二章 第18話

 僅かな月明りが頼みの、暗闇の森。

 ジークたちはその森を、急ぎ足で進んでいく。

 とはいえ、松明や『ライカ』を使うわけにもいかないので、どうしてもスピードは出ない。


「師匠、走らなくていいんですか?」

「オレたちはパーティとして実戦経験も、戦闘訓練も足りていない。暗く、足場の悪い場所を走りながら、まともな連携が取れるとは思えない」

「なるほどです」


 もしかしたら、山育ちのイルネスや『補助』のウルウェンテは問題ないのかもしれないが、ジークはまず無理だ。

 不安定な地形に足を取られて隙を晒し、二人にフォローされる状況しか想像できない。

 ……それに、イルネスの胸の病もある。

 おそらくイルネスは、自分でそのことに気づいているが「私のことは気にしないでください」と伝えたかったのだろう。

 だが感情論を抜きにしても、イルネスを早々に疲れさせ、戦力外にしてしまうわけにはいかない。

 彼女の戦闘力なしでは、生きて帰ることすら困難だろう。


「ウルウェンテ、敵の配置は分かるか?」

「……ダメだ。アタシの『察知』では把握できない」


 悔しそうに返事をする。

 走り始めてから、彼女はフードを脱ぎ、素顔を晒している。

 少しでも情報を聞き逃さないようにするためだろうが、それでも駄目か。

 いや、そもそも相手はクォルトだ。

 『補助』が本領の相手に、探索や隠密で敵うはずもない。

 せめて矢が飛んでくる方向やその瞬間だけでも分かればマシなのだが――

 そんなことを思った、その瞬間。

 ウルウェンテが、小さく息を吸い込むのが分かった。

 ジークは半ば本能で、左腕の盾をわずかに上へと上げる。


 ガキッ!


 鈍い音と、小さな衝撃。

 角度を変えた矢が、正面の足下へと突き刺さった。


「……すげぇじゃねーか、ジーク」


 ウルウェンテが驚いている。

 だが今のは彼女のおかげだ。


「ウルウェンテ、もう一歩分、オレたちに近づいてくれ。それと今の、これからも頼む」

「今のって何だよ?」

「矢の跳んでくる瞬間、分かったんだろ? そのまま警戒を続けてくれ」


 歩きつつ首だけ振り向くと、ウルウェンテは不思議そうな顔をしつつも「分かった」と頷いてくれた。

 ウルウェンテが、息を呑み、緊張した瞬間がジークにも伝わってきた。

 正確には「神魔力の緊張」が分かったのだ。

 彼女とはほぼ毎日のように顔を合わせているし、その神魔力の流れもよく見ていた。

 だからこそ、些細な変化も感じ取ることができる。

 ウルウェンテが「危ない!」と声を上げてからではとても間に合わないが、彼女が感じた危機を即座に感じ取ることができれば、ほぼタイムラグなくジークも反応することができる。

