二章 第19話
砦内部は、予想以上に広かった。
外壁を回り込んでいた時から、かなりの距離を走った感覚はあったが、規模は砦というより小規模な城に近い。
これだけの砦を建てたのなら、かなりの激戦地だったはずだが、アグロアーの近くにそれほどの『
おそらく百年前の『降魔大戦』時か、それより古いものだろう。
「……ジーク、風の流れがある。おそらく地下だ」
「脱出口とは違うか?」
「かなりカビ臭ぇし、湿度もある。アタシは地下だと思うが、どうする?」
「行こう」
もともと地図も手がかりもない。
ウルウェンテがそう判断したのなら、迷う必要はない。
この砦がクォルトによって改装され、秘密の取り引きに利用されていたとするなら、地下は当然隠蔽するだろう。
今、カビ臭い空気が流れているとすれば、その地下への入り口が開いているということだ。
敵襲で混乱の最中にあって、わざわざ地下へ行く理由は、そこに運び出さなけばならないものがあるという証左である。
それが捕らえたヒトか、金か、取り引きの証拠かは、行ってみないと分からないが……
「あたり、というわけか」
ジークの呟きに、視線が集まる。
地下への階段を下りてすぐ。
通路は広く、横に四人程度は並んで立てる幅がある。
通路の左右には壁で仕切られた鉄牢が並んでいた。
天井には小さな『ライカ』があり、周辺をぼんやりと照らしている。
その右側、一番奥の入り口を開けようとしていた男たちが、作業を中断して身構える。
「また、あんたか」
そう呟いたのは、忘れるはずもない、ドワーフの工房に押し入ってきたクォルトのリーダーだ。
あの時は少し軽薄そうな印象を受けたが、今は笑みも見せず、ジークを鋭い目つきで睨んでいる。
苛立たしげにショートソードを二本同時に抜き放ち、睥睨する。
「何故、俺の邪魔をする? ガキの誘拐、工房、そして今……貴様は疫病神か?」
相手は三人。
薄暗くてよく見えないが、おそらく誘拐未遂の時のメンバーだろう。
こいつらを倒さねば、二ムたちを助けることはできない。
どれだけやれるか分からないが――
「違うな」
言葉を返しつつ、前傾姿勢になって力を溜める。
左半身の姿勢になるついでに、ショートソードを持つ右手の指先を動かして腰に触れる。
ベルトに吊り下げてある小型の『ライカ』にスイッチを入れ、紐を外す。
乾いた音がして、光を放つ『ライカ』が固い床に転がった。
「オレは……『死神』だ!」
床の『ライカ』を正面に向かって蹴り飛ばす。
ガラガラと独特の音を立てながら光源が転がり、男たち三人を奥から照らす。
ジークはすでに走り出していた。
視線誘導になればと思ったが、さすがに距離があり過ぎた。
リーダーはすでに意識を切り替え、ジークを迎撃すべく前に出る。
右からの斬撃!
左に動いてそれをかわし、続いて左からの攻撃を盾で受け止める。
クォルトとヒューマンの膂力の差か、幸いにもこちらを防御ごと圧し潰すような力はないようだ。
もしこいつがヒューマンの『
とにかく、攻撃を止められたならチャンスだ。
「シッ!」
だが、ジークが剣を突き出そうとする前に、かわした最初の剣が下から跳ね上がってきた。
慌てて突きを止め、刀身で受け止める。
ジークはしゃがんで足払いを仕掛けるが、垂直にジャンプして回避される。
リーダーが空中で二刀を逆手に持ち替え、落下の勢いのままに串刺しにしようとするが、ジークはこれを後ろに跳躍して避けた。
「死神を名乗った割には、そんなもんか?」
リーダーの軽口に、ジークは答えずに構え直す。
ヒト相手に実戦をするのは数えるほどしかない上に、初めて対戦する二刀使い。
……分が悪い。
剣戟のぶつかり合いならほぼ同等だが、相手の方が素早い。
相手は鎧を来ておらず、おそらく鎖帷子を着込んでいる程度なので、刃が当たれば傷を負わせることはできそうだが……そもそも攻撃に転じられるか。
す、とリーダーの後ろに男二人が並び、構える。
一対一でも苦しいのに、相手が三人ともなれば、撃破どころか逃げることさえ不可能だ。
――ならばせめて時間を稼ぎ、組長派の誰かが来てくれるのを待つか?
