二章 第16話

「ルインさん、大丈夫でしょうか……」


 イルネスがぽつりと呟いた。

 ジークたちは今、路地裏から次の目的地に向かっているところだ。

 大丈夫というのがどれを指すのか分からず黙っていると、ウルウェンテが気楽に返事をする。


「何とかなるんじゃねえの?」

「でも、店は続けられそうにないって……」

「そりゃ自業自得だろ。ヤバイと思ったもんに手出して、失敗したんだからよ」

「そうかもしれませんけど……」


 イルネスもそれは分かっているのか、言葉を続けられずに下を向く。

 気持ちは分からなくもない。

 ルインが冒険者のことを考えて仕事をしていたのは事実だろう。

 そうでなければ、冒険者の間で評判になることはないし、個人商店とはいえ修繕だけで食っていくのは難しかったに違いない。

 これまでのように、修繕と中古販売のみを手掛けていれば「冒険者に定評のある小さな店」のままでいられただろう。

 だが、ルインの目標はもっと先にあった。

 店を大きくしようと欲を出して、リスクのある商売に踏み切って……地雷を踏んでしまった。

 そういう意味ではジークも同じだ。

 英雄になるという分不相応な夢に手を伸ばし、リスクを取って、いつか敗北するかもしれない。

 むしろルインと比べても圧倒的に失敗する可能性が高い。

 そしてそれはウルウェンテの言うように「自業自得」と言われて終わりだ。

 だから、ジークから言えることは一つしかなかった。


「もしルインが再起した時は、応援してやろう」

「……は、はいっ!」


 イルネスが、少しだけ嬉しそうな顔をして、大きく頷いた。

 ルインが商人として道を踏み外したのなら、償いはするべきだろうと思う。

 それでも、彼が生きるため、あるいは夢のためにもう一度頑張ろうと考えたならば、応援するくらいはしてやりたい。

 もちろんボルグのように、彼の売った偽装聖魔具のせいで被害を被った人たちもいるので、簡単ではないだろうが。


「……そろそろだな」


 路地裏を抜けて、貧民区へ。

 道が荒れ始め、傷んだ住宅が目につき始める。

 三人が向かっているのは、リトルズギルドだった。


「ジーク、本当にいいんだな?」


 ウルウェンテの言葉に、ジークは小さく頷いて答えた。

 それから足を止めて、イルネスに向き直る。


「じゃあ、打ち合わせの通り、イルネスはここで待っていてくれ」

「はい……でも、本当についていかなくていいんですか?」

「今回はオレとウルウェンテが受けた依頼の話だからな。オレたちの実力では不安かもしれないが」

「いえ、師匠の腕に不安はありませんが」

「じゃあ、待てるな。スリには気をつけろ。物乞いも相手にするな。油断したらナイフで刺されるぞ」

「分かってますよぅ……」


 口ではそう言いつつ、顔は実に不満げだ。

 彼女の実力と隙の無さなら心配ないだろうが、妙な同情心が湧く可能性もある。

 しっかり注意事項を言い含めておいてから、イルネスを少し離れたところで待機させ、ジークとウルウェンテはリトルズギルドの門を潜った。


「……げっ、お前ら」


 受付にいた小柄な男が、ジークたちを見るなり顔をしかめた。

 それから慌てて居住まいを正し、後ろの扉を振り返る。

 数秒そのまま固まり、誰も出てこないことが分かると、冷や汗と共に脱力した。

 顔はあまり覚えていないが、前回来たとき、ひと悶着あったクォルトの男で間違いないだろう。


「……今日はどんな御用で?」


 張り付けたような作り笑いで言うクォルトに、ウルウェンテが小さく噴き出す。

 男のこめかみが怒りでぴくぴくと動いたが、それでも言葉にはせずにジークの返事を待っている。


「組長と話がしたい。予約はしていないが『例の件』と伝えてくれ」

「……分かった。そこに座って待っていてくれ」


 受付の男が扉を開くと、そこには組長が立っていた。


「イヒッ!」

「まあ赤点ギリギリだが合格だ。次はその滝のような汗は出さずに応対しろよ。……あと変な悲鳴上げるな」

「汗は組長のせいだと思うぜ……」


 ウルウェンテがどこか疲れたような声で突っ込みを入れる。

 素っ頓狂な悲鳴を上げたまま固まっている受付男を横に押しのけて、組長が手招きする。

 ジークはウルウェンテに目配せをしてから組長に従って奥へ進んだ。

 ――ここからが勝負だ。

 前回と同じ、組長用の談話室へと通され、ソファに腰かける。


「んで、例の件についてだが、情報を掴んだのか?」


 前置きもなく、組長が本題を突きつけてくる。

 ジークは小さく息を吸い込んで、腹の底に力を込めた。


「そうです。ですが、それを話す前に、副組長の活動拠点を教えてください」

「あん?」

「副組長が利用している拠点を、分かっているだけ全て。難しいなら、大人数が入れる施設のある場所だけでもいい」


 組長の目が、恐ろしいほどに鋭くなる。

 一瞬後には、喉にナイフが突き刺さっていてもおかしくないほどの殺気。

 背中から汗が滲み出してくるのが分かる。


「……確かに、奴の調査を依頼したのは俺だ。だが、何のためにてめえらに依頼を出したのか、理由は分かってるな?」


 ひりつく空気の中、ウルウェンテが頷く。

 緊張で少し唇が震えていた。


「組長の調査だとバレないように、だろ。副組長の尻尾は掴みたいが、自分が不利になるような危険は冒したくない。だから底辺のアタシらを使い、捨て駒のつもりで依頼を出した」