 ……とはいえ、今の防御はかなり偶然に助けられたが。

 再びウルウェンテの緊張。


「はっ!」


 今度はイルネスが、右方向から飛んできた矢を苦も無く弾き返していた。

 やはり目立つジークたちを、敵も狙い始めたようだ。

 また右から矢が飛んできた。

 方向が同じなので、射手も一緒なのだろう。

 これもイルネスが叩き落とす。

 と、遠くで枝葉を揺する音が聞こえ、次いで何かが地面に落ちる音がした。


「……射手を殺ったようだぞ」


 ウルウェンテが言う。

 組長派の部下たちが、こちらへの攻撃を手掛かりに射手を倒してくれたようだ。

 きっちり囮を有効活用しているようで心強い。


「師匠、スピードを上げましょう」

「いや、それはさっきも――」

「殺気が広がってます。たぶん、敵が私たちだけじゃないって気づいたんじゃないでしょうか」

「ただの冒険者が近づいてきただけかと思ったら、射手がやられたことでもっとヤバい状況だって連中が気付いたわけだな」


 ウルウェンテが補足する。

 もしそうだとしたら、敵は組長が仕掛けてきたことに気づいていなかったことになる。

 それは奇襲成功でもあるが、同時に相手を焦らせる原因にもなりうる。

 組長にとっては問題ないだろうが、人質の救出を目的とするジークたちにとってはよくない状況だ。


 ――くそ、そこまで考えが回らなかった。


 いや、こちらが焦ってどうする。

 本来なら、混乱が始まると同時に砦内部に侵入したかったが、こうなってしまっては時間がものを言う。


「……よし、走ろう。ただしペースを上げすぎるな。オレが先頭、ウルウェンテが殿だ」

「了解です!」

「あいよ」


 返事を聞くと同時にジークが地面を蹴る。

 射手が気付かれて撃退された時点で、敵も安易に弓矢を使うわけにはいかなくなっただろう。

 加えて、三回の射撃をすべて防いでいるため、こちらに対して有効な攻撃手段ではないとも思っているはずだ。

 敵が兵士なら威嚇や牽制で撃ち続けるかもしれないが、暗殺や搦手が主な戦法であるクォルトたちなら戦い方を変えてくるだろう。

 そしてその予想通り、弓矢による攻撃は止んだ。

 落とし穴やロープトラップが仕掛けられていたらどうしようもないが、気にしている時間はないので祈るしかない。

 周辺では、剣戟の音も鳴り始めている。

 囮として動き始めたジークたちだが、今は逆に組長派たちが囮となっているような状態だった。

 妨害もトラップもなく、目標である二又の木を通り抜け、先へ走る。

 イルネスの呼吸が激しくなってきたあたりで、うっすらと人工物の壁らしきものが見えてきた。

 いよいよだ。

 走るスピードを落とし、呼吸を整えつつ早歩きに切り替える。


「ここだな……」


 木々の間を抜けると、そこに無骨な砦は鎮座していた。

 岩と石膏を組み合わせた斑模様のような外壁は、頑強さを微塵も失っていないように見える。

 高い位置に窓や矢狭間が見えるが、さすがに灯りはついていない。


「イルネス、お前はここに残ってくれ」

「えっ!?」


 イルネスが、心底驚いた顔をする。

 彼女が反論を始める前に、ジークは説明する。


「オレたちが走ってきたのは道のない森だ。だがここが砦である以上、道は必ずあるはずだ。それを探してほしい」


 砦とは拠点であり、防衛施設だ。

 休憩だけでなく、籠城するためにも、備蓄された食料や武器がある。

 そして、それを運び込むための道も。

 ニムたちを救出した後、再び森に飛び込んで遭難するわけにはいかない。

 運よく組長たちと合流できればいいが、例えば副組長を逃がしてしまった場合などは、追跡するためジークたちのことは放置されるだろう。


「でも……」

「逃げ道は、誰かが確保しておかなければならない。もし、そこを敵が抑えに来たら、撃退してほしいんだ。イルネスなら、それができる」


 説明されても、まだイルネスは不満げな様子だった。

 自分の手で直接助けたいという気持ちはよく分かる。

 ジーク自身がそうだからだ。

 しかし、この三人で今、できる最善を考えなければならない。

 それが彼女にとって辛い選択になろうとも。

 ジークは口を開いた。


「ここから先、砦に侵入したら走り続けることになる。防御聖術も妨害魔術もないオレたちが、矢の的になるわけにはいかないからな。追手からも逃げなきゃならない」

「あっ……」


 ようやくイルネスは、ジークが何を言おうとしているのか理解したようだった。

 どうして自分が、退路確保の役割に回されたのかも。


「さっきも言ったが、逃げ道の確保は、戦闘力が高くないとできない。もしオレがそれをやろうとしても、敵が二、三人いたらもうお手上げだ。イルネスにしか、できないことなんだ」


 自分の能力でできること、できないこと。

 たった三人だが、だからこそ役割は適切に割り振る必要がある。

 ウルウェンテの索敵能力も、クォルトにずっと劣るとはいえ、ジークたち『前衛』に比べればはるかに優秀だ。

 逆に戦闘力はジーク以下なので、彼女に退路確保を任せるのは論外だ。

 イルネスは唇を噛むようにぐっと口を噤んでいたが、やがて力強く頷いた。


「分かりました、退路はお任せください!」

「頼む。万が一、夜明けまでにオレたちが出てこなかった場合は撤退しろ。組長からのコンタクトもない場合、どこか遠くの街へ行くか、国外へ脱出しろ。いいな」

「そっ――」

「あくまで最悪のケースの場合だ。オレたちも危険だと判断したら一時撤退するから安心しろ。ではいくぞ……!」


 イルネスの返事を待たず、ジークは飛び出した。

 後ろからウルウェンテがついてきていることだけを目で確認した後、左右に切り返しながら砦壁面へ接近を試みる。


 ドッ!