その考えがよぎった時、リーダーが仲間に指示を出した。
「エド、ここはいい。そっちの続きをやれ」
呼ばれたクォルトは一瞬だけ視線をリーダーに向けると、すぐに牢の鍵へ取り付く。
――まずい!
ジークは即座に飛び出した。
すぐにリーダーが対応して前に出る。
「どけ!」
「ハハッ、やっぱりあのガキとジジイを助けに来たのか! 正真正銘の馬鹿だな!」
ジークが剣を振りかぶるより早く、リーダーが時間差で左右の突きを放つ。
盾とショートソードで弾くことはできたが、続け様に突きを放たれ、じりじりと後退させられる。
その時、左側に気配を感じた。
もう一人のヒューマンの男が、回り込んで横から襲い掛かってきたのだ。
ショートソードの刃が迫る――
「うらっ!」
後方からウルウェンテが叫ぶ。
それに気づいた男が、飛び退りながら剣を振った。
金属音がして、地面にナイフが転がる。
「アタシの存在を忘れんなよ、下っ端ども」
「何が下っ端だ!」
リーダーの男が激高した。
「貴様らが邪魔しなければ、俺はもっと上へ行けたんだ。このドワーフを見つけたのも、偽装を思いついたのも俺だってのに……!」
恨みがましい目で睨みつけてくる。
そうしている間にも、後ろの男が牢の鍵を外し、扉に手をかけた。
――時間がない!
ジークは覚悟を決め、神魔力を一気に燃焼させた。
そして盾の端を掴むと、円盤のように思い切り投げつけた。
「くっ……」
リーダーが一瞬体を屈めようと動きかけたが、すぐに止めてショートソードを十字に構えて受け止めた。
回避しては、後ろの男の邪魔になると思ったのだろう。
片手の剣で打ち落とせるダガーでは、こうはいかなかった。
「しゃあっ!」
すぐにジークは間を詰め、両手で構えたショートソードで突きを放った。
十字に構えた状態では、この突きを弾くことはできない。
――はずだった。
リーダーは十字の中心をジークの突きに合わせると、交差するタイミングで腕を真上に振り上げた。
同時に、突きが角度を変えられ、リーダーの頭上を通過する。
「なっ――」
身体の伸び切ったジークの膝に、リーダーの蹴りが叩き込まれた。
革のレッグガードが砕かれ、骨が軋む。
折れてはいない――いや、ヒビは入ったか。
喉まで上がってきた悲鳴は奥歯で噛み殺したが、激痛と同時に抜けていく足の力まではどうしようもなかった。
膝から崩れ、バランスを失って床に手をつく。
「ジーク!」
ウルウェンテが叫ぶが、彼女は別の男と切り結んでいて、こちらへの支援は期待できない。
――死が、脳裏をよぎる。
今ここで自分が死ねば、ウルウェンテも、牢の二人も無事では済まない。
駄目だ。
諦めるな。
――最後まであがけ!
「死ね!」
頭上から声がする。
片足が動かず、立ち上がることも、横に跳ぶこともできない。
ならばいっそ、と床に転がる。
反転して床に背を預け、ショートソードで受ける姿勢を取った。
ガギギッ!
