淡々としていた。

 ジークを責めるつもりはなく、ただそう説明しているだけといった印象。


「周りは言うだろう。その武器を捨てろと。どうしても使うなら、街から出ていきなさいと。不安にかられたヒトが取り押さえようとしてくるかもしれない」

「でも、魔物を倒すために戦っていれば、いずれは――」

「顔見知りのヒトたちは理解してくれるかもしれないね。評判が広がれば、近所のヒトくらいは信用してくれるだろう。じゃあ、街のヒト全員がそうなるかい? 隣の町や村は? この国は? 隣の国は? あるいは呪術を特に危険視する聖教会のヒトたちは?」

「そこまで多くのヒトに認められなくても、オレは別に構いません」

「分かってないね。キミが守ったヒトたちは、信用してくれる。キミを守ろうとしてくれるかもしれない。でも、そうでないヒトから見たら、キミは危険な術に手を染めて、それを使う怪しい男さ。キミを守ろうとするヒトたちと、キミを排除しようとするヒトたちが出会ってしまったら……どうなる?」

「それは……」

 

 ヒトの歴史が証明している。

 異なる主張のヒトたちが互いに譲らなければ、いずれ衝突する。

 喧嘩、決闘、規模が大きければ戦争。

 ……決して、幸福な結果にはならないだろう。

 シロナは、どこか悲しそうな目で、小さく首を振った。


「……すまない、仮定の話を、ちょっと大きくしすぎたね」

「いえ……でも、血に染まったナイフを、隠し通せばよくありませんか」

「血まみれのナイフで得た功績すらも、隠すのならね。誰にも知られず、誰にも認めてもらえない。それはキミの目指す『英雄』ではないだろう?」


 今度こそ、ジークは言葉を失った。

 名声が欲しいわけではない。

 だが……ヒトが望んでいない力を、振るうことは正しいことなのか?

 ヒトが恐怖する力で魔物と戦う……それはすでに、魔物同士が戦っているのと、大した違いはないのではないか?

 暗澹とした気持ちが、胸の中に広がっていくのをジークは感じていた。

 強くなるということは、力を手に入れること。

 しかし……どんな力でもいい、というわけにはいかない。

 シロナが問いかけているのは、そういうことだ。


「さて……人生の先輩として、一つ忠告をしておこうか」


 話を切り替えるように、シロナは体毛に覆われた腕を突き出した。

 その腕に、シロナの神魔力が集まり、活性化していく。

 獣人の多くは『活性型』と『知覚型』に優れている。

 力強い神魔力の流れは、容易にその破壊力を想像させる。


「ジークくん、キミは、ヒトの身体に流れる神魔力が見えるね?」

「そりゃ、まあ、普通に……」

「普通ではないんだよ」


 すっ、とシロナの腕の神魔力が大人しくなる。


「普通のヒトは、他人の神魔力なんて見えないし、感じない。ヒトが出会った時、相手が『得られしものブレスド』か『持たざるものエンプティ』かは分からないんだ。だから洗礼の儀でも、専用の聖魔具を使うだろう?」


 どういうことだ?

 それでは、自分が感じ取っているこの感覚は、何だと言うんだ?


「まず、その感覚が特異だということは、理解しておいたほうがいい。誰かにその感覚のことを話したことは?」

「……ないですけど」

「ならば、そのまま黙っているといい。一歩間違えれば、呪術と等しく思われてしまう」


 にわかには信じがたい話だった。

 確かにジークは、他人の神魔力の流れが分かる。

 しかしそれは誰もが普通に分かることだと思っていた。

 例えば今のシロナのように『活性型』によって身体を動かそうとすれば、その部分に、あるいは全身に神魔力が膨れ上がる。

 それも「予備動作」として見ていたし、だからジークには、相手が攻撃に来るタイミングが分かるし、それが本気か、ただの脅しかも判断できる。

 むしろ、この能力も磨いて、少しでも強くなろうとしてきたのだ。


「……ちょっと待ってください。もしこの能力が普通じゃないなら、どうしてシロナさんはそれを知ってるんですか。誰か知り合いにこの感覚を持つヒトが……いえ、もしかしてシロナさんも」

「神魔力が見えるということは、魂が見えるということになるだろう?」


 ジークの話を遮るように、シロナは立ち上がり、アグロアーのある方向を見つめた。


「聖教会では、魂は存在すると教えている。しかし、信徒や司教、聖者ですら、魂を見たというヒトはいない。何故なら、魂は女神によって導かれるからさ。だから、魂が見えるとしたら、神の分身か、あるいは……邪神の申し子か」

