第三章 3話

 朝がやってきた。

 いつもの早朝訓練を、ギルドの訓練場で行なう。

 大怪我を負ったばかりなので、無理せず、慎重に身体を動かしていく。

 ミドルソードの間合いにも慣れてきたが、やはり長年使ってきたロングソードとは重さが違うため、攻撃力が落ちている気がしてならない。

 ジークの実力では、気にしても仕方ないレベルの差異かもしれないが。

 先日のオークだって、ロングソードならば手傷を追わせられたかと言えば、答えはノーだろう。

 訓練方法を見直したほうがいいかもしれない。

 特に、盾を活用する練習は、一人ではどうしようもない。


 ――またマルフィアに頼むか?


 浮かんできた考えを、すぐに首を振って追い出す。

 彼女は中級冒険者だ。

 ジークが申し出れば引き受けてくれるかもしれないが、拘束時間分の報酬を払う財力がない。

 以前に盾技能を教えてもらった時は、彼女に負い目があったので、その罪滅ぼしという側面もあって無償で引き受けてくれた。

 だから、その件での貸し借りはこれで終わり。

 これ以上彼女にものを頼むのは、弱みに付け込むことになる。


「ジークさん、お疲れ様です」


 考え事をしながら冒険者ギルドの受付に向かうと、モルトーネが応対してくれた。

 いつもの淑女然とした佇まいに、穏やかな笑顔が似合う。

 彼女と会話するだけで癒されるという男性冒険者も多いとか。

 訓練場の使用許可証を返し、そのついでに昨日の申請書を渡す。

 それを受け取ったモルトーネは、記載された名前を確認し、驚きから、徐々に華やいだ笑顔に変わった。


「おめでとうございます、ジークさん!」

「そんな大げさな――」

「いいえ、これは素晴らしいことですよ。真面目に依頼をしてきたジークさんを、ちゃんと見てくれる人が増えたってことですから」


 この街に来て十年ほど経つが、彼女は最初の頃からここで働いていた。

 ジークがずっとソロでいたことも、「死神」と陰口を叩かれ、冒険者たちから疎まれていたことも知っている。

 彼女に自分の夢を語ったことはないが、ギルド職員への勧誘を断り、未だにソロ冒険者を続けていたことから、何らかの事情を察してくれていたのだろう。


「まあ、その……ありがとうございます」


 少し照れ臭くなって、視線を逸らしながら言う。

 確かに、いいことではある。

 ジークの夢を叶えるためには、一人ではどうしようもない。

 いつか英雄になる――そんな途方もない夢に、一歩ずつでも近づくために。


「頑張ってくださいね。そういえば話は変わりますが、嘱託の依頼があるんですけど……」

「ああ、そろそろですね」


 すぐにピンときて相槌を打つ。

 ほとんどジークが専属になっている「墓守」の依頼だ。

 だいたい月に一回、集団墓地を清掃し、アンデッドやゴーストの類がいたら倒すか、応援を呼ぶ。

 ジーク以外にこの依頼が回らないのは、労力の割に報酬が安いため、誰もやりたがらないからだ。

 退治よりも清掃がメイン。

 墓石を一つずつ、すべて洗うのはけっこうな労働だ。

 墓地の場所も街から少し離れた丘にあるため、気晴らしもできない。

 底辺冒険者のジークには貴重な収入源なので、むしろ優先して紹介してくれるのはありがたい限りだ。

 だが、モルトーネは少し遠慮しているようだった。


「……お願いしてもいいんですか?」

「それはもちろん」

「せっかくパーティメンバーも増えたのに、こんな依頼を……」


 ああ、とジークは納得した。

 墓守の依頼報酬は安く、ソロで引き受けても渋いくらいだ。

 せっかくメンバーが増えて意気揚々としているであろうジークに、こんな依頼をさせてしまうのは申し訳ない、といったところか。

 ジークは微笑みで返した。


「気にしないでください。オレはこの依頼、嫌いじゃないので」

「……ありがとうございます。最近、アンデッドやゴーストがよく出るという話がギルド各支部から回ってきていて……この付近では今のところ聞かないですが、十分に注意してくださいね」