振り下ろされた二刀を同時に受け止める。
辛うじて即死は免れたが、次の攻撃はどうにもならない。
一呼吸後には終わりだ。
何か手は――
頭上に、リーダーの足が見えた。
そう気づいた時には、ジークの左手は自分の懐に伸びていた。
投擲用ダガーを抜くと、その足に向かって腕を振り上げる。
ほとんど偶然だった。
ダガーがリーダーの脛当てと靴の隙間、足首の関節へと突き刺さる。
攻撃直後ゆえに全体重が乗った軸足を、刃が深々と抉った。
「ぐあああ!」
リーダーが後ろへ下がる。
ジークは上体を起こそうとしたが、膝に走る痛みで足が動かせない。
ショートソードを捨て、上半身の力で再び横へ半回転。
革の鎧が邪魔になったが、何とかうつ伏せ状態に移行する。
神魔力を両腕に集中し、腕立ての要領で体を跳ね上げる。
動く右足で何とかバランスを取り、立ち上がることができた。
だがすでに、敵は次の行動に移っていた。
鬼の形相で、ジークと同じような姿勢で立ちながらも、片手に持ったショートソードをジークの頭に振り下ろしていた。
ジークは無防備。
片手で踏ん張りも効いていない斬撃だが、どこに当たろうとも大きなダメージになる……と踏んだのだろう。
頭上へと迫るその一撃を、ジークは冷静に見つめていた。
一秒も経たない内に、額が割れ、頭蓋骨が砕かれる。
だが――遅い。
マルフィアとの訓練で浴びてきた攻撃のほうが、ずっと鋭く速かった。
ジークは左手に力を込める。
盾はない。
受け止めることも、受け流すこともできない。
とすれば、最後の一つ。
拳を握りしめ、迫る剣の腹を思い切り殴りつけた。
刃の軌道が逸れ、鎧の右肩部分を砕く。
皮膚をわずかに裂かれたが、骨には届いていない。
驚くリーダーに向かい、ジークは二本目のダガーを抜き、隙だらけの首へ刃を突き込んだ。
手持ちの武器はこれで最後だ。
「うが……!」
ぐっと一度体重をかけて抉ると、ダガーを両手で引き抜いた。
まるで間欠泉のように、鮮血が真上に向かって噴き出す。
リーダーの手からショートソードが落ちる。
傷口を押さえようとしたのか、わずかに腕が上がりかけるが、すぐに脱力して膝から崩れ落ちた。
血だまりを作りながらぴくぴくと痙攣していたが、やがて動かなくなる。
「貴様、よくも!」
すぐ横から、もう一人の男が迫ってきた。
激情にかられたか、あるいは手負いのジークから始末しようと考えたのか。
我を忘れた愚かな選択だった。
「アタシを舐めんじゃねーよ」
その男の背中に、ウルウェンテがぶつかった。
男がくぐもった悲鳴を上げる。
ウルウェンテのサバイバルナイフが、男の背中に食い込んだようだ。
男は呪詛のような呟きを漏らしていたが、ウルウェンテが容赦なく二度目、三度目とナイフを繰り返し突き刺すと、やがて男はその場に倒れた。
まだ、終わってはいない。
ジークが視線を檻の中に向ける。
そこには、予想もしていなかった光景があった。
ドワーフのダイアモンが、クォルトの首を両手で掴んでいたのだ。
手首を縛られた状態ではあるが、足は片方が鎖に繋がれているだけのようだ。
「……見くびるなよ、コソ泥の若造が」
クォルトは必死に手足を動かしてドワーフに打撃を入れようとするが、ダイアモンは顔を蹴られてもまったく意に介さない。
その両腕が一回り大きく盛り上がったかと思うと、ごぎゅ、と耳障りな音を立てて何かが潰れ、クォルトが一気に脱力した。
口からは血を、股間からは糞尿を漏らしたクォルトを雑に投げ捨てて、ダイアモンは息を吐いた。
「ダイアモンさん、よかっ――」
檻越しに声をかけようとして、絶句する。
ダイアモンの胴体には、深々とショートソードが突き立っていた。
「せっ……先生ぇ!」
ニムニリトが恐怖に震えながら悲鳴のように呼び掛ける。
ウルウェンテが慌てるように牢の門を潜り、ジークも足を引きずるようにしてその後に続く。
