第三章 5話

 二日後にシロナと再会の約束をしたジークは、星が輝く時間にようやくアグロアーの街に戻って来た。

 夜間の出入りは基本的に、特別な許可がない限りはできないのだが、門番がジークと顔見知りだったこともあってこっそり通してくれた。

 謝礼に少々の銅貨を渡し、冒険者ギルドへ向かう。

 まだギリギリ開いている時間だし、モルトーネが心配しているかもしれない。

 墓地で魔物が現れたせいで遅れている、なんて思われてしまったら、大騒ぎになってしまう。


「あ、ジークさん、お帰りなさい」


 ギルドの待合ベンチに座っていたのは、ニムニリトだった。

 不意打ちの出会いに、一瞬固まってしまったが、すぐに我に返る。

 少年の顔から「決意」を感じ取ったからだ。


「ちょっと待っててくれ。依頼を終わらせてくるから」

「はい、大丈夫です」


 受付に向かい、モルトーネに遅れた理由を説明する。

 とはいえ「墓地に知らないヒトがいた」では少し不審な感じがするので、道中で昔の知り合いに会った、という内容に変更しておく。


「とにかく、ご無事で何よりでした」

「すみません、余計な心配をおかけして」

「こら。余計な、ではありませんよ?」


 わざと頬を膨らませるようにして、モルトーネが言う。

 何というか……優しい姉がいたら、こんな感じなのかと思う。


「……気をつけます」

「はい。ではこちらが報酬になります」


 お金を受け取り、書類にサインをする。

 ジークとのやり取りを終えたモルトーネは、片付けを始める。

 朝イチからいた彼女は夕方前には業務を交代するはずだが、もしかしてジークのためにずっと詰めてくれていたのだろうか。

 そう思うと少し申し訳なかった。


「……待たせたな」


 ベンチまで戻ると、二ムが立ち上がった。

 いよいよ、と本人も思っているのか、少し顔が強張っている。


「どこか、軽くメシでも行くか?」

「あ、いえ、ここで大丈夫です。ヒトもほとんどいませんし……」


 周囲を見渡すが、モルトーネの他には二人ほど片づけをしているヒトがいるくらいで、冒険者たちは誰もいない。

 ジークは頷いた。


「それで、答えは出たのか?」

「はい。これを……」


 二ムが鞄から取り出したのは、一枚の書類だった。

 ウルウェンテが渡してきたのと同じ、パーティ加入の申請書。

 ポジションは「補助」だ。

 冒険者になるのに、資格や試験は必要ない。

 実は、もっと言えば『得られしものブレスド』である必要もない。

 例えば『持たざるものエンプティ』でも、荷物運びとして同行するなら「補助」の役割を申請すれば通る。

 禁止されているのは偽証だ。

 魔物を倒したことがないのに討伐経験ありとか、使えない術を使えるとか、そうした嘘の書き込みは重いペナルティが課される。

 また『持たざるものエンプティ』なのに「前衛」を申請するなど、どう考えても危険すぎる場合は、受付で却下されるだろう。

 仮に申請が通っても、誰も相手にしてくれず、依頼もほぼ受けられない。

 書類を手にした二ムは、それを胸の前で持ちつつ、じっとジークを見上げた。


「渡す前に一つ、確認したいことがあるんです」

「……ああ。できる限り答えるよ」

「ジークさんが、ボクを助けてくれたのって……過去のことがあったからですか?」


 十五年前のことを聞かれると思っていたジークは面食らった。

 いや、しかし、まったく関係ない話でもないか……。

 ジークは記憶の焦点を、十五年前からつい先日の頃まで引き戻す。

 その時、思ったことを正確に掘り起こしていく。


「……まったく影響がなかったとは、断言できない」

「そうですか……」


 しゅん、と視線を落とす二ム。

 彼の求めている答えとは違ったのだろう。

 それでもジークは、正直に話すと決めている。


「ただ、いつかは十五年前のことを話さなきゃいけないとは思っていたけど、その罪滅ぼしのためにとか、そういうことを思って助けに向かったかといえば、違うと思う」

「え……」

「偶然に二ムを人さらいから助けて、付き添って話をする内に、すごい子だと思って……」

「すごい、ですか?」

「あの時も話したと思うけど、夢に純粋に挑戦する勇気とか、それを続けている努力とか……尊敬というのかな。そう思ったんだ」

「尊敬なんて、そんな……」

「いや、本当だ。だから、二ムが連中に捕まって、一度は逃げ出したけど……そのまま見捨てるとか、諦めるとかはまったく思わなかった。どうやって二人を助けようか、それだけ考えてたな」