「それをてめえらも承知したはずだ」


 ジークが口を開く。


「ええ。ですが事情が変わりました。俺たちの仲間が、副組長の手下に拉致されたんです」

「……ほう。それで?」


 続きを促す、というよりは「だから何だ」というような声だ。

 組長が、副組長の情報を漏らすことはない。

 その情報を辿られて、自分の関与が知られることを恐れているからだ。

 リトルズギルドにとって、幹部の活動拠点など、機密中の機密といってもいい。

 どんな条件であっても、漏らせるはずのない情報だ。

 ……普通ならば。


「オレが受け取る報酬、覚えてますよね?」


 ジークの望む情報を二つ、提供してくれるというものだ。


「まさか、先払いでよこせってんじゃねえだろうな」

「そのまさかです」

「…………死にてえのか」


 ――呼吸が、止まった。

 

 慌てて自分の首筋に手を当てる。

 どこも斬られていないし、血管も脈打っている。

 震える唇を開き、大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。

 今、本当に殺されたかと思った。

 それほどの殺気を、組長が向けてきたのだ。

 役者が違う。

 ジークも長年、冒険者をやってきたが、命の危機を潜り抜けたのは数えるほどしかない。

 対して目の前のクォルトは、裏の社会で生き延び、上り詰めてきたのだ。

 表に出せない犯罪行為も、一つ二つではあるまい。

 ふと横を見ると、顔に脂汗を浮かべたウルウェンテが、不安そうにこちらを見ていた。

 彼女のこんな表情は、初めて見るかもしれない。

 ジークは必死に気を取り直し、組長に視線を戻した。

 狼狽した姿を見せたのは失敗だったが、諦める訳にはいかない。


「オレが持ってきた情報は、あなたにとってそれだけの価値があるはずだ」

「いいか、クソ底辺冒険者」


 組長が、口汚い言葉を使いつつ身を乗り出す。


「てめえが持ってきた情報を、俺は精査する必要がある。てめえの情報が間違いだったら、俺は勘違いで組織のナンバーツーを吊るし上げようとした間抜けだ。受付のクソをやるのとは違う。しくじれば、すべてを失うのは俺だ」

「……でしょうね」

「てめえの情報を精査し、奴がクロなら俺の手で始末をつける。その後でなら、考えてやる」

「それでは遅い」


 全身のあらゆる場所にナイフを突きつけられているような感覚に耐えながら、ジークはしっかりと声を出す。


「オレたちは、副組長に捕まったニムニリトを救い出したい。あなたたちに任せてしまったら、口封じで殺されてしまう可能性がある」


 組長が秘密裏に動いているのは、リトルズギルドの手で身内の不始末を片付けるため。

 リトルズギルドの社会的立場を守るためだ。

 であれば、不正に関わった証拠はすべて抹消してしまうだろう。

 ダイアモンやニムニリトが無事でいられる保証はなかった。

 組長は少しの間沈黙した。

 姿勢を戻し、慎重に話し始める。


「……もし俺たちが、その拉致されたという者たちを見つけたら、保護すると約束する。それなら文句ねえだろう」


 ――よし、譲歩した。


 ジークが単純な脅しに屈しなかったので、攻め方を変えてきたのだ。

 つまり組長も、こちらの持つ情報が気になっている。

 ジークは首を横に振った。


「それでは弱い。おそらくあなたたちは副組長の粛清に向かう。その中で、例えば二ムが逃走の邪魔になって殺されたり、あるいは、そう見せかけてあなたたちに殺されるかもしれない」

「てめえ」

「可能性の話です。他にも、二ムを保護しようとしていることを敵が察して、人質として使ってくるかもしれない。そうなった時、副組長の首よりも二ムを優先するという保証ができますか?」


 組長は答えなかった。

 探るように、ジークの目を睨み続けている。

 ここは一気に行くべきだ。


「オレたちの望みは、オレたちの手で二ムを直接、助けることです。あなたたちの邪魔をしたいわけではありません。しかし、オレたちが先に単独で動けば、相手に警戒の余地を与えてしまう。だから、同時作戦で行きませんか」

「……てめえを連れて行けと?」

「あくまで、そちらの粛清と、オレたちの救出作戦、この開始を同時にしたいというだけです。お互い、邪魔はしないし手伝いもしない。目標がそれぞれ違う場所にいるなら行動開始日時を合わせればいいだけですし、同じ場所にいたのなら、目撃情報の交換くらいはできます」