「おい、オッサン」
「……いや、いい」
手を貸そうとするウルウェンテに首を振り、尻もちをつくように座り込む。
ショートソードは、刃の半分以上が腹部に刺さっている。
この状態で、クォルトをくびり殺したというのが信じられない。
「せん、先生は……ボクを、庇って……っ」
鎖を引きずるようにして、ダイアモンの前にやってくる二ム。
ジークはその手の紐をナイフで切りにかかるが、あの男の血で滑ってなかなか進まない。
「どうせ、あのままじゃ二人ともお陀仏だ。そんなら、死ぬ数は少ねぇほうがいいだろ」
か細い声で呟くダイアモンの口から、血が滴る。
ジークが腰の鞄から『ポーション』の小瓶を取り出し、ダイアモンに差し向けようとするが、それも押し返された。
「無駄遣い、するな……見て分かるだろ?」
『ポーション』は聖魔道具の一つで、治癒の聖術が込められているが、その効果は術と比べてかなり低い。
それでも咄嗟の痛み止めや軽い気付けとして使えるため【
「ボクが……聖術を、使えたら……」
顔を歪ませるニムニリトに、ドワーフは頬を緩ませて皮肉げに笑った。
「ワシは、職人として道を踏み外した。ワシの粗悪品に苦しめられた人たちのことを思えば、当然の報いだ。助かる気もない」
ダイアモンはジークを見上げた。
「ワシの身体には触るな。この腹の剣もな。それと、もうないかもしれんが、工房にあった聖魔具の素材はすべて換金して、ワシの道具を使った被害者に……がふっ」
血の塊を吐き出す。
もう……長くはない。
ダイアモンは視線を二ムに戻すと、その頭にポンと手を置いた。
「お前には、職人の腕はなかったが、飛び抜けたコレがある。お前の夢を叶える方法は、職人だけじゃない。忘れるな……」
二ムは夢中になって頷く。
それから再びジークに顔を向けた。
「……頼む……と、言えた義理じゃ、ないが……」
囁くような声でそう言うと、顔と腕からすっと力が抜けた。
二ムニリトはその腕に抱きつき、押し殺すような声で泣き続けた。
ジークは開封したままの『ポーション』を見つめると、気持ちを切り替えるようにぐっと飲み干す。
「……鍵を探そう。オレはこいつを」
「了解。アタシはあっち二人だな」
ウルウェンテと手分けして、二ムの足枷の鍵を探す。
しばらくして、リーダーの持ち物から無事に鍵が見つかり、ニムニリトを解放することができた。
ダイアモンの身体は、遺言通り、そのままにすることにした。
本当は、遺体を連れて帰ってやりたかったが、まだ作戦は終わっていない。
組長派が勝利するとは限らないし、仮に優勢でも、地下に敵が逃げ込んできたらおしまいだ。
一刻も早く撤退する必要がある。
「……ジークさん、手伝います」
「そうか、助かる」
ジークが膝を包帯で固定していると、二ムが手を貸してくれた。
関節は砕けていないので、テーピングの要領で膝を固定してやれば、少しは歩きやすくなるはずだ。
余った包帯の端を切ると、その切れ端で二ムの涙を拭ってやる。
「あ……」
「行くぞ。ダイアモンが助けてくれた命を無駄にしないためにも」
「……はいっ」
二ムが力強く頷いたのを見て、ジークも気合を入れる。
ウルウェンテを先頭に、ジークは二ムの手を借りながら階段を登る。
幸い、誰にも出くわすことなく正面の門までたどり着いた。
他の敵はすでに外へ出たか、裏口で交戦しているのかもしれない。
「師匠、こちらですっ!」
イルネスが駆け寄ってきた。
普通に考えれば、正門から物資を搬入するのだから、道もそこから伸びているに決まっている。
彼女の顔を見れば、無事に道の安全は確保できたのだろう。
後は、徒歩で最寄りの村まで行けるかどうか。
体力と、持ってきた食料がもつことを祈るのみだった。
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