「了解です。何か異変があったら、すぐに報告します。今日は予定もないですし、さっそく行きますよ」

「来月には、年に一度の『浄化の祈祷』がありますので、今回の依頼は軽くでいいですよ」

「そういう訳にもいかないでしょう。仕事だし、いつも通りやりますよ」


 『浄化の祈祷』は、文字通り、聖教会の司祭たちによる祈祷だ。

 ただ祈るだけではなく、聖術によって墓地全体を清め、アンデッドを湧きにくくする処理も行なう。

 アグロアーのような『得られしものブレスド』が大勢眠っている墓地では、こうした措置が取られているのである。

 モルトーネの持ってきた依頼書にサインをして、依頼用に支給される聖水瓶を袋に詰めてもらう。

 イルネスたちが来るかもしれないので、伝言も頼んだ。


「いってらっしゃいませ」


 モルトーネの聖母の微笑みに見送られ、ジークはアグロアーを出発した。

 この街の墓地が離れた場所に作られているのは理由がある。

 小さな村や町であれば、近場に墓地を作り、専属の墓守が世話をすることが多い。

 しかし、アンデッドやゴーストが墓地に生まれやすいことを考えると、本来は危険だ。

 アグロアーのように街から離してしまえば、万が一アンデッドたちが生まれてもすぐにはヒトに被害が及ばない。

 欠点があるとすれば、こうして清掃に来るのに時間がかかるのと、盗賊に墓荒らしをされやすくなるといったところか。

 ただ、住民側もそれは承知しているので、普通は高価な副葬品は控える。


「さて、始めるか」


 数時間かけて墓地にやってきたジークは、小さなため池から水を汲み始める。

 普段なら、特に何を考えることもなく黙々と作業をしていくところだが、今はどうしても頭に浮かんできてしまうことがある。

 オークとの無様な一戦。

 そしてニムニリトの過去。

 ウルウェンテには「くだらない正義感」だと言われてしまったが……そう割り切れるほど、ジークにとって簡単な話ではなかった。

 自分はこの程度、と割り切ってしまえるなら、今から英雄を目指そうなどと公言はしない。

 モルトーネが勧めてくれたようにギルド職員になり、結婚して家庭を――持ちたいかは考えたこともなかったが、とにかくアグロアーで堅実に生きる道を選んでいただろう。

 でも、そうじゃない。

 自分が望んでいる「自分」は、そうじゃないんだ――

 手元で、ミシ、と音がして我に返る。

 自分の世界に入り込み過ぎて、力が入ってしまったようだ。

 危うく墓石にヒビを入れそうになり、慌ててチェックする。

 田舎では「墓石を傷つけると故人が呪いをかける」なんていう話もある。

 ジークはそれをあまり信じていないが、それでも墓石は家族が思いを込めて建てたものだ。

 簡単に壊していいものではない。

 石にヒビや欠けた部分がないことを確かめて安堵し、立ち上がって腰を伸ばす。

 ぐるぐると悩んでいる内に、大部分の掃除を終えていた。

 来たときは昼前だったのに、すでに空は夕焼けに差し掛かっていた。

 凝り固まった体をほぐそうとあちこち動かしていると、視界に何かが入った。


 ――ヒトだ。


 すぐさま動きを止め、息を殺してゆっくり身を屈める。

 場所が場所だけに、リビングデッドかと思ったが、そのヒトは薄手のコートとフードを被り、墓地の中央にある女神像を見上げているようだった。

 祈りを捧げているようには見えず、ただじっと見ているだけのようだが……何をしているのだろう?