 組長が小さく舌打ちし、腕を組んだ。

 表情は崩さないが、おそらくジークの提案が悪くないものだと思い始めているのだろう。


「……ずいぶんと掴んだ情報に自信があるようだな」

「もちろんです。確信がなければこんな話はしません」


 ルインの関与に関しては想像で補ったが、こっちの件はほぼ確実にクロだと思っている。


「……てめえの提案なぞ、無視することもできるぞ?」

「その時は、衛兵に報告するだけです」

「相手にされるわけねえ」

「二ムは一度、連中によって拉致されかかり、オレが助け出してます。その時、聴取も受けている。二ムが大金を持っていたことも。これで動かなければ、衛兵はただの案山子だ。嘘だと思うなら、四日前に貧民区で起きた誘拐未遂について調べてみるといいでしょう」

「今ここで、てめえらの口封じもできるぞ」

「外にオレの仲間を待機させてます。オレたちが指定の時間に出てこなかったら、衛兵詰所に直行するよう伝えてある。イルネスをご存じでしょう。あなたたちではおそらく止められませんよ」


 組長の表情が、渋いものへと変わっていく。

 イルネスに伝えたという部分は嘘だ。

 彼女は何も知らず、ジークたちの帰りをただ待っているだけに過ぎない。

 もしこんな作戦を提案していたら、直情的な彼女はここに乗り込んできかねないし、よしんば待機してくれたとしても殺気を放ちながらガチガチに固まっている不審者になっていたに違いない。

 しかし、実際に待機しているのは本当だし、イルネスの実力も本物だ。

 リトルズギルドなら、中途半端な噂ではなく、かなり正確にイルネスの実力を把握しているはずである。

 ジークは最後の一手を打つ。


「それに、あなたはもう、動かなければならない」

「……なんだと?」

「さっき、ニムニリトが拉致されたと言いましたよね。その際、オレとイルネスは連中と交戦し、一人を再起不能にしている」


 組長の顔色が、明らかに変わった。

 どうやら気づいたようだ。

 ジークは話を続ける。


「オレたちの顔は相手に知られている。おそらく副組長派の手下でしょう。そのオレたちが、リトルズギルドの支部に入り、組長と個室で会話している――この情報が、いつ副組長の耳に届くでしょうか」

「てめえっ!」


 組長が椅子を蹴倒して立ち上がる。

 もう殺気どころの話ではない。

 一瞬後には死んでいてもおかしくない状況で、ジークは逆に開き直ってゆっくり立ち上がった。

 殺気に晒され続けて、感覚が麻痺してきたのかもしれない。


「副組長が手を染めているのは偽装聖魔具の売買。素材は隣国から仕入れ、指名手配されている脱走職人に作らせている。近頃、聖魔具の故障品が修繕屋に持ち込まれるケースが増えています。このあたりは『ルイン聖魔具修繕』に聞けば裏が取れます」

「アタシも聞いた。間違いないぜ」


 手の甲で頬の汗を拭いながら、ウルウェンテが頷く。

 ジークは懐から折り畳んだ紙を取り出した。


「偽装に使用された工房の場所も教えましょう。そこでオレたちは襲撃された。今ごろ、証拠品である偽装聖魔具の片づけをしているか、工房を破壊しているか、証拠隠滅を図ろうとしているでしょう。そうした動きを誰がやっているか調べれば、主犯に繋がる。それでも足りなければ、ベネクシア商会に最近接触し、聖魔具を卸した相手を調べるのもいい」

 

 ぎっ、と組長が歯ぎしりをする音が聞こえた。

 まさか自分が情報戦や交渉で不覚を取るとは思っていなかったのだろう。

 

「繰り返しますが、オレたちは邪魔をしたいわけじゃない。ただ、協力してほしいだけなんです。ニムニリトは大切な仲間だ。絶対に助け出したい」

「……マジもんの『死神』かよ、てめえは」


 怒りや悔しさを滲ませながら、それでも組長は口角を上げて笑って見せた。

 彼なりのプライドだろうか。


「もし情報が嘘だったり、間違ったりしてたら、てめえらを最悪の方法で拷問して殺してやる」

「もしそちらが抜け駆けしてニムニリトを救出できなかったら、オレはあなたたちを一生許さない」


 しばしの沈黙。

 先に視線を外したのは組長だった。

 静かにジークへと近づいてくる。


「てめえらには監視をつける。余計な動きはするなよ」


 早口にそう告げると、ジークから紙を奪い、そのまま扉から出て行ってしまった。

 開け放たれたままの扉をしばらく眺めてから、ジークはふうっと息を吐いた。


「協力してくれるってさ」

「……もう二度と、ジークとリトルズギルドには来ねえ」


 全身を脱力させて背もたれに寄りかかり、ウルウェンテは呟くのだった。

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