第三章 6話
夜が明けた。
いつもの訓練場で体を動かし終えたジークは、家に戻り、朝食の準備を始める。
やはり家にいる時は、温かいものが欲しい。
湯を沸かしてオニオンスープを作り、パンを切ってバターを塗り、フライパンで軽く表面を焼く。
その間に野菜を切ってサラダを盛りつけ、パンを焼き終わったフライパンにソーセージを投入して転がす。
これで完成だ。
匂いにつられて起きてきた二ムが、慌てて準備を手伝ってくれた。
食事中、二ムはやけに感動した顔で幸せそうに食事をしていた。
ここまで喜んでもらえると、作った甲斐があったというものだ。
朝食を終え、それぞれ顔を洗って着替えたら、いつものギルド集合だ。
冒険者ギルドに四人で集まり、こなせる依頼があるかを確認するのである。
当然、他の冒険者たちも考えることは同じなので、かなりの喧騒だ。
中には依頼の取り合いで揉め始めるパーティもあるが、刃傷沙汰は重罪なので、大抵は口喧嘩をしつつも片方が諦めるか、コイントスなどで決着がつく。
「よっ」
「おはようございますっ!」
ウルウェンテとイルネスが揃ってやってきた。
依頼が張り出される掲示板から少し離れたところで、ジークは改めて挨拶した。
「おはよう、みんな。こうして四人が揃ったことを嬉しく思う」
「どうしたんですか師匠。何かの演説みたいな――」
イルネスが突っ込みかけて、気付いたようにメンバーの顔を見る。
「あっ、まさか!」
「ああ。二人とも、正式にパーティ加入を申し出てくれた。申請書も貰ったよ」
「やっ……たぁー!」
イルネスが片手を突き上げて喜びの声を上げる。
周囲の冒険者たちの注目を集めてしまったが、彼女の気持ちは分かるので、今回は大目に見ることにした。
「師匠、パーティも四人に増えたので、アレですよ、パーティ名を考えないと!」
「げっ、マジか」
ウルウェンテが嫌そうな顔をする。
パーティ名は、いわば通称で、冒険者ギルドの登録に必須というわけではない。
初級冒険者と言われる、結成一、二年くらいのパーティは、だいたいリーダーの名前を付けることが多い。
ジークたちなら「ジークパーティ」だ。
実績を積み上げて中級冒険者くらいになると、メンバーの入れ替わりやリーダーの交代なども起きてくるため、通称を付けて分かりやすくする。
マルフィアたちなら『疾風のマーメイド』だし、ボルグたちなら『レッドグリフォン』だ。
これらは店の看板のようなもので、自分たちの存在をアピールし、信頼を得る方法であるが、当然それに見合った実力は必要だ。
結成して間もない初級冒険者たちがいきなりパーティ名を名乗ったら、笑いものにされるのがオチである。
「オレたちにはまだ早いよ。だがまあ、その時が来たらイルネスが考えてくれ」
「お任せください!」
「ああいうの、何かハズいんだよなぁ」
「そういう気持ちも分かるが、一種の勲章でもある。オレたちもパーティ名を名乗れるよう、頑張ろう」
嫌がるウルウェンテにフォローを入れたが、逆に怪訝な顔をされてしまった。
何か変なことを言ったか、と自分の発言を振り返っていると、イルネスが早くも掲示板に向かっていた。
「私たちにピッタリの依頼はないでしょうか!」
「おい、変な依頼選ぶんじゃねーぞ」
イルネスの後をウルウェンテが追いかけていく。
その間に、ジークはニムと一緒に受付へ向かい、申請書を提出する。
手続きを終え、イルネスたちと掲示板を見て回ったが、今日のところは全員で受けられそうな依頼はなさそうだった。
「アタシ暇だし、この薬草採取行ってくるわ」
「私もそれご一緒します!」
「なんでだよ……まあ、その分多めに薬草取れば、追加報酬が見込めるか……」
「師匠はどうします?」
「オレはちょっと買い物の用事があるから別行動だな」
「じゃあボクはいつも通り、ルインさんの店でバイトします」
別行動で少し残念そうなイルネスたちと別れ、ジークは商店街へ向かった。
買い物とはもちろん、シロナの要件についてだ。
保存食と、包帯や消毒液といった治療品。
後は大振りのナイフだ。
このナイフは武器としてではなく、森で生活する場合に使うのだという。
なので、切れ味よりも頑丈そうなものを選んだ。
「はろー、今日はお買い物?」
振り返ると、行き交う人の流れの中からこちらに近づいてくる女性がいた。
マルフィアだ。
三十手前の中級冒険者で、肩口で切り揃えられた茶髪と額当てが特徴的である。