「そんな極端な」

「そして聖教会は考える。何十年も神に尽くしてきた自分たちが見えない魂を、見えると言うヒトが現れたら……まして、干渉する力を持っているとしたら、それは神の子だろうか。いや、そんなはずはない……とね」


 ぞく、と鳥肌が立った。

 聖教会は、国を越えて大陸中に広く普及している。

 信者の数も圧倒的だ。

 そんなところに邪神、あるいは邪教徒扱いでもされようものなら、もはや生きる場所はないも同然だ。

 そしてふと、ジークは気付く。


「もしかして、シロナさんが街に行きたがらないのも――」


 そこまで言いかけて、口を閉じる。

 シロナが、静かに緊張していた。

 いや、どちらかというと――警戒だ。

 アグロアーのほうを見ていたのは、何かを思い出していたとか、ぼんやりしていたわけではなく、その方角に警戒するべき「何か」があると感じていたからか。


「ヒトだね」


 シロナがぽつりと呟いた。

 ジークにはまったく分からないが、そこはファンギア族の感覚で察知したのだろう。


「こちらに向かってくるようだ。焦っているというか、やけに疲労しているようだが、はてさて」

「……気をつけてください。以前、ここに盗賊が現れたことがあります」


 ジークはミドルソードの柄に手をかけて耳を澄ます。

 万が一、墓地に魔物が現れる可能性を考えて、木剣と聖水も用意しているが、今必要なのはそちらではないだろう。

 街道を通ってくるなら、シロナの向いている方向からは来ない。

 そこには雑木林の丘があり、あえて通ってくる必要はないはずだ。


「盗賊、ってことはないと思うよ。動き方が鍛えられていない。むしろ『得られしものブレスド』ですらない可能性もある」

「……『持たざるものエンプティ』がここに、一人で?」


 街の外を『持たざるものエンプティ』だけで移動するのは、自殺行為に近い。

 貧しいキャラバンが稀にそういう状況になるが、大抵は魔物か盗賊のエサだ。

 しかも、雑木林を移動する意味が分からない。

 もし何かに襲われて逃げるとしても、人が通る街道を外れるのは愚かな選択だ。

 姿が丸見えだったとしても、冒険者や兵士が少しでも通る可能性のある街道を使って逃げなければならないのは基本中の基本。

 それを無視して移動しているということは――


「だ、だれだ、あ、あんたら、は……」


 全身を上下させ、滝のような汗をかきながら歩いてきたのは、小太りの中年男性だった。

 容姿を見るに、ヒュームで間違いないだろう。

 背中には大きなバックパックを背負っているが、本人と同じくらい歪に膨らんでいる。

 

「我々はただの旅人さ。そちらは?」

「じゅ、獣人……なら、奴らとは関係、な、ないな」


 シロナの問いを無視し、息も絶え絶えに呟いて、男は力が抜けたように座り込んだ。

 がちゃ、と背中の荷物が鳴る。

 衣類や食料を詰め込んでいるわけではなさそうだ。


「アグロアーから逃げてきたんですか?」


 ジークの問いに、男は何度も頷いた。


「ええ、ええ。ワシは、商人をやっておるんですが……そこの街道で盗賊に襲われて、仲間たちと、散り散りになってしまって……」

「背中の荷物は、あなたの商品?」

「ええ、はい。……あ、もしや冒険者さんたちですか? なら、ちょうどいい、ワシの商品を買ってくれませんか。正直、これを持って移動するだけで、一苦労でして……ああ、いや、持ち合わせがありませんかな。では、ワシを、隣の宿場町まで護衛してくだされば、それを代金代わりでけっこうですので」


 商機と見たのか、男は多弁になって交渉を持ちかけてくる。


「アグロアーではなく、宿場町へ?」

「ええ。アグロアーから次の町へ、出発したばかりでして。納期もあるので、引き返している余裕もなく……あ、これなんかいかがでしょう?」


 男は座ったまま背中の荷物を下ろし、中から商品を取り出す。

 あまり馴染みはないが、見たことはある。

 聖魔道具だ。


「商隊に護衛はいなかったんですか?」

「いましたが、その、簡単にやられてしまいましてな……まったく、高い賃金を払ったのに、大損ですわ」

「なるほど……」


 ジークは頷きつつ、ミドルソードを抜いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る