 ――結局、一人は救えなかった。


 あの瞬間、ジークがもっと早く動けていたら。

 またウルウェンテに小言を言われそうだが、考えてしまうものはしょうがない。

 救えた命、救えなかった命。


「二ムだから、助けたいと思った……それ以外のことは考えてなかったよ」

「本当ですかっ?」


 二ムが、ぱっと顔を上げた。

 その顔は、すっきりしたような、嬉しそうな表情をしていた。

 ぐっとジークに書類を突き出しながら、少しだけ視線を伏せる。


「ボク、考えたんです。今のボクじゃ、ジークさんのパーティに入っても、大した貢献はできない。もちろん、これから冒険者の仕事を一生懸命覚えるつもりですが、どうしても最初は足を引っ張っちゃうと思うんです」

「それは……仕方がない。誰もが初心者から始まるんだ」

「はい。でも、もしジークさんがボクの過去に同情とか、後悔を感じていて……罪滅ぼしのためにボクを仲間に入れてくれたのなら、それは嫌だなって。ちゃんと自分の力でパーティに……ジークさんに貢献したいと思ってます」


 少年は再び視線をジークに戻した。

 それはいつもの、おどおどした様子ではなく、固い意志を持った一人の男だった。


「だから、最初は迷惑をかけると思いますが……対等の仲間として扱ってくれるなら、ボクを仲間に入れてくださいっ!」


 それは、ニムニリトのプライド。

 ここで「いいのか?」なんて答えるのは野暮だ。

 彼は十五年前のことを知った上で、懸命に考えてこの結論を出した。

 後は――こちらが、受け入れる覚悟があるかどうか。

 シロナと話す前なら、躊躇ったかもしれない。


「もちろんだ、ニムニリト。改めて、よろしく頼む」

「は、はいっ!」


 緊張と興奮で赤面しつつも、二ムは満面の笑みを浮かべた。

 ふと視線を感じて振り返ると、モルトーネと他二人の職員たちがジークたちを見て、ほっこりした顔をしている。

 ……他に人がいない状況でこれだけ喋っていれば、そりゃ注目されるか。

 気恥ずかしくなって、二ムの渡してきた申請書に視線を向ける。

 特技の欄には「ルーン刻印術」と書いてあった。

 気になったので聞いてみる。


「この『ルーン刻印術』というのは?」

「あ、はい、分かりやすく言えば、聖魔具に刻まれたルーン文字のことです。ルーン文字を刻み込んで、術として効果を発揮させるんです」


 つまり【聖魔具士クリエイティ】にとっての必須技能だ。

 術というと、どうしても呪文を唱えて発動させる魔術や聖術をイメージしてしまうが、聖魔具に刻まれたルーン文字も術の一つ、ということか。


「……やっぱり変ですか?」


 ニムが心配そうな顔で呟いた。


「何が?」

「ルーン刻印術は、聖魔具の職人が覚えるものなので……たぶん、冒険者として役立てられる場面はほとんどないと思います。多少、聖魔具に詳しくて、その場で解読できるとか、その程度しか……」

「それは……」


 ジークは返答に窮する。

 確かに、ルーン刻印術を覚えているからといって、例えば魔物との戦いで役に立つかと言われれば難しいだろう。

 戦闘の最中、呑気にルーン文字を彫り込んでいる時間はない。

 仮に時間があったとしても、聖魔具を作るには様々な道具や材料がいる。

 それらを依頼の旅先にすべて持ち運ぶなど非現実的だ。

 だが、逆に考えることもできる。

 冒険者にルーン刻印術を使える者はいない。

 それは……活かすことができれば、大きな武器になるのではないか?