 すぐ足下を矢がかすめ、地面に突き刺さる。

 射手を見ている余裕はない。

 すぐ左へ小さく跳び、数歩走ってから再び右前方へ進路を変える。

 二本目、三本目と、散発的に矢が飛んでくるが、それだけだ。

 一斉射撃でもなければ、進路を誘導しようという意図も感じられない。

 森の騒がしさに気づいて慌てて持ち場についた見張り、といった対応か。

 まだ付け入る隙はありそうだ。

 壁までたどり着き、隙間が空いていないことをざっと確認してから背中をつけて一呼吸入れる。


「正門は空いていると思うか?」

「さぁな。廃棄された砦って言ってたから、優秀な奴なら見かけはそのままにして内装だけ手を入れるだろ。ハンパなビビリなら頑丈な扉を付けて守りを固める」

「……よし、正面へ回ろう」

「あいよ」


 大きく三回ほど深呼吸した後、再び走り出す。

 通常、こうした砦は正門と、脱出用の裏口がある。

 もし敵が混乱して、慌てて逃げ出す者が現れたら、脱出するため裏口に集まる可能性がある。

 正面は防衛しやすいようになっているはずだが、さっきの矢を見ても、まだ体勢が整っていないはずだ。

 壁から少し距離を置き、砦を回り込むように走る。

 ジークに砦攻めの経験はないため、すべて伝聞や書物での知識でしかないが、壁際を走ると落とし穴や頭上から投石、熱湯などの餌食になる恐れがある。

 かといって離れすぎると矢が飛んでくるので、両方に注意しながらつかず離れずを心掛ける。

 幸い、どちらも食らうことなく、正面に回り込むことができた。

 ウルウェンテの言った通り、扉は修繕されておらず、開いたままになっている。

 アグロアーの城門ほどではないが、荷車が余裕で通れるほどの広さだ。


「……通路脇、左右に二人!」

「了解!」


 ジークはショートソードを抜き、左手の盾を胸元に構えながら走る。

 普段はロングソードを装備しているのだが、救出のため屋内に入ることを想定したので、あえてショートソードを持ってきた。

 こちらも過去に訓練を積んだことがあるので、扱いに問題はない。

 入り口に向かって真っすぐ突っ込むと、左右の死角から武装した二人が飛び出してきた。

 右は槍を持ったヒューマン、左は弓を持ったクォルトだ。

 中距離と遠距離の組み合わせで、ショートソードのジークと相性は最悪だ。

 槍の男が、ジークたちの姿を見てニヤリと笑う。

 自分たちの有利に気づいて、倒せると踏んだのだろう。

 かすかな油断――そこに付け込むしかない。


「ウルウェンテ!」


 ジークは叫びつつ、わずかに左に寄って上半身を倒す。

 後ろを追走していた褐色エルフの姿に、槍の男の視線が一瞬、移った。

 ウルウェンテに攻撃などの作戦は伝えていない――ただのブラフだ。

 瞬間、ジークは体内の神魔力を一気に燃焼させる。

 才能のないジークは、総合的な出力はまったく大したことはない。

 だが「瞬発力」だけは、長年の訓練によって磨くことができた。

 直前までとは違う急加速での接近に、槍の男が驚く。

 穂先をこちらに向けようと動くが、その先端を横から盾で殴りつける。

 右利きの槍の場合、左手を前にして構えるが、この場合、左側の敵を突くのは比較的簡単だが、右側の敵を攻撃するには体を一度引くように捻じる必要があるためわずかに時間がかかる。

 ジークはその隙を狙い、ギリギリで槍の範囲内に踏み込むことができた。

 そのまま体当たりのように体を密着させ、胸の中心をショートソードで突く。

 貫通させる必要はない。


「ごっ……」


 男の短い断末魔を耳にしつつ、弓のクォルトを見る。

 クォルトは体格的に大型の弓は扱えないため、どうしても威力の低い小型を扱うことになる。

 その分、矢に毒を仕込んで殺傷力を上げるパターンが多い。

 射られるわけにはいかないが、こうして敵と密着していれば、誤射を恐れて攻撃をためらう可能性がある。

 クォルトは撃たなかった――が次の行動は迅速だった。

 即座に弓を捨てると、手にした矢を持って接近。

 直接、矢じりをジークに突き立てようと振りかぶる。

 咄嗟に盾を構えるが、クォルトはしゃがみ込み、足を狙ってきた。

 避けようのない攻撃。


「おらぁ!」


 ウルウェンテがクォルトの頭を真横から蹴った。

 鉄板で補強されたつま先がクォルトのこめかみを砕き、首が妙な方向に折れる。

 勢いのままに地面に倒れたクォルトは、二度と起き上がってくることはなかった。


「……助かった」

「悪くない連携だったな。急に名前呼ばれた時はちょっとビビったけど」

「それも含めて、助かった」


 アドリブに対応して、呼吸を合わせてくれたウルウェンテには感謝だ。


「んで、どうすんだ?」

「見張りがいるってことは、組長派はまだ外か、裏口から入ったか……」

「中で暴れてくれるまで待つってのも……あ、いや……始まったみたいだぜ?」


 ウルウェンテは親指を入り口の奥へと向ける。

 ジークには何も聞こえなかったが、それならこちらも急ぐしかない。


「通路での交戦は避けたい。気配を察知したら教えてくれ」

「やってみる」


 ショートソードの血を簡単に拭い捨ててから、奥へと走り出した。

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