体躯はそれほど屈強そうには見えないが、優秀な「前衛」である。
「おはよう、マルフィア……と」
彼女の横には、別の女性が同行していた。
聖教会の祭服を来て、眼鏡をかけている。
「初めまして、ジークさん。私はリンディと申します」
水色の髪を頭の後ろでまとめていて、遅れ毛が首にさらりとかかっている。
首からは聖印を象ったペンダントを下げていて、豊かな胸元に乗っていた。
隣のマルフィアが少し驚く。
「あれっ、知り合いなの?」
「いいえ? お会いするのは初めてですよ」
「でも、ジークだってすぐ分かったじゃん」
「マルフィアがこんなに楽しそうに話しかける男性といえば、いつも話題に出てくるジークさんかと推測を――」
「ストーップ! そこまでにしようか!」
リンディと名乗った女性の口元を強引に抑えるマルフィア。
ずいぶんと仲がよさそうである。
とにかく、挨拶をしてくれたのだから、こちらも返しておくべきだろう。
「こちらこそ、初めまして。ジークと言います……ご存じのようですね」
「はい、それはもう。お噂はマルフィアからたっぷりと」
「だからストップだって!」
興奮しているのか、赤面するマルフィアと、微笑でそれを受け流すリンディ。
「ええと……リンディさんは、マルフィアのパーティメンバーですか?」
「ええ。【
ずれたメガネの位置を直しつつ、リンディは答えた。
マルフィアとはそれなりに会話をするジークだが、彼女のパーティメンバーとは顔を会わせたことがほとんどない。
メンバーとはシェアハウスで一緒に住んでいるらしいが、ジークがあまり行かない地区なので、出会う機会がないのだ。
――これはチャンスかもしれない。
「二人は、この後何か予定があるのか?」
「いや、これといってないよ。こないだまでちょっと遠征の依頼があってね。二、三日は休養に当てようってことで、ブラブラしようかなって」
「もしよかったら、カフェにでも行かないか?」
ジークの提案に、マルフィアは飛び上がる勢いで驚いた。
「ええっ! ど、どういうこと?」
「実はちょっと、聖教会……というか、はっきり言いうと聖術について知りたいと思っていて……あ、こういう興味本位な話が苦手なら、無理にとは言いません」
後半はリンディに向けて言う。
彼女にとってみれば、聖教会で長年研鑽を積み、身に着けた技術の一つだ。
信徒でもない者に興味本位で聞かれて、気分を害するかもしれない。
しかしリンディは、あっけらかんと頷いた。
「ええ、いいですよ。信徒になる多くの方は、聖術に興味があったり、術に助けられた経験があったり、といったきっかけで入信されます。遠慮は無用ですよ」
「それは助かります……どうしたマルフィア?」
「別にぃ。行くなら行こ」
釈然としない顔をしつつも、マルフィアは先導して歩き出す。
どうやら自分で店を決めてくれるようだ。
ジークはほとんどカフェを利用しないので、むしろ助かる。
「誘った側だし、ここはオレが持つから、好きなものを注文してくれ」
「ホント? じゃ、フルーツケーキセット」
「私は、紅茶とクッキーを」
店に入って席に着くなり、特に迷う様子もなく注文する二人。
常連なのかもしれない。
ジークもコーヒーを注文し、簡単に近況を報告しながら待つことしばし。
それぞれの注文が運ばれてきたので、本題に入ることにした。
「ええと、いきなり即物的な話ですが……聖術というのは、聖教会に入っていないと習得できないものなんでしょうか?」
「どうして聖術にご興味を?」
「まあ、ありきたりと言いますか……初級と言われる治癒の術だけでも、使えたら冒険の大きな力になると思ったんです」
「なるほど。真面目な気持ちでの質問のようですので、真剣にお答えしましょう」
メガネの位置を直したリンディは、紅茶で喉を湿らせてから言う。
「聖術を習得するためには、自身が『顕現型』の神魔力を持っている必要がありますが、もう一つ、必要なものがあります。それは『秩序』の理解です」
「それって『秩序と混沌』のこと?」
マルフィアが小さく手を挙げた。
ジークも耳にしたことがある。
とはいっても、それは神話というか「おとぎ話」レベルでのことだ。
女神が治める天界は「秩序」によって満たされ、魔神が支配する魔界は「混沌」によって常に争い続けている。
この地上は、その二つから漏れ出た「秩序」と「混沌」が混ざり合って生まれたという創世神話だ。
リンディは小さく頷いた。