 ジークの中で、何かが閃くのを感じた。


「なあ、二ム……提案なんだが」

「なんでしょう?」

「オレに、ルーン文字を教えてくれないか」

「えっ?」


 少年が目をぱちぱちと瞬かせる。


「ダメか?」

「いえ、別に教えるのは構いませんけど……ジークさんは『前衛』ですよね?」

「ちょっと思うところがあってな。二ムさえ嫌じゃなければ、教えて欲しい。もちろん授業料も払うよ」

「いえ、そんな、お金なんてなくてもジークさんになら教えますけど……ボクの知っていることなんて、基本的なことくらいですよ?」


 その言葉が謙遜であることをジークは知っている。

 いや、もしかしたら本人は心からそう思っているかもしれないが、その知識は間違いなく、本職に迫るものだ。

 だからこそ、本職の持つ知識を、無料で教えてもらうというのは気が引けた。

 ジークは再び閃く。


「よし、じゃあこうしよう。二ムがオレの家に引っ越して、一緒に住むんだ」

「ふえっ!?」

「そうすれば家賃は浮くし、朝食はオレが用意する。仕事が終わって家に帰った後の時間で、余裕がある時にオレにルーン文字を教えてほしいんだ。もちろん、他に依頼や仕事があって時間が取れない時や、疲れている時は中止で構わない」


 咄嗟の思いつきだが、これ以上ない提案に思えた。

 二ムの毎日の宿代と朝食代を指導料とすれば、二ムも受け取りやすいだろう。

 そして家に帰って暇な時に教えてもらうというスタンスなら、たとえ僅かな時間でも勉強することができる。

 とにかく今は、吸収できるものは何でも学びたい。

 まるで十代の頃の知的好奇心が甦ったような感覚だ。


「でっ、ででででで、でもっ」


 しかし二ムのほうは、顔どころか指先まで真っ赤になりながら視線を彷徨わせている。


「何かまずいことでもあるのか?」

「い、いえっ、そのっ、まずいというかまずくないというか、ど、どどっ、どう……せぃ……」

「冒険者パーティがシェアハウスをするのは珍しくない。中級冒険者とかになると、拠点となる町に大き目の家を建てて住んでいるケースも割とあるんだ」

「そ、そうです……か」


 湯気を幻視するほど頬を染めた二ムは、何度か深呼吸をした後、大きく頷いた。


「じゃ、じゃあ……ボクで、よければ」


 そう答えた途端、ジークの背後で黄色い悲鳴が聞こえた。

 見ると、モルトーネと若い女性職員が手を取り合って興奮している。

 視線は間違いなくこちらを見ているから、今のやり取りを聞いていたのだろうが……そんな声を上げるような話だろうか?

 底辺のジークがパーティを組んだどころか、同業者と一緒に生活するようになって、成長を喜ぶ親のような気持ち……か?

 なんにせよ、居心地の悪い状況なので、二ムの手を引いてギルドを出る。

 若い女性職員らしき「がんばってー」という声が聞こえたが、言われなくても頑張るつもりだ。

 自分に残された現役時間は短い。


「荷物はどのくらいある?」

「ふぇっ、え、ええと、増えたのは毛布一枚と、手拭い二枚くらいで、いつでも家を空けられるようには心掛けてますけど……」


 それはジークが教えたことだ。

 冒険者は頻繁に家を空けるため、高価なものや、処分に困るような家具などは買わず、どうしても必要なら「貸し家具屋」からレンタルすること。

 幸い、二ムはまだ家具のレンタルまではしてないようだった。


「じゃあ、今から片付けに行こう。その足でチェックアウトして、オレの家に引っ越しだ」

「えええっ!」

「少しでも早いほうが賃料も浮くし、問題ないだろう?」

「きゅ、急展開すぎて……心の準備が……」

「突然の依頼でいきなり出発することもあるんだ。慣れていこう」

「そ、そういう話では……」


 フラフラとよろめく二ムを時折支えながら宿に向かう。

 まったく新しいことを学べるチャンスに、浮足立っている自覚はある。

 普段の自分なら、もう少し慎重に事を進めたかもしれない。

 それでも、今の勢いを大事にしたいと思った。

 宿につき、二ムニリトの部屋へ。

 イルネスやウルウェンテも同じ宿なので、顔を合わせたら手伝ってもらおうと思ったが、すれ違うことはなかった。

 一時間もかからない内に荷物をまとめ終わり、一階カウンターの店員にチェックアウトを頼む。

 二人で荷物を抱えて、そのままジークの家へと向かった。

 以前に一度、家に泊めたことがあるため、勝手は分かるだろう。

 そう思っていたが、二ムはずっとそわそわしていて、落ち着かない様子だった。

 嫌がっている様子ではないが、さすがに強引すぎたかもしれない。

 結局その日は勉強会はなしにして、簡単な夕食をとった後、すぐに就寝することにした。

 二ムには前と同じ空き部屋を使ってもらう。

 少年はどこか申し訳なさそうな、それでいて少し嬉しそうな顔をしていた。

 

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