 ジークの位置からは後ろ姿しか見えないので、種族までは分からないが、背はかなり高く、やや細身か。

 盗賊ならこんなところでぼーっとしている意味はないし、バックパックがないから旅の冒険者でもなさそうだ。

 街の住民だとしたら、今から帰ると夜になるので道中が危険だ。

 声をかけるべきか、それとも相手が気付いていない内にそっとここを離れるべきか――


「すまないね、驚かせてしまったみたいで」


 落ち着いた女性の声とともに、コートの人物がゆっくり振り返った。


 ――獣人だ。


 顔の輪郭はヒュームに近いが、鼻と口がわずかに前に長い。

 肌は短い体毛で覆われ、頬から数本の長い毛がピンと伸びている。

 フードの端からはウェーブのかかった銀色の髪がこぼれ、襟元にかかっていた。

 目は鋭く細いが、その奥の瞳は落ち着いていて、穏やかさを感じさせる。

 敵意は感じなかったので、ジークは最低限の警戒だけ心に残してゆっくり立ち上がった。 

 話しかけられてしまった以上、無視するわけにもいかない。


「じゅ――」


 獣人ですか、と口にしそうになって、慌てて飲み込む。

 あまりいい意味で使われないからだ。

 ずっと昔、彼らは魔物に近い存在として迫害されてきた歴史がある。

 聖教会も「獣人は魔物から生まれた存在」と、根拠のない主張をしてきた時期もあった。

 今では、その誤解も訂正され、偏見も薄れている。

 それでもヒューム中心の街では獣人はあまり見かけない。

 アグロアーでもそうだ。

 一定数の獣人の冒険者はいると聞いたことがあるので、国や地域によって違うのかもしれない。


「気まで遣わせてしまったかな。紳士だね」


 先端の黒い鼻を小刻みに震わせつつ、女性が歩み寄ってきた。


「ジブンはファンギア族さ。名前はシロナ」


 ファンギア族というのは、獣人の中でも牙に特徴のある種族だ。

 動物で言えば、犬や狼の特徴を有している。

 自分のことを「ジブン」と呼ぶのは、ここから遠い南東の国の癖だったはずだ。

 シロナと名乗ったファンギアの女性は、フードを外してから手を差し出してきた。

 その手も顔と同じく、うっすらと白い毛に覆われている。

 ウェーブした銀髪の髪がよく似合っていて、ジークの感覚でも美人と思えた。


「名のある冒険者とお見受けするけど、よければ教えてもらっても?」

「これは……失礼しました。オレはジーク。この先のアグロアーを拠点にしてます」

 