「聖術は、女神様の力を借り受けて行使されるもの。つまり術者自身も『秩序』を体得しなければならないのです」
「それはいいけどさ、秩序って実際なんなの?」
ストレートなマルフィアの質問に、リンティは苦笑しつつ答える。
「それを学ぶのが【
「ふーん。じゃあ、その秩序ってのを悟らないと、いつまでたっても術が使えないってこと?」
「そうですね。信徒の中には、その理由で【
「なるほど……ありがとうございます」
結局「秩序」というものが何なのか、今ひとつ分からなかった。
精神的なものなのか、あるいは神魔力における性質のことなのか。
ただ、聖教会の活動を通じて体得できることであるなら、先天的なものではなく、努力で変えられる類のものかもしれない。
それでも「神の教え」を守ることが前提としてあるなら、ニムニリトが聖術への適正がなかったのも、頷けてしまう理由だ。
そしてジークも、神への信仰は薄い自覚がある。
他人が何を信仰しても自由だとは思うが、自分から聖教会に入ろうとは思ったことすらなかったし、命の危機に瀕して神に祈ったことも縋ったこともない。
――あれもこれも、というわけにはいかないか。
学ぶ意欲だけは高いつもりでいるが、努力や勉強だけでどうにかなる世界ではなさそうだった。
ジークの質問が一区切りついたのを察したのか、最後のクッキーを頬張ったリンディは、紅茶で丁寧にそれを飲み下してから、仕切り直すように口を開いた。
「では、私からも尋ねていいですか?」
メガネの奥の目が、鋭くジークを捉えていた。
「オレに質問ですか?」
「ええ。ジークさんは、よく『墓守』の依頼をされていると聞きました」
「そうですね、他にやりたがる人もいないので」
「そこで、何か変わったことはありませんでしたか?」
一瞬、シロナの顔が浮かんだ。
だが「珍しいヒトに会った」程度の情報を、彼女が欲しがっているとは思えない。
「変わったこと、というのは?」
「アンデッドやゴーストがよく出現するとか、その上位種を見たとか」
魔物関連の話か。
そういえばギルドのモルトーネさんも、最近いろんなところでアンデッド系やゴースト系が増えているという話をしていた。
墓地はそういった連中が湧きやすいポイントでもある。
「いや、見てないですね。アグロアーの墓地は平和な感じです」
実際、あの墓地でアンデッドと戦った経験は、ジークが携わったここ十年でも数えるほど。
とはいえ「数えるほど」のことは起きているわけで、決して油断はできない。
そのことは常に意識に置いている。
「それは……少し、妙ですね」
「あの墓が、ですか?」
「いわゆる『墓守』の依頼というのは、アンデッドやゴーストの発生を抑える役目も含まれていますが、その効果については気休め程度のものです。本来の仕事としては、発生した魔物を退治し、規模が大きければ応援を呼んで本格的に一掃する、といったものです」
「戦闘がメインってこと?」
「そもそも戦闘がない依頼なら、冒険者でなく町人や一般の兵士でも十分でしょう」
それはその通りだ。
冒険者などの『
魔物と戦う必要のない仕事なら『
「今までの研究で『
「それはオレも知ってますが……じゃあ、アグロアーの墓地から魔物があまり湧かないのは何故なんですか?」
ジークの質問に、リンディは答えなかった。
再び、あの鋭い視線が向けられる。
まるで詰問されているような雰囲気に、ジークはつい多弁になる。
「言っておきますが、オレは本当に掃除してるだけですよ? 墓に振りかけている聖水もギルドが用意してくれたものだし、冒険者としての実力もまあ、ご存じかとは思いますが」
「……不思議な方ですね、ジークさんは」
不意に、リンディがほほ笑んだ。
それまでの緊張した空気が緩む。
しかしジークは、彼女の質問の意味や態度の変化に理解が追い付かず、呆気に取られるばかりだった。
「私、ジークさんに興味が湧いてきました」
「ちょっ、ちょっと!」
マルフィアが慌てるように立ち上がる。
そんな彼女を無視して、リンディは静かに立ち上がるとジークに頭を下げた。
「今日はご馳走様でした。また今度、お茶をご一緒しましょう」
「え、ちょ、マジで!? 待ってよリンディ!」
さらりと歩いて行くリンディに、ドタバタとついていくマルフィア。
残されたジークは、冷めかけたコーヒーを一気に飲み干すのだった。
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