 握手をしながら答えると、シロナは何度か瞬きをした後、首を回すように空を見上げる。


「ジーク……ふむ、ジーク……」


 どうやら名前に心当たりがあるかどうか、必死に思い出そうとしているようだ。

 「名のある冒険者」と言ったのは、単に相手の名前を聞き出すための社交辞令かと思っていたが、どうやら本心からそう思っての言葉だったようだ。


「……すまない、この歳になると物覚えが悪くてね。せっかくのいい名前をジブンは記憶していないようだ」

「そうなんですか? そんな年齢には見えませんが」

「これでも五十を過ぎたのさ。とはいっても、ジブンもファンギアの端くれ、体力では若いヒュームには負けないよ」

「はは、そうですね。きれいな髪をしていますし、とてもお若いです」

「おや、口がお上手だね。これは泣かせている女性も多そうだ」


 くくっ、と嫌味なく笑うシロナに、ジークもつられて笑みを浮かべてしまう。

 獣人は総じて、肉体的なピークが長く続く傾向がある。

 エルフもある意味ではピークは長いが、それは二百年を越える長寿からくる、緩やかな加齢のせいだ。

 一方で獣人は、ヒュームと平均寿命は大差ないのに、老化の傾向が顕著に表れるのは六十代に入ってからが多い。

 現にシロナの外見も、ヒューム基準で見ると、とても五十代には見えない。


「どうしてオレを、名のある冒険者だと思ったんですか?」


 シロナは微笑んで、ジークの胸元に指先を伸ばしてきた。

 つん、と触れたのは、首から下げている認識票だ。

 冒険者であるという証明にも使われる。


「あ、いや、そっちじゃなくて『名のある』の方を聞きたかったんですが……」

「ふむ……」


 ジークの質問に、シロナは周辺をぐるっと見渡した。


「よく手入れされた墓地だと思ってね」

「え?」

「見事に清められている。いつもキミが管理しているのかい?」

「管理、という意味では領主になりますが……まあ、実際に清掃に来るのは、だいたいオレですね」

「そうだろう。素晴らしい腕前だ」

「墓を掃除する腕前とか、あるんですかね」


 冗談気味に返したつもりだったが、シロナは少し驚いたような顔を見せた。


「何を言ってるんだい。きちんと霊が抑えられているじゃないか」

「まあ、それが目的で清掃をしているわけですけど……」


 墓守の仕事は清掃だけではなく、仕上げに聖水を振りかけることで完了となる。

 これが魔除けの効果となり、アンデッドやゴーストを発生させないようにする――らしい。

 魔除けの信憑性はジークには分からないが、もし霊が抑えられているとしたら、それは聖水のおかげだろう。

 ジークは除霊術や退魔術など覚えたこともない。

 どちらも【聖術士セインティ】や【除霊士エクソシスト】の領分だ。


「キミは、自分の実力に気づいていないのかい?」

「……自分で言うのも何ですが、オレは底辺冒険者ですよ。仲間を……何人も死なせているから『死神』なんて呼ばれてます。もしかしたら、オレの名前を聞いたことがあるのって、これじゃないですか?」

「ふむ……これは完全にただの勘だけど、さっき掃除をしながらイライラしていたのは、そのへんの話と関係があるのかい?」


 シロナは墓石を指差しながら言う。

 危うく墓石を壊しかけてしまった瞬間を見られていたようだ。

 返答に詰まるジークを見て、シロナが穏やかな笑みを浮かべる。


「どれ、これも何かの縁だ、話してみるといい。他言はしないと誓おう」

「いや、さすがにそれは」

「さあさあ。ちょうどあの女神像の台座が腰かけやすそうだね」


 シロナはジークの手を掴むと、強引に歩いて女神像まで引っ張っていく。

 体力うんぬんの言葉通り、有無を言わせぬ力だ。

 さっと台座に座ったシロナは、すぐ隣をポンポンと叩く。

 今までジークについて興味を示し、話を聞こうとしてきたヒトは何人かいた。

 たいていは無視するか「噂は事実だ」とだけ言えば引くか諦めるかしてくれたので、ここまで踏み込もうとしてくるヒトに会ったのは初めてだ。

 仲間のイルネスやウルウェンテにも詳細までは話していない。

 比較的仲のいい冒険者のマルフィアは最初から何も尋ねてこなかった。

 まるで気心の知れた友人のように挨拶し、近況を語り合い、それだけ。

 居心地のいい距離感を保ってくれていたから、逆に友人関係のような間柄を続けられたのかもしれない。


「さっきも言いましたけど……オレは、仲間を死なせているんですよ?」


 ジークは立ったまま、戸惑いながらも問いかける。


「ふむ」

「オレは『前衛』なんです。守るのが仕事で……自分だけが生き残るなんて、あっちゃいけない。『死神』なんて渾名も、そんなオレを軽蔑する意味でつけられたんです」

「ほう」

「シロナさんも――」


 言いかけて、言葉に詰まる。

 シロナの表情は相変わらず穏やかで、目にも侮蔑や嫌悪はまったく含まれていない。

 再びポン、と自分の隣を叩かれてしまったので、ジークはため息をつくと、少し離れた隣に座ることにした。

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